「情熱格差」に負けない心を求めて
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:城裕介(ライティング・ゼミ)
やりたいことがある人間が嫌いだった。そういう人間と話すのが苦手だった。話していると、心の中に淀みが出てくるのに気づく。太陽と話しているような気分になる。眩しいからこれ以上話さなくて欲しいと心の中で思ってしまう自分がいる。
それとは逆に「やりたいことがあるフリをする人間」は扱いやすい。「やりたいことがある」と、はっきり言ってくる。こっちより優位に立とうとしてくる。そこをちょっと突いてあげればいい。
「どうして、そうしたいの?」
「なんで?」
そう質問攻めにする。
「いや、いつかやれたらいいなと思ってる」
「え、だってそのほうが困っている人たちが助かる気がして」
相手はしどろもどろになる。答えに困る。そして不必要に長く喋って言葉に説得力がなくなってくる。やりたい気持ちを伝えることより、こっちに認めさせることを考えている具体的になるためのイメージを持っていないことがわかる。僕はその人間が発する言葉の軽さに敏感だ。それを確認すると、ああ、やっぱりそうか、と心の中でほんの少しだけ安心する。この人は「やりたいこと」を隠れ蓑にして、自分を守っている。そうやって薄っぺらな自分を隠しているんだとわかってしまう。
だけど「やりたいこと」がある人間は違う。こんな言葉で突いたぐらいじゃ少しも揺らがない。言葉が論理的であるかどうかではなくて、言葉自体が硬い感じがするのだ。そして、こっちを認めさせようとなんて考えていない。そんなことをしようとしたらむしろ強烈なカウンターがくる。
「それで? 君はどうしたいの?」
その質問が来たら最後、あっという間に薄っぺらな自分が露呈されてしまう。
「どうやったらそのやりたいことが手に入るんですか?」
いっそ開き直って本音ではそう聞けたらいいのにと思ったけれど、聞けなかった。薄っぺらな自分を相手に対して認めるのが怖かった。
人より不器用で、周りを見るのが苦手だった。思うように仕事はできず、考えていることがそのまま現れてしまう。やりたくないなと思ったことは口に出さなくても行動に現れてしまう。その僕の行動は周りを不快にした。試行錯誤を繰り返したが、その評価はひっくりかえることはなかった。「頑張っているとは思うんだけど」なんて言われることはあっても、その業績は最後まで認められることはないままだった。
結局4年間勤めて、会社を退職した。会社勤めの中で見つからなかった、どこかにある「やりたいこと」を求めて。でも、そううまくはいかなかった。結局僕がなりたかったのは「周りに認められる自分」に過ぎなかった。やりたいことをやろうとしているはずなのに見えてくるのは薄っぺらな自分だけだった。やりたいことをずっと探して、やっぱり違うと思って、また探して、その繰り返し。そうやって1年過ぎ去っていた。やりたいことは見つからないままだった。
なんでだ。この迷路に出口が見当たらない。ただ生きているだけなのにどうしてこんなに苦しいんだ。その思いは徐々に自分をむしばんでいた。
やりたいことがある人達のように一生を捧げても構わないというだけのもの、そこまでのものが自分にはあるように見えなかった。そして全部中途半端になっている自分が憎らしかった。やりたいと言っても、そのたびに吹っ飛ばされた。そんなやりとりを繰り返すうちに「やりたいことがある」と言うこと自体が罪なように思えた。
だからライティングゼミに入ったのも、正直に言うとものすごく迷いながらだった。書くことがやりたいと思っていて入ったのは事実だし、そういう仕事をしてみたいと思ったのも嘘ではない。ただ、「そこに覚悟はあるのか?」と言われるとやはり自信を持って肯定することはできなかった。自分を信じることができなかった。
「なんでやってみようと思ったんですか?」
入った後で聞かれたときに、「書くことを仕事にできたらなと思ったんです」と答えた。「やりたいこと」と言い切りたいところだったのにできなかった。「仕事にする」と言えなかった。「思った」なんて曖昧な表現を使わずにいられなかった。そんな自分が腹立たしかった。
ただ、「仕事にする」とか「覚悟」があるとかそういったことを抜きにして「書く」ということは楽しかった。毎週フリーテーマで出す課題は書くことに苦しむことはあっても、やめようという気持ちにはならなかった。
書き始めると、面白いといってくれる人がいた。感想を送ってくれる人がいた。でもそれは確かに僕の糧になった。書いて、読んでもらってもらえる感想がもっと欲しくなった。
「書くことを仕事にしたい」という思いは今でも変わっていない。でもそれを抜きにしても書くことはやめられそうにない。いつの間にか書くことそのものが目的になりつつあることに気がついた。新しい書くことのネタを見つけるとわくわくした。伝えたいもののために自分の隠したいものをあえてさらけ出していくことも恥ずかしい反面すっきりした気持ちもあった。
もし仮に諦めて違う仕事をしても書くということを止めたりはしないだろうなと思った。それくらい、僕の身近にある行為になっていた。書き続ける中で「書きたい」気持ちが育っていくのを感じた。
やりたいことを仕事にすることには「覚悟」が伴う。それは間違いないと思う。でもだからって始めたてのときにその「覚悟」を持っていることは必要ではないんじゃないかと思った。
はじまりのやりたいという小さな気持ちの種に水をあげて育てていくこと。行動という水を与え続ければやりたいことの種は育っていく。もしかしたら、やりたいことではなくて枯れてしまうかもしれない。でも、そうやって育てたものが大木になり、「折りたくないもの」になるものがある。きっとそうやってできたものが「覚悟」になる。
そうやって自分に自信のない僕は今日も「書く」という水を与え続けている。どんな木に育つかはわからないけれど、それがどう育つのかも楽しみになっている。
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