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「社会」を生き抜くために武装せよ!


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:牛丸ショーヌ(ライティング・ゼミ平日コース)

「資格をとる理由は何ですか?」
「そこに資格があるから……」

ぼくは背筋に悪寒が走りそうなこのセリフを15年前、本気でカッコいいと思っていた。
何てウイットに富んだ理由なんだろうと。

僕には「資格」をとらなければならない理由があった。
1997年春。
大学入試に失敗し、浪人生になることを嫌い、滑り止めの大学に進学することを決めた僕は、大学4年生だった兄から助言を受けることになる。
「就職活動のとき、サークルじゃなくて、スポーツ部に入っていないと苦労するぞ」
実際に兄は、九州で最難関国立大学のラグビー部キャプテンという肩書で、平均年収ランキングベスト10に入る企業からの内定を続々と獲得していた。
社会に出れば自営業や起業するわけではなければどこかの会社組織で働くことになる。
組織では規律が大事だ。
「個」を抑えないとならない時もある。
会社の方針で、上司の指示で動かなければならないことが、たとえ理不尽と感じても往々にしてあるものだ。
学生時代にサークル・部活などの団体の中で経験さまざまなことは、社会に出てもそのまま通用することが多いことはそのときの僕でも分かっていた。
幼い頃からスポーツしかしてこなかった僕は心を決めた。
「よし、せっかくだから大学からでも始められるスポーツにしよう!」
兄の助言に従うことにした。

アメリカンフットボール、フェイシング、アイスホッケー。
選択肢を3つに絞り込んだ。
その中でも全く未知の世界である、アイスホッケーに入部することに決めた。
なんせ、スケートすらろくに滑ることができなかった。
それが逆に面白いと感じた。
自分が成長する過程を楽しめるのではないか。
そんな甘い幻想を抱いていた。
現実はそんなに甘くない。
部では特待生(経験者)を受け入れていて、1年生からすでに将来のレギュラーは決まっているようなものだった。
それでも希望を持っていた。
「自分の身体能力はどのスポーツでも通用するはず」
根拠なき自信を胸に、日々練習に勤しんだ。

陸での練習ではそこそこのパフォーマンスを発揮できたが、氷上ではうまくいかなかった。
スケーティングテクニックを学び、ある程度は滑れるようになっても防具を装着するとまるで思うように動けない。
それに加えて深夜のアイススケート場を貸し切っての練習が多く、朝の講義に出席することが体力的に苦しくなった。
その結果、当然のように1年生が終わったときの単位は散々たるものだった。
僕は部活を1年で退部した。

学歴コンプレックスを抱え、意気揚々と入部した体育会系の部活も途中で退部。
いまさらサークルに入る気力もない。
そして肝心かなめの単位を落として、留年の危険性すらある。
友人も少なく、人と話すことも苦手。
19歳の僕は精神的にどん底だった。
大学の構内を歩いていると、周りの学生たちの楽しそうな笑い声が聞こえた。
「学生」という特権を最大限利用して人生を謳歌しているように見えた。
考えれば考えるほど「生きる」ことが無意味なものに思えてきた。
タナトス(死への欲動)に魅了されたこともあった。

このころ僕は哲学書などの小難しい本を好んで読んでいた。
歴史に名を残す偉人たちが人生を生きるうえでのヒントを何か残しているのではないか?
読み漁る日々。
しかし、「答え」はなかった。
分かったのは偉人たちも「生きるとは何か?」人生を賭して考えたが、明確な「解答」は見出せなかったという事実。
僕はいつしか「悩む」ことを止めていた。

何か明確なきっかけがあったわけじゃない。
「恩師」と呼ぶような存在の方から助言を貰ったわけではない。
「本」や「映画」に感銘を受けたわけでもない。
両親にも、尊敬する兄にも相談しなかった。
「このままじゃダメだ」
ただ、そう思った。
人生を立て直さなければならない。
まだ、何かできるはずだ。

約2年後に始まる就職活動戦線で「武器」が必要だった。
「アピールポイントは何ですか?」
そう訊かれたときに、自信をもって答えることができるものを身につけなければならない。

まずはこの自分の人間嫌いを矯正しなければならない。
そのためには他人とイヤでも話さなければならない環境に身を置かなければならない。
それから僕はアルバイトを30種類以上こなすことになる。
一時期4つを掛け持ちしていたこともある。
早朝の新聞配達、NHKのパラボラアンテナ調査員、家庭教師に建設現場での作業。
学習教材の訪問販売では月○十万稼ぎ、携帯電話の仲介者も経験した。
自分が成長できそうで面白そうな職種には片っ端から応募した。
友人や先輩、後輩と日常にコミュニケーションがない僕は、アルバイトを通して足りない経験を補っていった。

しかし、経験は目に見えない。
○○部の部長をやっていた肩書きは事実として勲章のように残るが、「経験」はせいぜい会話のネタ程度にしかならない。

何かないだろうか?
僕は高校生のときに唯一取得した資格の「漢検3級(略称)」を想い出した。
「資格」は勲章として「かたち」に残るものだ。
「よし、これだ!」
資格武装をする。
これに僕は「望み」を賭けたのだ。
「資格」という武器を手に足に、身体中に装備して、就職活動という戦場を闘って生き抜いてやる、僕は強く自分自身にそう思った。
そこから、僕の「資格道」が始まることになる。

