いりこの唄《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:bifumi(プロフェッショナル・ゼミ)
「ちょっ、ちょっと、なにこれ?
なんでこんなことが書けると?
こんな人に太刀打ちできんやん、敵うわけないやん!」
私は人生で2度目の
大きな挫折を味わった。
密かに抱いていた、根拠のない自信がぽっきり折れた瞬間だった。
高校3年の秋、受験シーズン真っ只中のはずなのに、私もまわりも、受験へのモチベーションが上がらず、だらだらした生活を送っていた。
そんな時、国語の先生からみんなで詩集を作ろう! と提案された。
「だるっ・・・・・」そういう空気が教室中に流れた。
自作の詩でもよいし、好きな作家の詩でもよい。
とにかく詩という形のものを提出し、それをまとめて詩集にするという話だった。
どうせ、勉強する気にもならないし、作家の詩でもいいならまぁいっか。
私は当時人気の、オリーブという雑誌に夢中だった。
写真、ファッション、紡がれる言葉の1つ1つが、他の雑誌とは比べ物にならないくらい、おしゃれで輝いていた。
九州の田舎で暮らす私にとって、キラキラした東京での生活を垣間見れる、唯一のものだった。
その中で、度々登場していた、サエキケンゾウという人の詩が、とても気に入っていた。
普段は歯医者さんをしていて、パール兄弟というバンド活動もしている、とても多才な人だった。
すごく繊細な詩を書く人で、私は迷まず彼の詩を提出することに決めた。
本当は、自分でも詩を書いてみたかった。
だけど、だるいとか、今さら詩をつくるなんて小学生じゃないっつーの、なんて言っているまわりの声に同調し、みんなと一緒であることに安心していたかった。
自分の頭の中で作りだしたものを、みんなに読まれるなんて、とても恥ずかしくて耐えられなかった。
1月ほどたち、詩の事などすっかり忘れていた頃に、
詩集は出来上がってきた。
あーそういえばこういうの作るって、先生言ってたな。
ふーん・・・・・・
ぱらぱらめくっていると、1つの詩に目がとまった。
それは「いりこの唄」という詩だった。
よく見ると、いりこにもいろんな顔がある。
怒った顔、笑った顔、泣いた顔、
きっと、海の中でいっぱいいっぱい恋をして、
けんかして、泣いて、笑ってきたんだね。
だからこんなにおいしい味噌汁になれたんだね。
(詩の下の方に、いろんな表情のいりこの絵が描いてあった)
書いた人は、中学の同級生だった。
彼が高校で本を読んでいる姿はよく目にしていたが、
こんな詩を作りだせるような人だとは、思ってもいなかった。
ショックだった。
そして、激しく嫉妬した。
私は将来、とんでもなくすごい文章を書く人になるだろう。
文章を書くという仕事も悪くないな。
小説とか書いちゃうんだろうな。
子供の頃、作文が得意だったということくらいで、とりたててすごいエピソードもないのに、
私は、将来作家になりたいという夢をもっていた。
根拠のない自信と妄想は、どんどん広がっていった。
そんな私の自信をへし折ってくれたのが、
この「いりこの唄」だった。
彼は中学の同級生で、
私が初めて付き合った人だった。
同じクラスなのに、恥ずかしさと、付き合っている事を誰にも知られたくないという思いから、普通に会話することすらできなかった。
放課後も、家の方向が違うので一緒には帰れない。
朝教室に入った時から、下校するまで、身体全体で彼のことを意識する日々だった。
いつも、私の視界には、彼の姿があった。
他の女の子と楽しそうに話しているのをみては、嫉妬し、
授業中、答えるのをみては、すごい! と驚き、
同級生と楽しそうに笑っているのをみては、嬉しくなるという、
ジェットコースターのように心が揺れ動く、忙しい毎日だった。
彼との連絡手段は、電話と交換日記のみ。
今と違って、家庭に電話は1台で、それはもれなく
家族が集うリビングという聖域に置かれていた。
彼と電話で話していても、家族に聞かれているので、落ち着かない。
話せないもどかしさを埋めるために、
毎日感じたことを、日記に書いて交換した。
今思えば、本当に青い春のつたない思いを乱暴に書きなぐった、日記だった。
中学生といえば、女子の方がどちらかというと早熟だ。
