プロフェッショナル・ゼミ

体育の先生、お願いです《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事: 村井 武 (プロフェッショナル・ゼミ)

小学校から大学まで、学期の最初に時間割が配られると、まずやるのは「体育」の文字を探し、コマ数を数えることだった。

体育が好きだからではない。逆だ。

私は体育が大キライなのだ。週に何回辛い思いをしなければならないのかを確認するために、何を措いても「体育」の時間数を数えるのだ。

算数、数学とか物理も苦手だったし、というか、得意科目なんて殆どなかったのだが、教室で座って受ける授業は黙って聞いていればやり過ごせる。教師から当てられる時には席順を数えて自分にあたる筈の答をでっち上げる苦行が耐えきれれば何とかなる。あとは試験前に苦労して、その成績に落胆するだけのことだ。

しかし、体育はそうはいかない。授業に参加する限り、できない体の動きを強制され、取れないボールを追わされ、打てないボールを狙わされる。特に試合種目では、頭を低くして当てられないようにして、やり過ごすという、教室では何とか通用するあの方法が使えない。

なぜ、これほどに体育が嫌いなのか。古い、古い記憶に何度も潜って、その原因を探ろうとしているのだが、どうもごく幼い時期の複合的な要因で「たいいく」ギライとなり、長じてチームプレイにまつわる辛い思い出が重なって、筋金入りの体育嫌いができあがったらしい。

最初の挫折の記憶は幼稚園の最初の「お庭遊び」に遡る。春の庭では長縄跳びが行われていた。

「お嬢さん、お入んなさい」だ。

ひとり遊びが好きで近所に友だちもいなかった私は、この遊びのやり方も面白さも知らなかった。他の園児たちは高速で回転する縄の中に一瞬できる空間に軽やかに飛び込み、キャッキャ喜びながら抜けて行く。

私の前に並んでいた女の子が縄に飛び込み、抜けた。

タイミングも飛び方もわからない私は、何も考えられず、回転する縄にただ突撃し、半ズボンの素足にビシっと縄の一撃を頂き、遊びの流れを止めた。縄跳びはまだ続くらしかったが、私はこの一撃に憔悴し、列に戻ると、縄跳びが楽しくて仕方がないらしい他の園児に次々と順番を譲り、2度とトライアルに臨むことなく、その場を切り抜けた。

次の記憶はやはり幼稚園での最初の水泳の時間。これまた我が家ではそれまでプールにも海にも連れて行ってもらったことがなかったもので、水泳とかプールというのがどういうものなのか見当もつかないまま、その日を迎えた。初めて持たされる水着。親も「水着というのはこうやって着るものだ」くらい事前に練習させてもよかったろうに、それをしてくれなかったので、私は当日、生まれて初めて水着というものとご対面した。

なるほど、パンツか。下着のパンツを脱いで、代わりにこれをつけるのだな、くらいのことはわかった。

50年前の幼稚園では、水泳の着替えすら男女一緒に、隠れる場所とてない講堂で一斉に行われていた。平気でペロっとパンツを脱ぐ園児もいたが、私は人前で下半身をさらすことに躊躇し、遅れをとっていた。

ひとりの園児が、早速に着替えを終えて

「先生! できましたー!」

と先生の前に飛び出した。

ふと目をあげると、彼女の付けている水着は、下半身だけでなく上半身までも覆うものだった。

私は、自分の手にした水着と彼女の水着とを見比べて愕然とした。

「ボクにはパンツしかない! 上半分がない!」

きっと母親が用意すべき水着を間違ったのだ。このまま着替えては自分だけ、オッパイむき出しでプールに入ることになる。ムリ!

