真夜中散歩と幸福切符《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:あかり愛子(プロフェッショナルゼミ)
シャワーの時、背後に誰かいる気がしてしまう。
(だから怖いのに何度も無理やり目をあけて振り向く)
歯磨きしながら、つい鏡から目をそむけてしまう。
割としょっちゅう、金縛りにあう。
以上のことは、別に「これから心霊話をしますよ」というお知らせではない。
「私はとにかく怖がりなんですよ」という自己紹介である。
(え、3つ目は違うんじゃないかって? 突っ込まないでくださいね。怖いから)
特に、暗いところに潜む何かの気配、というものに弱い。
その怖がりっぷりは、子どものころから変わらなかった……はず。
夜中にトイレに行くのが怖くて年子の妹を起こしていたら、次第にお金を要求されるようになり、しまいには一回500円にまで高騰したというエピソードを作文に書いたのは、確か小学校3年の頃だった。
だから、今でも不思議に思うのだ。
あんなに暗がりとおばけが怖かったのに、夜な夜な布団を抜け出して、真っ暗な町に散歩に出ていた日々のことを。
当時私の家族は、なかなか巨大なマンションに住んでいた。
密集した団地に屋根が付いたようないびつな形のマンションは、建物内に何基もエレベーターがあって、一番離れたところにあるエレベーターには、住んでいた間一度も行ったことがないほどだった。そこには生まれた時から住んでいて、引っ越したのが13歳の時。子どもの目を通して見ていたから、実際以上に大きく感じられたというのもあるだろうけれど。
それでも迷路みたいなマンションには、それだけ暗がりも多かった。ふと気づいて見つめてしまうと、ひょいと吸い込まれてしまいような闇が、昼間でも薄暗いマンション内のそこかしこに存在した。
だから、最初に外に出た時は、よっぽどの事情があったのだ。
その、事情については覚えている。
単純に、読み終えた本の続きが読みたくなったのだ。
小学校5年の時だ。当時は、塾の帰りに、遠回りして本屋に寄るのが楽しみだった。そこは住宅街にある本屋にしては大きく、様々なジャンルの本が一通りそろっていたこと、そしてなんといっても夜遅くまで開いているのが魅力の本屋だった。なんと、朝の9時半に開店するのに、夜中の2時まで開いていたのだ。
さて、買っていた本を夜眠る前に読み終わってしまった私は、なんとしても続きが欲しくなった。コバルト文庫かなにかの少女小説のシリーズものだったと思う。明日では遅い。学校も塾も終わってからなんて、我慢できない。パジャマを着込んで布団の中で逡巡しかけ、ふっと思いついた。
――今から行けば、いいんじゃないの?
時刻は23時。あの本屋は確か午前2時まで開いている。今からこっそり家を出て行っても、夜中の0時には着くと思われた。
――これ以上の名案はないんじゃない!?
思いついたらすぐさま、その熱を抱えたまま私は布団から出た。
2段ベッドの下で、年子の妹が身じろぎしたかもしれないが、まさか姉がこれから外出しようとしているなんて思いつくはずもない。頭のどこかが止まったようにぼんやりしたまま、淡々とパジャマの上にコートを羽織り(冬だった)、ポケットに財布をねじ込んだ。家と自転車の鍵を持ち、部屋を出かけたところで思い出してベッドに戻る。掛け布団の下にぬいぐるみを入れて、なんとなくふくらみらしきものを演出する。
幸い、子どもの部屋は玄関の真横にあった。廊下の先のリビングからはテレビの音がかすかに漏れ聞こえている。そして、子どもにとって恐ろしくてたまらなかった父親の部屋は、その、さらに先だ。リビングの奥、ぶあつい防火扉のもっと奥。
冷静な状態だったら、やめていたと思う。
母親が寝る前に子どもを見に来ることも知っていたし、父親が今にもリビンングまで出てこないともいえなかった。
けれどその時の私はまったく冷静ではなかったので、ひたすらに本の続きを読みたくて、ふらふらとドアを開けて、静かにしめて、出て行ったのだ。
さすがに普段使いの靴は持ち出さないことと、エレベーターを使わないくらいの判断力はあったので、靴箱からよそ行きの靴を出して、足音をひそめるために裸足で階段を降りて行った。蛍光灯の光に白い床が照らされている屋内階段は、昼でもうっすらと怖かった。踊り場の向こう側に、誰かの影があるんじゃないかといつも怯えていた階段だったのに、その時はただぼんやりと足を運んでいたら、あっという間に7階から1階まで着いてしまった。
自転車置き場は、マンションを奥に進んで暗い廊下を抜けた先から外に出ないとたどり着けない。昼間、ときたま変質者が紛れ込んでいるほど隙だらけの廊下だったけれど、そこも私は上の空で歩いて行った。
無人のマンションのロビーの奥に待つ広い階段、そこに至る長い長い廊下。
光沢のある、深い赤色の廊下を、革靴の底をコツコツいわせながら歩いていく。
ひときわ暗い階段を登りきり、外に出た時、びゅううと、強い風に包まれたのを覚えている。乾いた、冷たい風。私を、この冷たい風から守ってくれていた建物は、今私の背後にある。
もう、属していない。
そこで初めて、腹の底から実感が沸き上がってきたのだ。
――私、いま、たった一人だ!!
