「職質」を受けて喜ぶ男と、そんな男を愛する女
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記事:あやっぺ(ライティング・ゼミ平日コース)
「あやちゃんは、俺の女か?」
忘れもしない。8年前の冬の夜。
私が、“殿堂入りの彼”と呼んでいる、人生で一番愛した彼にギュッと抱きしめられながら、
ボソッと訊かれたのだった。
こんな時、いちばん可愛く答えるならば、ごちゃごちゃ考えたりせず、間髪入れずに、ただひと言。
「うん」
とだけ答えて、もっと強く抱きつけば良かったのだろうと思う。
でも、そんなことをしたら、私の負けな気がしたのだ。
もちろん、勝ち負けの問題ではないことくらい、わかっていたつもりだ。
こんなこと、今まで訊かれたことがなかった。そんな彼が、わざわざ直球で言葉にしているということは、よほど訊きたかったのだろう。
それなのに、あの時の私は。
彼自身が私のことをどう思っているのかを、私が先に聞きたいと思ってしまい、
「さぁ、どうかなぁ……?」
と、笑いながらはぐらかしてしまった。
すると、彼は、
「“半オンナ”やな!」
と言った後、さらに続けて、
「束縛する気はないけど、会えんようになるのは寂しいし」
とても照れくさそうに、そう呟いた。
いつも、あんなに気ままに、急に無茶を言って呼び出しておきながら、
彼は彼で、時々、私のキモチを確かめずにはいられなかったのだろう。
「無理ってわかってても言いたいし、言える相手がいるのが嬉しいねん」
本当に勝手な言い草だと思う。
常に半分だけは、「俺の女」で居てほしいらしい。
何て身勝手な男なんだ!
“半オンナ”と言われた私だったが、この夜を最後に彼と会うことはなかった。
決して、会いたくなかったわけではない。むしろ、会いたくてたまらないと何度思ったことだろう。
別れ話をしたわけでもなければ、嫌いになったわけでもない。
結果的に、約8年間、一度も会っていなかった。
“殿堂入りの彼”ことYさんは、身長182センチ、B’zのボーカル・稲葉さん似の男前だ。
元上司であり、私が人生で一番愛した男だ。
そして、私にとっては、いわゆる“初めての人”だった。
どちらが先に好きになったのかはわからないが、互いに惹かれ合っていたのは間違いない。
妻子持ちだったが、どうしても止められなかった。
好きになりすぎて、苦しかった時期もあった。
いっそ断ち切れたら、どんなに楽になるだろうと思ったこともある。
小学校低学年の時以来、一度もショートにしたことのなかった髪をバッサリ切って、高野山にお参りして、吹っ切ろうとしたこともあった。
でも、そんなことをしても何も変わらなかった。むしろ、逆効果だったのかもしれない。
実は昨年、Yさんから数年ぶりの年賀状が届いた。
彼の名前を見ただけで、私はかなり動揺した。なんで急に年賀状なんて出してくるのか?
彼の真意がわからないままに、一応、返信だけは出した。
そして、昨年11月下旬。
右腕に原因不明のしこりができた私は、整形外科医院の医師から
「悪性腫瘍の疑いがあるから、大きな病院で精密検査を受けるように」
と言われた。
もし、悪性腫瘍だったら、Yさんに会わずに死ねない。
もう電話番号もわからないけれど、どうにかして会いたい。
思い切って手紙を書こう。会いたいと伝えよう。
本気でそう思っていた。
幸い、精密検査の結果は、「神経鞘瘍」という診断で良性だった。
死ぬ前に思い残すことが無いように、などと考える必要は無くなった。
彼に手紙を書く理由も無くなった。
Yさんからの電話があったのは、そんな矢先の昨年12月半ばだった。
その日の朝まで“今カレ”と甘い逢瀬を楽しんでいた、まさにその部屋で、親友と飲んでいる最中に鳴った、見覚えのない番号からの着信。
もし、一日早ければ、私は絶対に電話に出ていなかった。
何というニアミスっぷりなのだろう。
私は親友に事情を話して、Yさんと3人で会うことにした。
8年ぶりに再会した彼は、あの頃のままだった。
親友も一緒だったので、その日は特に何があったわけでもない。
ただ、何となく、いつかこの続きがありそうな予感はあった。
そして、年が明けて、何度かメールのやり取りを経て、ようやく先日、突然ではなく前もって約束をして会うことになった。
年末に親友と3人で部屋飲みした、同じ場所で。
私たちは、2人きりで再会した。
初めて出会ってから20年。最後にYさんに抱かれてから8年半。
ついに、来るべき時が来たのだ。
言葉の端々に、何気ない仕草の一つ一つに、変わらない彼の優しさが溢れていた。
「まだ俺のこと、ちょっとくらい好きでいてくれてたんか?」