実際私の顔色は真っ青になっていたのだと思う。生まれて初めて仮病を使った。

「先生、気持ち悪くて吐きそうです」

私は即座に見学を認められ、初めてのプールの機会を逸した。多分、その時に水と戯れる楽しさを知りかねた私は、現在に至るまで泳げない。水泳の授業で苦労し続ける夢は50歳を超えた今でもよく見る「定番の悪夢」のひとつだ。

こんな具合に私はごく幼少時に体を動かす楽しさを知り損ねていたのだと思う。

そして、私の人生の「逃げる」体験の原点は大体、体育にまつわることに繋がっている。私は、人生で「逃げる」ことは時に必要な知恵だと思っているので、逃げること自体の価値は否定しないのだけれども、やはりある種の切なさは残る。

身体を動かす楽しさを知らないだけならば、自分の楽しみのトリガーがひとつ欠けているというだけのこと。人に迷惑はかけない。ところが悪いことに、小学校から大学に至るまで、だいたい周りの児童、生徒、学生は体を動かすことが好きなのだ。

これが数学みたいな教科なら、授業中に問題を当てられて解けず、黒板の前で立ち尽くし、呆れた教師から「お前は基礎からわかってない。席に戻れ」と叱責を受けても、他の生徒は無関心だ。

しかし、こと体育、特にチーム競技で「できない」というのは、チームの怨嗟を一身に浴びる煉獄の苦しみとなる。

野球-大体ライトで8番が私の定位置-なら、フライを取り損ねて、後逸し、ボールを追いかける背中に浴びせられる

「ムライー! そのくらい取れよー! 速く取って来いよ」

という無邪気な罵声。

バレーボールで相手方から「穴」として狙われる切なさ。

高校くらいまでは、スポーツができるかどうかというのは、その集団で人望・尊敬を集める重要な要素のひとつである。好き嫌いや交友関係もこれで決まるところすらある。スポーツができない、というのは、もちろん好かれる要素にはならない。

高校の体育。ラグビーのチーム編成のとき、ラグビー部の2人がリーダーとして教師から指名され、彼らがひとりずつ「あの子が欲しい」方式でチームに引き込んでいく「ドラフト」が行われた。私の名前が呼ばれたのは後ろから2人目だった。最後の2人になった時点で、クラスの関心は「どっちが最後か。どちらがいちばん使えないヤツなのか」に絞られる。どちらが最後かなどは、どうでもよい程、辛かった。

アメリカのシンガー・ソング・ライター、ジャニス・イアンは「17才の頃」(At Seventeen)という楽曲で、17歳にして世の中の残酷な真実-自分が、恋バナだの素敵な生活には縁がない非リア充のひとりであること-を知る様を歌う。残酷な真実のひとつとして、ジャニスは、バスケットのチームメンバーを選ぶときに自分の名前が呼ばれることはない、とつぶやく。きっと主人公も運動が-運動も-できなかったのだろう。若かった私はこの歌に深く共感した。

ドラフトごっこをやらせた体育教師を大人気ない私は未だに恨んでいるのだが、偏見を承知で、私の限られた体験の範囲でいうなら、私の教わった体育の教師というのはだいたい生徒の心の機微に頓着しない人たちばかりだった。スポーツが好きで教師になったのだろうし、多くの生徒は体育を楽しんでいるのだから、身体を動かすことが嫌いな生徒がいるなど想像もつかないのだろう。

大学に入って驚いたことのひとつは、必修科目にまだ体育が残っていたことだ。

「まだ、やるのか」

ため息をつきながらもシラバスを見ると、自分で好きな種目を選べるらしい。好きなスポーツなんかないけど、何とか一番ラクなのを選ぼう、と考えていた。

ところが、私の大学では最初の体育の時間に運動能力測定を行い、一定レベルに達しない学生には種目の選択権が与えられず、「基礎トレーニング」という、ひたすらキャンパスが展開する山を走り続ける苦行を強いられるコースに放りこまれるのだという。当たり前のように私は「基礎トレーニング1」に入れられ、毎週数キロの山道を走らされた。今ではトレーニングとしての効果が疑問視されている「うさぎとび」までやらされたときには、「あぁ、バカバカしい」と思いつつ、心の中で「巨人の星」のテーマソングを歌いながらドタバタと跳んだ。初回の授業で教師が「3回までは欠席を許す」と告げたので、もちろんこの権利をすべて行使したところ成績はギリギリ合格の「C」だった。確かに他に評価項目なかったもんね。