鼻から冷たい風を吸い込むと、それを取り入れた体の奥まで空気のように軽くなっていく気がした。
一直線に自転車を取りに行き、人通りもまばらな通りに滑り出ていく。
誰もいない。
誰もいない!」
私が普段、出会うような人は、誰もいない!
本への熱っぽい期待と同時に、初めての夜の散歩をどこかクリアになった頭の一部分で感じながら、本屋までの15分を無心で漕いだ。
勢いのまま、シリーズものの文庫本を買えるだけレジに積んで、奇妙に明るい店内を新鮮な気持ちでうろついてから、店を出た。本屋で咎められることはなかった。当時、小学生にしては身長が高かったので、子どもだと気づかれなかったのかもしれない。
わくわくしながら真っ暗い塾の前を通り、飲み会帰りのサラリーマンが妙なおたけびを上げるのを避けながらマンションに戻る。高揚したままステップを踏むように暗い廊下を抜けて、階段を一気に7階まで駆け上がる。念のため本を入れた袋はいったん外に置いておいて、裸足になって注意深くドアを開ける。内側に滑り込んだらもうこっちのものだ。
――見とがめられたら、屋上に星でも見に行ったとでも言えばいいんだし。
幸い両親に見つかることもなかったので、そのまま布団に潜り込む。
冷たくなった頬と対照的に、足の先は熱くほてっていた。
その夜、たっぷりと用意された本の続きに囲まれて、昂った気持ちのまま布団の中で、なんだかとても幸せな気持ちに満たされていたのを今でもうっすら覚えている。そこまでして買ってきた新刊を読んだかどうかは全く覚えていない。
おそらく、その夜のことが、強烈な成功体験になったのだ。
私はちょくちょく夜中に家を抜け出すようになった。
行先は全て本屋だった。他に行く場所がなかったとも言える。
そもそも門限が厳しかったので、塾の帰りでないと(つまり帰宅時間をごまかせる場合じゃないと)本屋には行けなかったし、塾帰りだって必ず行けるわけではなかった。それも大きな要因だったのだろう。
――いいよーだ別に。夕方に行けないのなら、夜中に行けばいいんだから。
帰る時間も気にしないで、たった一人で切り離されて。
誰にも秘密の遊びは、本当に魅力的だった。
マンションの暗がりも気にならなかった。
数年が過ぎ、夜中の散歩がもはや日常になってきた頃、唐突にそれはよみがえってきたのだ。
暗がりの恐怖。
いったん我に返ると、どうして昨日まで平気だったのかわからなくなった。
とにかく怖い。
階段の踊り場が怖い。
マンションのあちこちにある、エレベーターに伸びる小さな通路が怖い。
大きな階段の奥、見通すこともできない暗闇が怖い。
外に出てしまえば解放感に麻痺するためか怖さは和らいだが、一番怖いのは帰ってくる時だった。親に見つかったらどうしようというスリルに加えて、今まさに、振り向いたらいるかもしれない「何か」への恐怖が、ずしんとのしかかってくる。
――こちらが見る先に、もし、こちらを見る目を見つけてしまったらどうしよう?