彼は、小声で訊いてきた。
私は8年前の記憶が甦った。
あの時、たったひと言「うん」と言えなかった私。
今度こそ、ちゃんと返事しないといけない。
それなのに、私はまたもや言えなかった。
忘れたことなど一度もなかったけれど、彼と会うことがなかった8年間。
私なりに、どうにかこうにか心のバランスを取って生きてきたのだ。
ここでうっかり何か甘い言葉を口にしてしまったら、自分が自分でいられなくなるかもしれないという怖さがあった。
私は、言葉ではなく、身体で応えようとした。
たぶん、それで伝わったはずだと思う。
「なんで結婚せーへんかったんや?」
唐突に、カラッとしたポップな声で訊かれた。
「したいと思う人と出会わんかったから。仕事もいろいろ大変やったし」
私が答えると、さらに、
「若い頃に俺みたいな奴と出会ったばっかりに、人生狂わせてしもたな。いや。それは思い上がりかもしれんけど、少なからず人生に影響与えてしもたところはあるんやろな」
「(Yさんと出会って)基準が上がってしまったから」
「そんなこと言われたら、自惚れてしまうで」
「いいよ」
まんざらでもなさそうだった。
「なぁ、ちょっと聞いてくれるか」
出た。彼のお決まりのフレーズだ。
「飲み会の帰りとかな、俺、何もしてへんのに、しょっちゅう職質されるねん。かばん開けられて、袖まくって腕出せって言われんねん。どう思う?」
単にほろ酔いで帰宅する途中だというだけなのに、よほど危険人物に見えるのか、まるでヤバイ薬でも使ってると疑われてるような扱いだと彼は言った。
「何それ? めっちゃ失礼やん!」
そう言う私に、彼は意外にも
「別に悪い気はせーへんで。この歳になって、まだそんな危険な香りがすると思われてるんやったら、男としては嬉しいわ」
そう言ったのだ。
なるほど、そんな風に思えるものなのか。
確かに、還暦が近いのに、男の色気が漂いすぎて、飲み会帰りに夜道を歩いているだけで、しょっちゅう職質されるなんて、もはや伝説レベルかもしれない。
他の中高年男性たちとは何が違うのだろうか。
それは、いわゆる「オーラ」とか「フェロモン」ということになるのだろう。
しかし、そんな風に言ってしまうと、どこか陳腐に聞こえる気がした。
「味気ないのは まずいより罪だ」
というのは、あるメークアップアーティストの方の言葉だ。
これを人間に当てはめるなら、
「色気がないのは、不細工より罪だ」
と言えるだろう。
そして、
「色気のないイケメンなんて、出汁(だし)の入っていない味噌汁みたいなものだ」
私は、そう思うのだ。
「Yさんは、真似のできひん出汁がいっぱい出てるから、わかる人にはわかってしまうんやと思う」
「なるほどなぁ。せいぜい、出がらしになるまで頑張るわ」
そう言って、Yさんはご機嫌な様子だった。
私は、またさらに喜ばせてしまったみたいだ。
「そんなに出汁がいっぱい出まくってて、浮気したくならへんの?」
「俺は浮気はせーへんで。行く時は、本気の時だけやからな。こうして、何年も経ってるのに会いたいと思うんは、やっぱり何か気持ちが残ってるからなんやろうな」
私より、彼の方が律儀だったのかもしれない。
とにかくモテるのに、断ったらもったいないから相手にするという発想はないらしい。
ほぼ同年代で、セクシーだという共通点はあっても、どこかの誰かさんとは違うんやなぁ。
やっぱりYさんは“殿堂入りの彼”で、誰とも比べられない別格なんだと思う。
お互い、相手の負担になってはいけないと思う気持ちがあるからこそ、安易に耳触りの良い、甘い言葉を言えないのだけれど。
長い年月をかけて、今こうして、神様の書かれたシナリオで再会して。
何とも言えない感慨深い気持ちだ。
“一枚の膜を隔てて愛しあう君の理性をときに寂しむ”
俵万智さんが、「チョコレート革命」の中で詠まれた一首だ。
どれだけの女性が、この一首に共感したことだろう。
私もその一人だった。
これまで、私がどれだけ大丈夫だと言った時も、それは絶対にアカンと頑なに譲らなかった彼だったのに、今回は何も隔てるものがなかった。
それは、おそらく単に年齢を重ねたことでの身体的な理由が大きいのだろうけれど。
たとえ、それだけのことだとしても。
初めて本当に、彼と一つになれた気がして、私はただただ嬉しかった。
私にとって、“初めての人”だったYさん。
あと何回会えるかなんてわからないけれど。
還暦を前にしてもなお、色気が漂いすぎて、何度も職質を受けてしまうようなイイ男の、“最後の女”になれるなら本望だ。
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