2年生の夏、ついに「基礎トレーニング2」の最後の授業を終えた私は「これで生涯、体育を受ける必要がなくなった」と心底、心から安堵した。

身体を動かすことは実は楽しいのかもしれないと納得して思えるようになったのは、30代も終わりの頃、本を速く読むための速読のトレーニングを受けたときのこと。

数多ある速読の流派の中で、私が選んだのは心と身体の関係を非常に重視するコースだった。ここでは、身体の柔軟性と知性の関係が説かれ、自分の情報処理システムを知るための試みとして、目をつぶって何歩歩けるかを計測する訓練や、同じく目をつぶって片足立ちが続けられる時間を測る訓練が行われる。心が乱れる瞬間に姿勢が傾き、片足立ちが破綻するのを体験すると、心と身体は表裏一体であることを実感する。

身体を動かすためには、単純に身体だけで練習したり、鍛えたりするのではなく、心の中のイメージと身体を同期させることが不可欠なのだ。体育やスポーツというのは、非常に知的な営みなのだと、40歳近くになって、やっと納得できた。

私が体育が嫌いだったのは、この心と身体の使い方を教えてくれる教師、指導者に会えなかったからなのだ。人の心とか情報処理システムとかとはまったく無関係の、身体だけの科目・種目だと信じて疑わなかったから、体育やスポーツがキライで、憎んで、バカにしていた。

しかし、こう気付いた時には既に身体を動かす機会が身の周りから失われていた。出会いとかご縁というのは、つくづく重要だし、怖い。

心と身体との関係に気づいてからさらに約10年、東日本大震災の翌年、50代が近づいた頃、体力の衰えを感じるようになった。このままだと、マズイなぁとぼんやり思う。今なら身体の動かし方を楽しんで学べるかもしれないとも。

すさまじく遅いけれども、私にとって身体を動かすべきタイミングが来たのかもしれない。競技スポーツより、簡単なルーティンのような動きで身体自体を鍛えることができる種目・場所の方がいいかな、と考えた。

職場の近くでトレーニングのできるジムを探す。行きあたったのは職場から徒歩15分ほどのところにあるデザイナーズ・マンションの一室。できたばかりの小さな筋トレのジムだった。オーナー兼トレーナーの男性とトレーナーの女性との2人でやっているらしい。大きなジムより、こんな小さなところの方が面倒見がよいかも。

メールで見学のための予約をとる。「2人だけでやっているので、至らないこともありますが」という回答のメールに却ってよい印象を抱いた。

初めて訪ねたジム。想像したようによい気が流れる部屋だった。私が話す運動経験がないこと、身体を動かすことが嫌いだったことを、2人は真剣に聞き、トレーニングのためのメニューを提案してくれた。

あぁ、この人たちになら、身体を動かす楽しさを教えてもらえるかもしれない。

「よろしくお願いします」

申込書を渡して、部屋を見渡すと、開業祝いにひとつだけ置かれていた小さな花束に

「小田和正」

と書いてあるのが目にとまった。私の視線に気づいた女性が

「小田さん、お好きですか。私、独立するまで小田さんのトレーニングをお手伝いしていて」

と教えてくれる。

確かに小田和正は還暦を越え古希に近づいても走りこみで身体を鍛え続けるアーティストとして知られている。そして、私は15歳のときからの小田さんの追っかけだったのだ。無名だったオフコースはたちまちビッグネームになり、小田さんはいつまで経っても遠いアイドルだった。目の前に、小田さんの身体づくりを直接サポートしていた人がいる。