大学2年時には不動産業に就くうえで必須の国家資格に一発合格を果たした。
「資格試験に受かるための勉強方法」のコツを掴み、波に乗った僕は、それからも貪欲に試験を受け続けた。
気がつけば、就職活動が始まる3年生が終わる頃に10の資格を有していた。

「就職活動」という戦場に出るための心構えは万全だった。
大勢が竹やりを持って、戦場に出ている中で重装備をしている

履歴書欄に記載された資格名の羅列は、企業の人事面接官には新鮮に映ったのだろう。
面接では必ず「スゴく沢山の資格を持っているね」と話題のネタになることが多かった。

まだ、「資格マニア」などと言った言葉が無かった時代。
就職氷河期といわれた、2000年6月。
僕はあっさりと苦労もせず、内定を貰えることができた。
約2年間、信じてやってきたことが肯定されたようだった。
「お前がやってきたことは間違ってなかったんだよ」と。

本来「資格」は弁護士や医師のような専門資格職業である「士業」を筆頭に、働くために取得しなければならないものだった。
それが「英検」「漢検」の知名度が上がるにつれて、「知識」を証明する資格が、雨後のたけのこの如く登場してきたように記憶している。
その後、「資格」を取得して就職することが当たり前になり、資格スクールが隆盛を極めた。

内定を貰えたという成功体験を経ても、僕の「資格」に対する情熱は一向に冷めなかった。
いや、むしろ過熱していった。
内定を貰ったあとも、就職してからも、試験を受け続けた。

僕の「知識欲」はとどまることを知らず、頭の中で、いつのまにか何か知らないことがあれば、「知りたいことに関連する資格」を取得すればいいという思考回路ができあがっていた。
資格試験に合格し、数が増えることで自己満足に浸り、僕は自分の精神を保っていたのだ。

女性しかいない中の「ハーレム状態」で受験した「秘書検2級」。
5回目でようやく合格した「AFP(現FP技能検定2級)」。
仕事の取引先で興味を持って、全く無活用の知識であった「アマチュア無線4種」。
ネット上で受験した「考古学検定初級(現考古検定)」。
企業の新商品に名前をつける「ネーミングライター」。
温泉マニアのための知識の証明「温泉ソムリエ」。
あしツボマッサージ資格の「中医リフレクソロジー」。
師匠からの免許皆伝方式で取得した「占い師初級」。

「資格、何もってるの?」
今まで一体何人の方々からそう言われてきたことか。

仕事上、会社から強制的に取得させられたものも含めて、何となく数えてみると、僕の資格は47個にまで増えていた。
いつしか「都道府県と同じ数の資格をもつ男」というキャッチコピーを自ら自虐的に使うようになっていた。

2017年現在。
時代は変わった。
ネットの普及により、弁護士や医師の平均年収は、実はそんなに「高くない」ことが知れ渡り、業界の内幕も報じられるようになると、受験者数は年々減少していった。
テレビやマスコミ、文壇でも資格を持っている人間に対する目は好意的でなくなってきた。
「意識高い系」や「資格貧乏」など、資格保有者を揶揄する言葉も認知されてきた。

僕はこのように、自らが資格をとり続けることによって、10年以上にわたり「資格」を取り巻く、世間の移り変わりを目の当たりにしてきた。
その中で、「資格」の話は酒の肴になることもあるが、「資格」に価値を置いていない人たちも世の中には大勢いることも知った。
価値観はさまざまだ。
「資格」を持っていることでプラスとマイナスの二面性があることを学んだ。

僕は妻から「その資格をとって、何かの役にたつの?」と指摘されたことをきっかけに、お金と時間、そこに傾注する情熱を他のことに使えないかと考えたうえで、きれいすっぱりに受けることを止めた。
こうして、8年ほど前からすっかり資格試験を受験することもなくなってしまっていた。

つい先日、ネットニュースで新社会人になることを「懲役40年」と評したSNSが話題になったとの記事を読んだ。
就職して「会社」という組織に属することを「懲役刑」と揶揄したものだが、僕は純粋に発した人物は「上手い!」と感じた。
就職すること、社会に出ることは学生から見れば世界が一変することだ。
社会の荒波は厳しい。
なまやさしいものではない。
身体を壊すかもしれないし、精神を病むかもしれない。
社内の人間関係に悩み、同期との出世競争に負けるかもしれない。
ときには、行きたくない飲み会に付き合わされる日もあるだろう。
取引先から、又はお客様から理不尽なことを言われる日だってある。

しかし、それ以上に楽しいことがある。
「社会」の仕組みを知り、見識を広め、人間を学べる。
そして、時間は「有限」だということを知る。
父や母が必死に働いて自分を養ってくれたことが理解できるようになる。
1つ1つ仕事を学び、経験が積み上がり、自分が成長するのを実感する。

こんなにも「社会」に出ることは学びが多い。
そして希望に満ちている。
それなのに、囚人のように過ごすなんて何ともったいないことだろうか。
「就職」することを「懲役」などと嘆く前に、自ら武装することを考えたほうが余程いい。
社会に出ても努力は続けなければならない。
自分の未熟さを知り、「何が」足りないかをじっくり考えたうえで、正しい方向に努力することが重要だ。

武装のやり方は人それぞれだ。
僕のように「資格」という武器を持ち、装備を充実させるだけでなく、「知識」や「経験」なのかもしれないし、人間関係を円滑にするための「対人能力」なのかもしれない。
必要なスキルを身につければいい。
そうやって、常に留まることなく、何がそのときの自分にとっての「武器」なのかを考えて、努力する姿勢が「人生」を豊かにすると信じている。

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2017-04-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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