結局、そうなってしまったらマンション内を移動するのが怖くて、外に出るのもやめてしまった。もっとも、そうなるころには中学にあがっていて、塾の終わる時間も遅く、帰る時間を多少ごまかして本屋に寄るという悪知恵もつくようになっていた。
こうして、小学校の頃の「夜散歩時代」は終わった。
その後、高校、大学、社会人になってからも、夜中にこっそり抜け出すことはあった。けれどそれは主に友人や恋人に会いに行くためであって、自分だけの楽しみのためではなかった。誰かに会いに行くための道筋というのは、まだ一人でいても、会いに行くその人が既に一緒にいるようなもので、完全に一人とは言えない。
もちろん本屋に行くこともあったが、それも散歩自体が目的ではなく、単に買い物が夜になったというだけのことだ。夜の外出が誰にも禁止されない今、外出するだけでわくわくするということはもう、ない。逆にあちこちの暗がりを、冷静に見つけられるようになった分、恐怖が増したともいえる。
こうして私は、かつてのように夜の散歩それ自体を心の底から楽しんでいたようには、いかなくなっていったのだ。
さよなら、恐怖さえも忘れてしまうほどの、高揚。
そう思っていたのに。
「あれ?」
つい最近のことだ。
真夜中に、私は帰宅するため急いでいた。
その時の外出には、別に解放感を求めていたわけでも、本の続きを求めていたわけでもなかった。
天狼院書店で受講している小説講座の課題を集中して書きたくて、夕食後に家を出て一人過ごした帰り道、結果的に真夜中になっていただけだ。
単に帰りが真夜中になることなら珍しくない。
買い物帰り、ちょっとした郵便出し。
また件の書店の講座帰りは大抵遅くなるし、その中でも特に「裏フォト」という、字面からしてアンダーグラウンドな魅力をまき散らしているイベントに至っては、始まるのが既に夜中である。
講座やイベントの帰りは、多少の興奮はあっても、自分を見失うほどの高揚の中にはさすがにいない。車を運転しながら帰宅すれば、ミラーに映るかもしれない影だの、駐車場の住みに潜んでいそうな気配にびくびくしながら帰るのである。
その恐怖が、その時はなかった。
その日私は、延々と考えていた小説の筋に、やっと納得いく展開を思いついたところだったのだ。
「やったー!!!」
解放感と高揚感。
熱っぽくなった頬を感じたまま、原稿を書いていたマクドナルドを出て車へ向かい、家に戻ってくるまで、一切の恐怖を感じるヒマがなかった。
ただただ、痺れるような興奮のまま夜の道を歩き、冷たい空気を吸いこんで味わった。
そして、この感覚は、そういえばこの1年ほど、つまり講座に通うようになり、真剣に書くことに向き合うようになってから、気づけば何度となく感じている幸福感だった。
――これなのかもしれない。
25年も前に私が感じていた、恐怖を忘れるほどの高揚。
それは、これまで経験したことのなかった新しい楽しさに飛び込み、没頭した時に感じるものだったのだ。
子どもなのに夜中の町に出ていくという経験は、時が過ぎれば新鮮味は薄れていく。夜がタブーでなくなれば、高揚はなくなっていく。
しかし、この感覚ならば、
――薄れない。
なぜなら、あれこれ唸って考える時は必ず新しいものに対して、なのだから。
真夜中散歩の幸福はもう味わえないかもしれないけれど、真夜中散歩にもれなくついてくる恐怖を忘れることは今もできるということだ。
しかもあの頃感じていた、幸福な高揚を感じながら。
ただし、幸福感は長くは続かない。
すぐに新しい悩みが舞い降りて、考え込むことになる。
それでも、考える時の楽しさに、今の私は予感を求めることができるのだ。
あの日々、恐怖さえ忘れて没頭できたほどの高揚に、いつでも入り込める幸福への切符を、私は今、手にしている。
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