プロフェッショナル・ゼミ

オジサンだって読モになりたい《プロフェッショナル・ゼミ》


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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事:山田THX将治(プロフェッショナル・ゼミ)

イチロウは、小生の友人だ。
通算安打世界記録を持つ、現役メジャーリーガーの鈴木一朗(イチロー)選手のことでは勿論ない。
友人イチロウは、生まれた当時(昭和中期)の有名政治家から名付けられたそうだ。小生とは、中学時代からの友人だ。少年期から、堀の深い顔立ちをしており、今風の‘イケメン’とは少し違うが、とてもハンサムな男だ。
背丈はさほど高くは無いが、女の子にはやたらとモテた。
呆れるほどモテた。
周りが妬けるほどモテた。

イチロウはその風貌からか、大変オシャレには気を遣っていた。毎月「メンズ・クラブ」(月刊誌)を購読していたくらいだった。
当時の「メンズ・クラブ」は、まだ数少なかった男性ファッション雑誌で、しかも、現行の同誌とは傾向が全く違っていた。ファッションは、流行とともに変化する物だが、「メンズ・クラブ」の創刊間もなかった当時は、一貫してアイビールック(アメリカントラッドと同意)を掲載していた。小生が、今でも着用している服が、だいたいその傾向なので、御逢いした事が有る方は、世代が違ってもその傾向がお分かりだろう。
時に、第二次VANブームだった。小生達も、VANの買い物用紙袋を、セカンドバッグの代わりにして持ち歩いていた。流行なので、当然と言えば当然だった。

その「メンズ・クラブ」に、“街のアイビーリーガーズ”という毎月恒例の特集が組まれていた。日本中の主だった街で、御洒落を意識した若い男子の写真を撮り、紙面で紹介するコーナーだった。毎月の特集の記末に、次々号の撮影場所が記載されていた。
“読者モデル”なんて言葉が、未だ世に存在しなかった当時、ファッション雑誌に登場する方法はそれしかなかった。
日本一のモテ男を目指していたイチロウは、小生等を誘い“街のアイビーリーガーズ”に出ようと言い出した。まだ子供だったが、そう言う事には知恵が回るもので、銀座・横浜はハードルが高そうだから避けようとか、無駄な交通費は掛けられないので、撮影場所が近場になるまで待とうとか話し合った。

小生等が中学3年生の時、11月の撮影場所が吉祥寺と発表された。
「ここしかない!」
イチロウの鶴の一声に、小生達も同意した。普段の勉強や部活では、なかなか見ることが出来ない真剣さで、“読モ”になる為の策を考えた。
先ずは、何を着ていくかだ。みんな揃いが理想的だったが、使える小遣いの額に差が有り、折衷案は出なかった。仕方なく、ブルーのシャツと先日揃いで買った(何で購入したのか理由が思い出せない)レジメンタル・ストライプのタイだけ揃えることに決まった。後は各自の小遣いとセンスを、フルに使って勝負しようとした。

11月の第二日曜日、小生達は予定通りに吉祥寺に集合した。みんな乗り気だったのだろう、珍しく遅刻してくる奴(特に小生)は居なかった。お約束の、ブルーシャツとレジメンタル・タイで揃えてはいるものの、各自思い思いに個性を出そうとしていた。
小生は、数か月前に年上の従弟からもらった、と言っても本当はねだり込んで無理矢理入手した赤いスイングトップ(『理由なき反抗』でジェームス・ディーンが来ていたような上着)と、何で持っていたのか失念したが、N.Y.ヤンキースのキャップを被っていた。
イチロウは、何と赤いブレザー、それも新品を着て我々の前に現れた。元々裕福な家庭のイチロウだったので、新品を着て来ること自体には驚かなかったが、どこで手に入れたのか“赤い”ブレザーを着てくることは、想定外だった。
「ブレザーの語源は、赤い上着から来てんだぜ。だから、今日の俺は正解なんだ」
などと、「メンズ・クラブ」で仕入れたであろう蘊蓄(うんちく)を言っていた。
小生は腹の中で、今日もイチロウに完敗だと思い、早くも白旗を掲げていた。
何といても、ただでさえハンサムな上に、赤いブレザーはとても目立っていた。
しかし、これなら「メンズ・クラブ」取材班に、直ぐ見付けてもらえると楽観もしていた。

想定外の事が起こった。
天気が、急に下り坂に掛かったのだ。前日の天気予報を見て、全員傘は持って来ていた。中学生でも、その位の知恵は有る。しかし、雨が降れば外での撮影が出来ないことまでは、想定出来ないでいた。いくら大人びていてもまだ、子供だったのだ。
撮影隊は、告知されていた、その頃出来たばかりだった丸井の脇から、井之頭公園辺りには居なかった。いくら歩き回っても居なかった。
仲間の一人が、
「雨だから撮影出来ないんじゃないのか? サンロードに行ってみようぜ。あそこなら、アーケードが有るから居るかも知れない」
半ば強引に提案してきた。
サンロードは、吉祥寺駅前の商店街だ。あの“小ざさ”さんが店を構えていることで、今や天狼院では有名なところだ。
小生等は、撮影の残り時間を気にしながら、急ぎ駅の反対側へ回ってみた。
余りに急いだ為、仲間の一名が濡れた歩道に足を取られて転んでしまい、自慢のチノパンが泥だらけになってしまった。彼は泣く泣く、戦線を離脱していった。

