プロフェッショナル・ゼミ

どうやら「パンツで過ごしている」と「おむつがはずれた」は、同じ意味ではないらしい《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中村 美香(プロフェッショナル・ゼミ)

*この話はフィクションです。

「あんなにさ、怒らなくてもいいのにね」
児童館で、3才くらいの男の子を叱っているママを見て、晴美が小声で、私にそう言った。
「そうだね」
私は、晴美に合わせてそう言いながら、少し違和感を覚えた。
確かに、そのママの声は大きかったけれど、言っていることは間違っていないと思ったからだ。

私は、ひと月ほど前に、夫の転勤のため、この土地に引っ越してきたばかりだ。
もうすぐ3才になる一人息子のマサルがいる。
近所の児童館は、午後になると、小学生でいっぱいになるけれど、午前中は、0歳児から幼稚園に入る前までの親子の居場所として、開放していると聞いて、知り合いが作りたくて、来てみたのだ。
マサルと同じ年くらいの男の子、シュンのママの晴美とは、ここで知り合った。

さっきの3才くらいの男の子は、どうやら、トイレトレーニング中らしかった。
ママと男の子のやり取りを聞いていたら、家では、パンツで過ごし、トイレの練習をしているのだけれど、外に行く時や児童館に行く時は、おむつにしているということがわかった。
それなのに、男の子が、ママの知らないうちに、勝手に、パンツに、履き替えてしまったようだった。
「もうすぐおしっこ出るでしょ! トイレに行こうよ!」
「いやだ! 行かない!」
「漏らしちゃったら、カーペットがよごれちゃうから!」
引きずるように、トイレに連れていったママと、とうとう泣き出した男の子。
「あれは、やりすぎだよ。漏らしたら漏らしたで、いいじゃんね」
晴美は、呆れたように、そう言っていたけれど、私は、そのママの気持ちの方がわかった。
やっぱり、家以外で漏らされると、心苦しいよな……。

マサルは、つい、この前、おむつがはずれたばかりだった。
義母に、
「まだ、おむつはずせていないの?」
と、ずっと言われ続けていて、嫌味に感じていたから、正直、ホッとしている。
昔は《おむつはずし》と言っていたけれど、今は、《おむつはずれ》と言うらしい。
“本人のタイミングを待ってあげていい。ゆっくりでいい”と本に書いてあったから、義母の小言をじっと耐えて聞き流していたけれど、結構つらかった。

「シュンくんは、もうパンツ?」
「うん」
「マサルも、ようやく、おむつ、はずれたよ」
私がそう言うと、晴美はニヤッと笑った。
その笑顔の意味がよくわからなかったけれど、そのままにした。
だけど、やっぱり、ちゃんと聞いておけばよかった。
まさか、あんなことになるなんて……。

晴美と3度目に会った児童館の帰りに、
「今度、理子さんの家に遊びに行きたいな」
と、晴美に言われた。
「あ、うん、今度ね」
あまり乗り気じゃなかったから、曖昧に返事をしたのに、晴美は食い下がって
「明日は?」
と、詰めてきた。
明日か……。
晴美が、じっと私を見ている。
うーん、もう、逃げられそうにないな。それなら、早い方がいいか……。
「わかった。いいよ、明日で」
「本当? やった! シュン、マサルくんのお家に遊びに行っていいって!」
晴美が、そう言うと、シュンも
「やったー」
と、言って、跳びはねていた。
この人は、こうやって、今までも、物事を思い通りに進めてきたんだなと、ぼんやり思った。

人を家に招くのは、嫌というほどではないけれど、苦手だった。
値踏みするように、家中をジロジロ見られるのも、ドキドキするし、せっかく来てもらったら、やっぱり、いい気分で帰ってほしいから、気も遣う。だから、とても疲れるのだ。