ご縁、なのかな、と思った。

会社帰りのジム通いが始まった。仕事が遅くなっても、連絡を入れると時間をずらして待っていてくれる。簡単なストレッチや、軽いベンチプレス。

夜の静かなジムで女性トレーナーの指示で身体を動かしていると、オーナーが小田さんのCDをかけてくれる。

心と身体をチューニングするとこんなに気持ちがいいのか。殆ど生まれて初めての体験。このタイミングで、ここを選んでよかった。

2人のトレーナーは、優秀だったし、やり手でもあったのだろう。最初の数カ月は殆ど他の会員と会うこともなく、毎回パーソナルトレーニング状態だったのだが、徐々に、そして1年ほどしたとき、一気に会員が増えた。2人の機が熟したのだろう。

そこに集まってきたのは、本格的に筋肉を鍛える人々。

ジムで交わされる話題が「小田さん」から「プロテインならこれですよ」に変わった。ベンチプレスに待ち行列ができる。待っている間の会話も「次のベンチプレスの大会」や「日本で何位のコーチのところへ行ってきたこと」が話題となる。私は入っていけない。流れが変わったかな、と思う。

そういう本気で鍛えている人たちが持ち上げるときには、ベンチプレスに付けられる円形の錘(おもり)の大きさは直径50㎝以上が当たりまえ。それが左右それぞれに数枚ずつ取り付けられる。ベンチの左右には、挙げ損ねた場合の安全確保のために、2人ずつ4名がサポートにつく。
「がんばれ!」
「いける、いけるぅ!」
挙げる前から、周囲が盛り上がる。彼、彼女がバーを握り、これを挙げにかかると、場の緊張感が増す。

「ウオオオオオオ!!!」

気合を入れるためだろうか、あるいは、実際に力が入るのだろうか、男女問わず、広くはないジムに響く雄叫びをあげる人が少なくない。正直、ケダモノの叫びのようである。

錘の重さでバーがしなって見えることもある。紅潮する顔。あ、血管、大丈夫ですか?
周りも呼応して応援の声が増える

「よしっ! よし、よしっ!」
「そのまま、そのままっ」
「足忘れるな!」

ジムをあげての応援の中、バーを挙げることに成功しても、失敗しても、彼、彼女に対しては大きな賞賛が与えられる。素晴らしい。実際、見ていてこちらにも力が入る。

「次、ムライさんですね」

あぁ、これからひと仕事あるのだ。私以外のトライアルの際には-男女問わず-最低でも直径50㎝はある錘がいくつも重ねてバーに装着されている。私の順番になる途端、皆さんのご協力のもと、ワラワラとバーの両端から大きな錘たちがすべて外され、一旦はただの棒となったバーに改めて直径20㎝くらいの可愛い錘が一個ずつ左右に付けられる。

4名ついていた補助も、女性トレーナーひとりに切り替わる。もちろん安全確保のためには、ひとりで十分な重さなのだ。

ジムの壁の鏡に、我ながら貧弱な身体の私がベンチに横たわる姿が映る。前の人のトライアルを取り巻いていた緊張感は、みじんもない。

このとき、周囲の人びとは決して私を嗤ったりしてはいない。みんな大人なのだ。学生時代とは違う。冷静に考えれば、それは心底わかるのだ。むしろ、挙げる重さに関係なく、同じジムの仲間として、声こそ掛けないが応援してくれているのだ。

しかし。しかしながら、私の心中は、穏やかではない。桁外れに軽くなった錘とバーを、それでも挙げかねるのが私だからだ。

大会出場のために練習しているムキムキの人たちにとって、私のトライアルは見ても参考にもならないし、休憩時間ならまだしも、邪魔ではあるまいか、と心がどんどんダークサイドに傾いていく。あ、この感覚。昔と一緒だ。

「ムライさん、いいですか」

女性トレーナーから声がかかる。

「はい。お願いします」

彼女の補助でゆっくりバーが留め金から外れ、バーの重さが腕と胸にかかる。既に腕がプルプル震える。

「はぁ。あぁっ……」

「足、踏ん張って。左右のバランス!」

雄叫びなどとてもあげられない。我ながら切ない吐息しか出ない。

「あっ。ふ、ふぅっ……無理、無理です」
「はい。戻します」

冷静にトレーナーがバーを定位置に戻して、私のトライアルは終わる。我ながら早っ、と思うが、限界なのだ。

次の人の順番となり、再びバーに大きくて大きな錘が数枚、厚く取り付けられる。場が盛り上がり、また雄たけびが上がる。

このジムは、私の居場所ではなくなったのだな。数週間後に退会を申し出た。

「ムライさんが、ムッキムキになって、夏にタンクトップで会社に行って、みんなをびっくりさせるの、僕、ほんとに楽しみにしてたんですよ。また、気持ちが盛り上がったら是非来てくださいね」