男の子はというと、小学生に毛が生えた感じで、書くことも非常に幼かった。
自分の方が何歩も先をいっているという優越感に浸り、彼が知らないような話、
意味のわからないような言葉を、わざと選んで日記に書いていた。
誰とも違う自分を知って欲しかった。
そう、完全な中2病日記だった。
2度ほど、一緒に映画を観に行った。
緊張からか、映画の内容は全く覚えていない。
行きと帰りの道では、弾まないなりに、いつもより多く会話ができた。
学校以外の場所で、こうやって二人で会えるということが、なにより楽しかった。
肩ごしに彼の呼吸を感じられること。
同じ時間を2人で共有しているということも、嬉しかった。
話せないという毎日に、変わりはなかったけれど、学校に行くのがとても楽しかった。
ただ、だんだん彼から渡される日記の数が減っていき、
ある日、彼の友達から呼び出され、
「あいつがもう、別れたいっていいよるけん、今日でおしまいね」と
告げられ、あっけなく私のつたない恋は終わった。
本人から言われるならまだしも、全く関係のない他人から、突然別れを告げられるなんて・・・・・・
「なんで?」と、理由を聞くこともできず、
私は人生で初めて、失恋という挫折を味わった。
ショックだった。
フラれるなんて、歌の歌詞や、雑誌では目にしていたけれど、
初めて自分の身に降りかかると、理解ができず、思考が止まった。
何日も眠れない日が続いた。
人を恨むということを知った。
異性に対しての、ありとあらゆる悪口のレパートリーが増えた。
初めての失恋は、とても苦かった。
それ以来、同じ高校になっても、彼とは一言も話さないまま、高校3年生になっていた。
でも、「いりこの詩」を読んだ時から、
どうしても、いろいろ聞いておきたいことがあり、思い切って、休み時間に彼を呼び止めた。
「あのー・・・・・・
この間の詩集にのってた詩さ、あれは自分で作ったと?」
「は?」
「えーっと、誰か作家さんの詩なんかなと思って」
「いや、あれは自分で作った詩やけど。それがどうかした?」
「あ、いや、別になんでもない、ふーん」
もっと、他に聞きたいことがあったはずだろう?
すごくおもしろい、良い詩を書くねとか、なにか気の利いた事を伝えたかったんじゃないの?
なのに、作家が作った詩なのか?なんていう失礼な質問しかできなかった。
君の詩に完敗したなんて、口が裂けてもいえなかった。
自分の惨めさと、心の小ささに、悲しくて、その場からすぐ立ち去った。
私はそれ以来、ものを書くことを仕事にしようという夢を封印した。
そのくらい、彼の詩は私をこてんぱんに叩きのめしてくれた。
たった何行かの詩の中に、
いりこの青春や、人生が詰まっていた。
その人生の積み重ねが、よい出汁になり、
美味しい味噌汁を作り上げるなんて、
当時の私のどこを押したらそんな発想が出て来ただろう?
付き合っていた頃は、私が早熟だったこともあり、彼が交換日記に書いてくる内容を、
すごく幼く感じていた。
それが、ほんの何年かの間に、
あんな素敵な詩を作れるような人に、なっていたなんて!
全てが妬ましかったし、羨ましかった。
こんな人と同じ土俵に立てるわけがない。
世の中、もっともっとすごい人達がいっぱいいて、
作家になりたい夢なんて持っていたら、またつらい思いをしてしまう。
私には才能なんかないじゃない。
何か書けるようになりたいと思うだけで、なにもしてないじゃない。
無理だ、諦めよう。
結局それ以来、作家になりたいという夢は、心の奥にしまった。
20年ぶりの同窓会が開かれた。
久しぶりに出席したら、「いりこの彼」も来ていた。
懐かしかった。
彼といろいろ話しているうちに、どうしても聞いておきたくて、
「いりこの唄」の話しをしてみた。
私がその詩を覚えていたことに、とても驚いていた。
そして、あんな小さな詩を覚えていてくれてありがとう! と喜んでくれた。
あまりに素敵な詩で、ショックをうけたこと。
この人には勝てないと思ったこと。
きっとこういう人が将来作家になるんだろうなと感じたことを、正直に話した。
あんなに才能があったんだから、今はなにか書くことを仕事にしてないの?
仕事にしてないにしても、何か自分で今、書いたりしてないの?