次の日の午前9時ちょうどに、インターフォンが鳴った。
ジャストタイム過ぎて、少しだけ、怖くなった。
そう言えば、私は、晴美のことを、まだ、何も知らない……。

深呼吸をひとつして、ドアを開けた。
「おはよう」
と、精一杯、笑顔を作った。

玄関に招き入れて、リビングに通した。
「綺麗にしているね。スリッパもふわふわだ。シュン、いいねー」
晴美がウキウキした様子で、家の中を見回しながら言っていた。
シュンも早速、ペタペタと小走りに走りだした。
「シュンくん、気をつけてね。転んじゃうと、危ないからね」
そう言いながら、3歳で、あまり走り回らないマサルは、少数派なのだと気がついた。
マサルのおむつがはずれたので、最近、リビングに敷くラグを、新しく換えたところだった。
だけど、シュンを見ていたら、ラグがない方がよかったかもしれないと思ったのだ。
「これ、やっぱり、取っておいた方が危なくないかもね?」
そう言って、畳もうと思ったら
「いいよ。このままで」
と、晴美が、手を振って言った。
「そう? じゃあ、シュンくんとマサルはこっちで遊ぼうか」
リビングに繋がった、おもちゃが並ぶスペースを指して、私が言うと、お目当てのおもちゃが見つかったのか、シュンは、それに向かって走りだした。私の後ろに隠れるようにしていたマサルが、その後を追った。

自分たちのためのコーヒーと、子どもたちのための麦茶を用意して、私は、晴美と向かい合うように、ラグの上に座った。

「理子さんの家、居心地いいね。落ち着く。ちょくちょくお邪魔しちゃおうかなー」
晴美が、肩をすくめて、おどけたように言った。
「え? ははは」
居心地がいいと言われるのは、嬉しかったけれど、「ちょくちょく」という言葉が、少し怖かった。
動揺が伝わらないように、何か、早く言わないと、と焦った。
「しかしさ、おむつをはずすのって、大変だったよね。こんなに大変だなんて、思ってもみなかったよ」
私が、共通の話題だろうと思って、何気なく言ったら、
「え? シュン、まだ、おむつはずれてはいないよ」
と、晴美がびっくりしたように言った。
「え? この前、パンツだって言ってなかったっけ?」
私も、驚いて聞き返すと
「パンツはパンツだけど、まだ漏らすよ」
と、晴美は言った。
「え? そうなの?」
思わず、シュンのお尻を見てしまった。
「だいだい何時間くらいで、トイレに誘ったりしてる?」
「うーん。あんまり気にしてないけど」
「え? じゃあ……」
「漏らして、自分が気持ちが悪いと思わないと、トイレに行こうと思わないじゃない?」
「……じゃあ、外で漏らすこともあるの?」
「そりゃ、あるよ」
晴美は、何言っているのよ、と言うように、笑った。
マジか! そうか! おむつはずれたはずなのに、どうして、晴美の鞄があんなに大きいのかと思ってたけれど、大量のパンツとタオルが入っていたのか!
私は、ようやく、今、我が家が、危機に直面していることに、気がついた。

どうしよう?
マサルのおしっこすら、なるべく、漏らされるのが嫌で、30分おきに声掛けして、トイレに誘導していたのに……。
よその子が、ほぼ漏らすのがわかっている状態で、見逃すことはできない!
どうにか、被害を防げないものだろうか?
ラグだ! このラグだけは、守りたい。
多分、クリーニング代も、結構するだろう!

「やっぱりさ、このラグ、畳んでおくね」
「いいよ。ふわふわで、気持ちいいからさ」
晴美は、手でラグを撫でながら、どこうとしない。
「ごめん。畳ませて!」
もう、私の頭の中から「おもてなし」という言葉は、消えていた。
「えー?」
少し、不満そうに、晴美は、しぶしぶ、ラグから降りた。