オーナーが、多分本気でそう告げてくれた。いい人なのだ。

今、そのジムは筋肉自慢の男女が、鍛えた身体の美しさを競う相当大規模なコンテストを主催するまでにビジネス的に成長している。独自ブランドのサプリメントやらプロテインも展開しているようだ。

私があそこに戻ることはないだろう。けれども、マンションの一角の小さなジムで、とっぷりと暮れた夜空を窓越しに見ながら、小田和正のアルバムの流れるなか、2人のコーチに見守られて穏やかに筋トレができた日々は、私の体育・運動的人生の中で本当に数少ない、輝く、暖かく、懐かしい記憶として残る。

一昨年には、テレビで見たウォール・クライミング-その番組では確かボルダリングとして紹介されていた-壁を登る競技に惹かれた。自分のひとりの体重を支えるくらいはできるのではないか、と思いこんだ。これなら自分のペースで身体を動かせるのではないか。都内で小規模のジムを探す。筋トレのときの経験から、小さなジムの方が雰囲気が良いだろうと考えたから。初心者向けお試しコースのあるジムを探し出し、早速予約を入れる。

私は、性根はグズなのだが、ツボにはまりそうなものがあるときには、やたらと行動が速くなる。いつもは考え過ぎて体が動かない方なのだが、時に後先考えずに動き、よいご縁をつかむこともあれば、痛い目にあうこともあるという、因果な性分である。

会社帰りに、おそるおそるジムの扉を開ける。

小規模だという見込みは当たっていたが、それはジムの広さだけのことだった。中には結構な数の人が集まっている。そして、若い! ぱっと見た瞬間、彼らの頭がみんな黒くて、フサフサなのが眩しい。20代から30代前半ばかりだ。

こ、これはしくじったか。

受付の女性が声をかけてくれる。

「予約の方ですね。初めてなので、お話を伺います。こちらへ」

ちょっと埃っぽい床にぺたっと座って、申込用紙に氏名、年齢、住所あたりを書きこみ、インタビューが始まる。

「あの……お歳がお歳だけに伺うのですが」

あー、やっぱり50歳を超えてたら、ムリですか。そうですよね。後先考えずに動いたのが裏目に出たか。

「これまで何かスポーツはやられていましたか」
「いえ、やったと言えるようなスポーツはまったく」

この点は自信たっぷりに答える。

「壁を登って、降りて頂くのが基本ですが、最後にはある程度の高さから飛び降りて頂きます。腰に故障はありませんか」
「それは大丈夫です」
「どうしてボルダリングにご興味を?」
「簡単で、楽しそうに見えまして……」

人の気持ちの動きには妙に敏感な私は、ジムの女性の心に

「ボルダリング、舐めんな」

という想いがかすかに萌したのを感じ、ごめんなさいをして帰りたくなった。
ひととおりの説明を受けて、壁にはりつく。

「重い!」

自分の体くらいは自分の手足で支えられると思っていた。しかし、垂直の壁に埋め込まれた石を手掛かりに、床からわずかの高さで壁に張り付くだけで、手と腕に相当の負荷がかかる。

