メディアグランプリ

無職になった私が考えたこと


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記事:木ノ崎ヒロ

 

「申し訳ありませんが、こちらはお値段がつきませんでした」

「そうですか。じゃあ持って帰ります」

少しはいい値がつくのではと期待していたのだが……。

部屋の片付けをかねて大手古本屋に持ち込んだクラシック名曲集は、ほとんどお金にならなかった。

 

「結構お気に入りのCDなのに。値段がつかなかったってことは、このCDを求めている人はいないってことか」

自分で言いながら、地味に堪えた。

最近、何でも自分に置き換えてしまうのは悪い癖だ。

職を失って1週間。

私は昼間からひとり、商店街をぶらぶらしていた。

何もすることがないので朝から本を読み、午後は散歩がてらこうして商店街を歩くのだ。

 

それにしてもこの居心地の悪さは何だろう。

もちろん、私のことなんて誰も気に留めないのだろうけど、近所のおじいさんおばあさん、赤ちゃんを連れた若いお母さんとすれ違うたびに、「なぜこんな働き盛りの人が昼間から暇そうにしているのかしら?」と思われている気がして、逃げ出したくなった。

また、近所の八百屋のおじさんとは顔見知りなので、日中姿を見られないために散歩ルートを変えねばならず、結構苦労する。

 

……こんなはずじゃなかった。

 

夢を諦めきれず、安定した大企業を辞めた27歳。

小さい出版社で、なりふり構わずがむしゃらに働いた29歳。

「30代が楽しみ!」と言いながら、実はブルブル震えて迎えた30歳のバースデイ。

そして、妹の出産に立ち会った31歳。命が誕生する瞬間を目のあたりにしたことで、私の心境に少なからず変化が起こった。

毎日仕事に明け暮れていて良いの? キャリアと私生活、どちらに主軸を置いて生活していくべき? という問いが、しばしば頭をよぎるようになったのだ。

 

そんな時、事件は起きた。

仕事のことで、上司からとんでもなく理不尽な叱責を受けたのだ。

自らのミスを、論点をすり変えて部下のせいにするというような、本当に卑怯で稚拙なものだった。

ただでさえ労働条件の悪い職場、あらゆる不満を「仕事への情熱」という一点で、ぎりぎり抑えていた私の心のバランスは、その一件で瞬く間に崩れ落ちてしまった。

これを事件と呼ばずして、何と呼べば良いだろうか。

 

「とりあえず環境を変えよう」

まず会社を辞める日を決めた。それから転職サイトに登録して、履歴書とエントリーシートを何枚も書いた。しかし、31歳の女性に世間は甘くない。不採用通知がくるたびに、大学卒業後の10年間の私の働き方にダメだしをされているようで辛かった。

そうこうしているうちに退職日がきて、とうとう私は32歳を目前に無職になってしまった。

 

気が付くと、コートのポケットでスマートフォンがチカチカ点滅している。

転職エージェントかなと思ってチェックすると、意外な人物からのメールだった。

差出人は前職でお世話になった音楽関連の会社経営者。

 

『退職されることになったんですね。新しいチャレンジ頑張ってください!

追伸:もし余裕があったら、仕事手伝ってください(笑)』

 

メールを読んでまさか! と思った。

私とは親子以上に歳が離れた方。

それも凄腕経営者として知られるY氏が、私に仕事を手伝ってほしいとは。

冗談めかして「(笑)」で終わらせているけれど、案外、切実に助けを必要としているのかも……?

 

自分に都合の良いように解釈したと思う。

それでも、はやる気持ちは止められない。

『明日にでも伺います』と間髪入れずに返信した。

 

その2日後、私は渋谷区松濤のカフェにいた。

向かい合うのは、メールをくださった経営者のY氏。

 

多忙を極めるY氏は、ここ1か月間、全国を飛び回る生活を送っているという。

そんな忙しい日々の合間にこじあけてくれた貴重な時間だった。

仕事の話をしにきたというのに、Y氏の優しいまなざしに、つい心が緩んでしまった。

私は、今後の人生を見据えて会社を辞める決意をしたこと、そしていま新たな一歩を踏み出そうとしているが、入り口で躓いていることなどを正直に打ち明けた。

 

すると、目の前に一冊の冊子が差し出された。

「もしよければ、あなたにこの仕事をお願いできないかと思って」

 

付箋が貼られたページを見ると、小さなCDの解説が掲載されていた。

「毎月、僕が選んだCDを解説つきで載せるコーナーなの。書きものっていうのは意識を集中させないとできないから、本業との両立が大変でね」

 

CD1枚につき、たった45文字の解説文。

それでも、働く場所を失った私にとっては、天国への扉を開ける魔法の言葉に思えた。

それは、言ってみれば霧が立ち込める山頂に、突如太陽の光が差し込んだ瞬間。視界が開けて、突如絶景が現れる状況に似ていた。

 

冊子をにぎりしめながら、思わず熱いものがこみあげた。

「喜んでやらせていただきます!」

仕事をさせてもらえることを、これほどありがたく思った瞬間がいままでにあっただろうか。私の人生は、ここから再スタートする。そう確信した。

 

いったんゼロになった私は、とことんシンプルになった。

仕事ができること。それ自体が喜びじゃないか。心からそう思えるようになったのだ。

 

世の中には、いわゆる「ブラック企業」と言われる、劣悪な環境で働く人たちが大勢いる。

それは大変深刻な問題であるし、経営者たちには是非とも知恵を絞って、解決に向けた努力をしてほしいと思う。

ただ、「働くこと」、そして「誰かに必要とされること」自体は、やっぱり喜び以外の何物でもないのだ。

「無職」という危機的状況は、私にそのシンプルな事実を再認識させてくれた。

 

これから、しばらくは生活費を稼ぐための奮闘の日々が続くが、自分の進む道に迷いが生じたら、あの日のことを思い出そう。

そして、働く喜びをかみしめようと思う。

 
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2017-03-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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