私は、急いで畳むと、座布団を出して、晴美に渡した。
本当は、座布団さえ、出したくなかったけれど、床に座らせたままには、さすがにできなかったからだ。

大物の避難は済んだけれど、それでも、シュンが漏らすという可能性は高いままだ。

「シュンくんさ、だいだい、どれくらいの間隔で、トイレ……いや、おしっこするの?」
「うーん。2時間くらいかな?」
「大体、その時間にさ、声かけたら、トイレでするかもしれないよ?」
「まあね。だけどさ、面倒くさいし、大変じゃん。シュンも嫌がるしさ」
全く、晴美には、チャレンジする気配すらない。
「だけど、人の家で漏らすとさ、その後、気まずくならない?」
思い切って、聞いてみた。
「……」
晴美が、下を向いてしまったので、やっぱり、まずいことを聞いてしまったよなと、ドキドキした。
どうしようか……と思った、次の瞬間
「別に」
と、晴美が、真顔で言った。そして
「ところでさ、マサルくん、どこの幼稚園行く?」
と、続けた。
は? この状況で、そんなこと聞かないでよ! と思いながら、
「まだ考えてないけど……」
と、私は、適当に答えた。
だけど、それ以降、あまり、話に集中できなかった。
私は、話をしながらも、シュンのお尻ばかり見ていた。
晴美に、そのことに気づいて欲しいような、欲しくないような複雑な心境だった。

あまり、友だちと親しくなりにくいマサルは、シュンとは、意外に、気が合うようだった。
いや、気が合うというよりは、シュンが、積極的に話しかけてくるので、それに受け答えしているうちに、馴染んだようだった。
多分、気が楽なのだろうと思った。
子ども同士の相性と、母親同士の相性は、必ずしも、一致しない。
マサルにとっては珍しい、仲良くできそうな子との交流を、私は奪うことになってしまうかもしれないという予感がして、切なくなった。

子どもたちは、おもちゃのスペースとリビングを行ったり来たりしながら、麦茶を飲んだり、お菓子を食べたりしていた。
シュンが、ゴクゴクと麦茶を飲む度に、ドキドキした。

1時間くらいして、シュンのお尻が、モゾモゾし始めた。
あ、これは? おしっこに行きたいのでは?
そう思って、晴美のことを見たけれど、ちっとも、シュンのことを見ていなかった。
どうしようかな……と思ったけれど、思い切って
「晴美さん、シュンくん、そろそろおしっこじゃない?」
と、言ってみた。
「え? そう? でさ……」
と、言って、晴美は、話を続けようとした。
「ねえ、晴美さん! シュンくん、トイレに連れて行った方がいいんじゃない?」
もう一度、今度は、少し、強めに言ってみた。
「いいよ。大丈夫よ。漏らしたら、漏らしたで……」
「困るよ!」
気がついたら、大きな声で、私は、叫んでいた。
「漏らすとわかってて、漏らされるのは嫌だよ。私は!」
と、言ったら、晴美は、今までで、一番びっくりしたという顔をした。
「晴美さんが連れて行かないなら、私が連れて行くよ! シュンくん、トイレに行こう!」
シュンは、きょとんと、していた。
「シュンくん、トイレにさ、アンパンマンがいるよ! 一緒に行ってみようよ! マサルも一緒に行こう!」
私は、必死だった。
どうしても、漏らしてほしくない!!
「うん! 行く!」
「僕も」
パタパタと走って、3人でトイレに向かった。
やったー! 
すると
「僕、おしっこ」
と、マサルが言った。
マジか!
「わかった! じゃあ、マサル! 急いで!」
アンパンマンの補助便座にまたがって、マサルが先におしっこをした。
シュンくん! つられて、今、出さないでね! もう少し待ってね! と、心で思いながら、シュンを見ると、ますます、モゾモゾしているように見えた。
「マサル! 終わった? じゃあ、どいて! はい、次! シュンくん!」
シュンのズボンとパンツを脱がせて、急いで、補助便座にまたがらせた。
「シュンくん、おしっこどうぞ」
シュンは、嫌がりはしなかったけれど、補助便座についているアンパンマンの人形を気にしだした。
その間に、洗面所で、マサルが手を洗って、一足先にリビングに戻っていった。
そして、テレビを、つけた。
晴美とシュンが来るまで、マサルが見ていた、アンパンマンのDVDが、唐突に流れ始めた。
今度は、シュンは、それが気になって、補助便座から降りようとした。
「シュンくん、待って! 頑張って!」
協力を得ようとして、ドアの隙間から、晴美を見たけれど、晴美は、スマホを夢中でいじり、我関せずといった様子だった。
くっそー! もう、二度と、家に来させないぞ!
そう、心に決めた。
それでも、補助便座から降りようとしたシュンの肩を、私は、少し、力を入れて抑えた。
「出してからおいで!」

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