女性から指示が飛ぶ。

「右手で青い石をつかんで……もっと上です」

壁にイモリみたいに張りつくだけでも大変なのに、さらに右手を動かすのは、ものすごくエネルギーを使う。

「右足を赤い石に。違います! その右上です。もっと膝をあげて」

数ステップの手足の動きで足の高さは床から1メートルほどに上がった。

高い! そうだ、高いところ、そんなに好きではなかったのだ。

さらに天井を見ても、下を見ても恐怖が募る。

「顔を下げないで!」

もう、降りたいけれど、この高さでも飛び降りるのは怖い。確かに、腰やっちゃうかもしれない。

私の怯えを感じ取ったのか、ジムの女性の指示に厳しさが増す。

何とか天井近くのホールドに辿りつき、再び指示に従って手足を移動させて壁を降りる。

「はい。そこから両手両足で壁を弾くようにして、飛び降りて下さい」

なるほど腰、大事ですね。「腰、大丈夫ですか」と3回くらい聞かれた。

このトライアルを、女性の指示で数回繰り返す。想像をはるかに超えて体力が失われたのがわかる。

「お疲れのようですので、早めですが、今日の練習はここまでにしましょう」
「あ、ありがとうございます」

「トレーニングが進むと、手足の順番をご自分でプランして頂くことになります。周りをご覧になって下さい。みんな、床に座って壁を眺めてますよね? あれは、休憩しているのではなくて、自分の頭の中で登って降りるコースをイメージしているんです」

あぁ、これ、心と身体の同期をとる種目だったのか。テレビでちらっと見ただけなのに、一目で気に入っちゃって、後先考えずにここに来ちゃったのは、これを知るためだったんだな。

ボルダリング、すごく、やりたい。すぐに道に迷うくせに地図を読むのは好きな私には、壁の地図を辿るのは心躍る体験。けれど、おそらく身体がついていかないだろう。落下の現実的なリスクも無視はできない。地図好きのくせに、方向感覚が著しく鈍いのと同様、実践するのは難しいだろう。

「今日は楽しかったです。ありがとうございました」
「初心者用トレーニングコースはあと2回ありますので、ご都合のよい時間をご連絡ください」

私が再び壁に登ることはなかった。

心と身体との関係には、今でもとても深い関心を抱いている。おそらく私が生涯を通じてあれこれ検証し続けるテーマだろう。スポーツや体育というのは、この検証のための非常に重要な素材であることは間違いない。

けれども、私が自分の身体を使って実践するには遅い。

「ものごとを始めるのに遅いということはない」「いや、やはり適切な時期というものはあって、一定の年齢を過ぎたら水準を超えることはムリだ」という議論が様々な分野で交わされている。

どちらも真実を含んでいるとは思うのだけれども、身体を使う種目については、然るべき時というのはあるように思う。

嫌いだった、体育。遅れて気付いた、心と身体の関係。やはり遅れてやってきたいくつかの運動・スポーツとの出会いと別れ。そのあれこれを振り返ると、つくづく出会いの重要性を思わずにいられない。

私の限られた経験の範囲で体育教師の悪口をあれこれ書いてしまったけれど、私の学生時代の体育教師という人たちには、個々の子どもの個性、特性、得手不得手、何が上達のボトルネックになっているのかを見るという発想が、他の教科と比較して、なかった、あるいは少なかったのは確かだと思う。

教師のみならず、親や指導者、先輩から身体の動きと心との関係をもっと早くに教えられていたら、私の体育人生もずいぶんと違ったものになっていただろう。

今では、子ども向けに体育の家庭教師や塾がビジネスとして数多く存在するのだという。当然、体育の授業法も昔よりはきめ細かいものとなっているのだと信じたい。

今の体育教師の皆さんには、ぜひ私のような「間に合わなかった」大人を生まないための教育を切にお願いしたいと思う。

今の子どもたち、これから生まれてくる子どもたちが、よい出会いに恵まれて心と身体との関係に早く気付いて、身体を動かす楽しみを失わないように、願っている。

と言いつつ、あきらめの悪い、永遠にチャレンジャーである私も、面白そうな種目に出会ったら、また教室とかジムを、よい体育の先生との出会いを探すことになるのだろう。

見苦しく見えても、50歳を超えてあれこれの出会いを信じているので。まだ見ぬ体育の先生、その時にはどうぞよろしくお願いいたします。

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