サンロードに急行した小生達は、それこそ必死になって撮影隊を探した。
サンロードの奥の方、今は無くなってしまったが映画館が多く建っていた辺りで、イチロウが撮影隊を発見した。
小生達は、撮影隊の周りをウロウロしながら、声が掛かるのを待った。待ちながら、想定外の光景を目にした。
撮影隊は、次々にお洒落な若者に声を掛けていたが、その殆どがアベック(今で言うカップル)ばかりだった。集団で居る中学生(最低でも、高校生には見えたはずだが)に、お声が掛からなくて当然だった。もう少し成長していたなら、近くに居る女の子をナンパし、急造のカップルとなる試みも出来たが、それには未だ5年ほどの年月が必要だった。

「俺、一人で頼んでみる」
そう言い残すと、イチロウは撮影隊の方に向かっていった。残された小生等は、少し離れた場所で見守っていた。
イチロウは、普段の生意気そのものの態度と違って、頭を下げながら撮影隊に何事か話していた。そうこうする内、イチロウが何事かポーズめいた格好をし始めた。そのイチロウに向かって、盛んにシャッターを切っていた。撮影が終わると、横に居た記者が、盛んにイチロウと話しをしながらメモを取っていた。
小生達は、15分程だったろうか、ただただ待っていた。戻ってきたイチロウは、満面の笑顔で「これでメンズ・クラブに載るぞ!」とはしゃいでいた。

二か月後、発売された「メンズ・クラブ」の“街のアイビーリーガーズ”巻頭に、イチロウの笑顔が有った。プロの腕によるものだろう、いつに増してハンサムなイチロウだった。
まさに、仲間内に“読者モデル”が誕生したのだ。

この話は、これで終わりではない。

現代では、“読者モデル”が芸能界へのステップの一つになっている。
遡る事40年、イチロウはそれを先取りした。
イチロウが「メンズ・クラブ」に載った1年半ほど後、有名プロダクション“J”‼‼‼から連絡が有ったらしいのだ。一度事務所へ面接に来いと言って。
“J”は、誰でも直ぐに頭に浮かぶ、あの“J”である。例の写真で、イチロウを見染めたらしい。それからのイチロウは、それこそ夢見がちになった。

イチロウが面接に行った次の週明け、皆でその結果を聞き出した。
結果は合格。暫くレッスンに通うようにと言われたそうだ。驚く小生等を尻目に、それからのイチロウは、真面目にレッスンに通い始めた。元々あまり勉強が出来る方ではなかったので、きっぱりと進学は諦めた様だった。

小生等が、無事大学に進み二年に進学した頃、イチロウのデビューが決まったとの噂が立った。なんでも、Fという3人組の一員としてらしかった。イチロウ並みのハンサムな3人の若者は、“J”の強力なバックアップがあってか、順調にステップアップし、遂に日曜夕方NHKの歌番組のレギュラーを張る迄に出世した。
まさに、あれよあれよという間だった。
イチロウは、大好きだったアイドルのM.K.と共演出来ると言って喜んでいた。
小生は、その頃アルバイトしていた学習塾の生徒が、イチロウの写真を見ながら「格好良い!!」なんて言っているのを、側で「そいつ、俺の同級生」と言ってやりたいところを、ぐっと堪えていた。何故なら、そのころ既に20歳になっていたにもかかわらず、イチロウの年齢が18歳とサバ読まれていたからだ。芸能界ではよくある“J”の方針らしい。今でもそうだが、アイドルのデビューはティーンエイジでなければならないらしい。
アイドルグループFは確か、年末に行われる何かの歌謡祭で、新人賞も獲得した。

1年半ほどすると突然、イチロウとFは、例のNHKの歌番組を卒業した。その後、別のテレビにも雑誌にも出なくなった。グループは解散したとの小さな記事を、小生はスポーツ新聞の芸能欄で発見した。
たったこれだけが、イチロウの華やかな経歴となった。
グループ解散の理由を、後にイチロウに問うてみた。
「何も聞くな」が、その答えだった。
多分、いや、間違いなく他言してはならないことなのだろうと思った。40年近く経った今でも、不明のままである。

その後イチロウは、結婚し奥さんと二人で小さな焼き鳥屋を、日比谷で今でも営んでいる。開店以来、10人も入れば満席になろうかという小さな店だ。あの、派手好きで何事も長続きしなかったイチロウが、長年一つの仕事を淡々と続けているなんて、何が有ったのだろう。
起業して、一財産築いた友人は何人か居る。大企業に就職し、出世していた友人も居る。
しかし、イチロウの様に一つの小さな店を、大きくもせず多店舗展開もせず、ただただ続けるには、他人に真似が出来ない何かが必要な筈だ。それをイチロウは持っているのだろうと、最近になって感じる事が有る。
実際、焼き鳥に振る塩を、それこそ粒数を数える様な真剣な顔で行うイチロウを見ると、増々そう考えてしまう事が有る。

イチロウが友人で居てくれて、小生はラッキーだと思う。
イチロウはいつでも、酒が呑めない小生が顔を出しても歓待してくれる。
イチロウの店に行くと、約束もしていないのに、旧友の誰かが居たりする。
イチロウの経歴からか、時にビックリする様な有名芸能人が、焼き鳥屋に顔を出したりする。

そんな空間を、30年以上も守り続けたイチロウ。
彼は間違いなく、小生の人生に居てくれたことを、誇りに思える一人である。

暫くイチロウの所に行ってないが、そろそろ顔を出してみようか。
そして、あの解散は何だったのか聞いてみようか。
そろそろ、教えてくれても良さそうな頃合いだ。

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