と聞いてみたが、彼は笑うばかりで、私が欲しい答えは全てはぐらかされた。
そうか、もう書いてないのか。
もったいないな。
その同窓会以来、年に一度、地元にいる人達だけで、毎年同窓会が開かれている。
もう、5年くらいになるだろうか。
その間に、ひょんなことから私は、今の仕事に関連した、本を出版することになった。
出版が決まった時、いち早く「いりこの彼」にメールで知らせた。
「書くという事に人一倍思い入れがある自分にとって、こんな身近に本を出版する友達がでてくるなんて、とても誇らしいよ。がんばれ! 出版されたら絶対読むし、お祝いしよう」
と彼はとても喜んでくれた。
私も嬉しかった。この思いを共有したかった。
出版社さんとの進捗状況や、本を一冊生み出すということの大変さ。
出版にはいろんな人が関わっていて、もう自分一人の問題ではなくなっていることなど、不安が顔を出すたびにメールで相談した。
その都度、私の不安が吹き飛ぶような、心強い返事が届いた。
だけど、私の本が出版された後、彼が同窓会にくることはなくなった。
私の本を読んだ感想も未だにもらっていない。
ああ、やっぱりそうだったんだ・・・・・・
なんとなく今まで交わした彼のメールの端々から、
彼がモノを書くことをあきらめていないことが、伝わってきていた。
「書くという事に人一倍思い入れがある」なんてその最たるものだった。
私は自分の出版に浮かれ、彼の心のデリケートな部分に、土足でずかずかと、踏み込んでしまっていたのだろう。
結婚し、子供をもつと、自分優先の生活はできなくなる。
好きなように動けないことの方が多い。
彼は、生活と引き換えに、書くという事をあきらめてしまったのかもしれない。
男と女では家族を養うという比重の大きさが違う。
彼は自分の夢と家族とのはざまで悩んでいたのかもしれない。
連絡もなくなったので、彼の本当の気持ちは、もうわからない・・・・・・
あの高3の「いりこショック」以来、私は、書くことを仕事にしたいという夢に
ふたをして生きてきた。でも、その夢はなくなるどころか、ずーっと心の奥のほうでぷすぷすくすぶり続けていた。
出版した本は、自分の文章力のなさを露わにしてくれた。
長い文章が全く書けない、これでは話にならないということを痛感させてくれた。
もう年なんだから。
今さら、夢を追いかけるなんて、
その先に何があるの?・・・・・・
何かに挑戦しようとする度に、心の中に現れる、言葉たちだ。
いつもなら、そうだよね、もう年だもんね、と素直に
いうことを聞いていたが、
今回は、違った。
「もう、こんなことうんざりだ!
言い訳ばかりする自分から卒業したい!!!」
今まで聞いたこともないような大きな声が聞こえてきた。
心の叫びが聞こえた時、気が付くと私は、
天狼院というちょっと変わった書店が主催する「ライティングゼミ」というコースへの
申込みボタンを押していた。
発作的に押してしまったので、募集要項はほとんど読んでいない。
ただ、このまま諦める人生はいやだ! と思ったことだけは確かだった。
いろんな方がライティングゼミについて、まことしやかな恐ろしい話を書いている。
そんなにへこむのか? ぼろくそに批判されるのか? そんな思いまでしているのに、書いている人の文章に悲壮感がないのはなぜなんだ?
ライティングゼミに勢いで入ってしまった私は、この先どうなっていくのかなんて全くわからない。書くことを仕事にできるかどうか、何の保証もない。
だけど、いろんなことを諦め、それに納得し、平穏に生きてきた私に、大きな波風を立ててくれることだけは確かだ。
泣くこともあるだろう、悔しさに涙することもあるだろう、逆に励まされることもあるかもしれない。
荒波立つ大海で、時化に襲われ、波にもまれ、時には食べられそうにもなり、仲間と一緒に泳ぐことで、いろんな経験をするだろう。
この経験の1つ1つが、きっと私を美味しいいりこにしてくれるに違いない。
まだ、先は何も見えないけれど、その確信だけはある。
いつか「いりこの彼」が、私の挑戦をどこかで知り、一歩踏み出すきっかけになれば、それだけでも嬉しい。
その時は、お互いどんな海を泳いできたか、笑いながら報告できたらと、心から思う。
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