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人生をかけて髪を切る


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記事:遠山 涼(ライティングゼミ・日曜コース)

 
 
「僕たちって、何のために生きてるんですかね?」
訊く相手をまちがえたことに、すぐに気づいたがもう遅かった。
髪を切ってくれる美容師さんとは、もっと軽い、力の抜けた雑談でもしていればいいのだ。
そんな過去の恥ずかしい失敗があり、それ以来、私の美容室に対する苦手意識は始まった。
 
髪が伸びたら美容室にいく。そんな当たり前のことを、もう20年以上続けている。
それなのに、経験値はほとんど積まれていない気がする。
なりたいスタイルを伝えることも、美容師さんとの会話も、頭皮のかゆいところを的確に伝えることも、いつまでたっても慣れることができない。
きっとこのまま、一生慣れない。
なぜ慣れないのか。
その理由が先日、やっとわかった。
いつものように、髪を切りに美容室へ行ったときのことだった。
 
「きょう担当する西野です」
私は暗い気持ちになった。
西野さんが見るからに忙しそうで、少し苛立っているようにすら見えたからだ。
受付のイスで待っている客が数人いる。今日はいつもより忙しいのだろう。
その忙しさを態度に出して、客に感じさせるのはやめてほしい、と私は思った。西野さんの態度に憤りかけたが、その気持ちをぐっとこらえることにした。
西野さんの粗雑な態度に不満を持つのではなく、反対に、私はなるべく西野さんを思いやることにした。その方がいい結果につながるはずだと、冷静に判断したからだった。私が客だからといって、無神経なクレームを吐きつけたりするべきではない。そんなことよりも、西野さんを少しでもやる気にさせないといけない。今さらどうあがいてもムダなのだ。きょう私の髪を切る人は、西野さんしかいないのだから。
 
黙々と作業を続ける西野さんとは対照的に、となりの席では別の美容師さんと客が楽しそうに話している。
こちらの席が静かなので、となりの席の会話が嫌でもよく聞こえる。
私はうらやましく、同時に劣等感を感じた。
会話が弾む二人からビシビシ感じられる、その距離感の近さ。
それに比べて私と西野さんは、何と遠い関係なのだろうか?
それはまるで、大勢で宴会をやっているときに自分のテーブルだけイマイチ盛り上がっていない時のような悔しさと敗北感。
西野さんも私と同じように、隣の席の楽しそうな雰囲気に、劣等感を感じたりしているのだろうか?
 
「……なんかよく、えりあしが伸びてくるのが結構気になるんですよね~」
耐えきれず、私から声を発してみた。
「うーん、たしかにもうちょっと短くしても良いかもしれないですね」
「そうですね。そういえば前に来た時も、けっこう短くしてもらいました」
「それじゃあバリカン持ってきますね。ちょっと待っててください」
私はほっとした。
関係性の構築は少しずつでいい。一歩一歩、距離を詰めていけばいいのだ。
 
西野さんのハサミを動かす手が、どことなく活き活きとしてきたように見える。
忙しいとはいえ、客と一言も会話をせずにいることを、やっぱり西野さんも気にしていたのだ。
少しの面倒を押しのけて、私はさらに西野さんに話しかけてみた。
すると西野さんも応えて、少しずつ会話が続くようになった。
隣の席のように大きく盛り上がることはなかったが、それでも言葉を交わすごとに、西野さんのハサミさばきは良くなっていく気がした。
さっきよりもよく通る声で、西野さんが訊いた。
「もみあげとサイド、もうちょっと短くしてみます?」
私は鏡を見る。確かにもうちょっと短くても良さそうだ。
「あ、じゃあお願いします」
西野さんの提案を、私は快く受け入れた。西野さんの方からもっと提案してくれたら、きっとさらに良いヘアスタイルができあがるかもしれない、とワクワクした。
 
短い会話を挟みながら、私の髪は整えられていく。
カットがひと段落すると、西野さんはハサミから横長の鏡に持ち替えて、私の後頭部を映してくれた。
バランスよく切りそろえられた髪形は、私の満足いくようなスタイルになっていた。
 
もともと私は、美容室でなりたいヘアスタイルを伝えるのが苦手だ。
なぜなら、自分なりにイメージを伝えてみても、その通りのヘアスタイルになった試しがないからだ。
美容師さんの技術が足りないのではなく、そもそも自分の中で、なりたい理想のヘアスタイルをイメージできていないことが多い。
理想のヘアスタイルを具体的にイメージすることが、私にはできない。
そんな私にとって髪を切るという行為は、誰かとの共同作業であるべきなのだと、西野さんに切ってもらったその日にようやく気付くことができた。
 
長い人生において、自分の力だけでは成し得ない、誰かの力を借りなければ実現できないことがたくさんある。
私にとっては、髪を切ることもそのひとつだった。
もちろん誰かに髪を切ってもらう時点で、誰かの力を借りていることにはなるのだが、それだけでは足りないのだ。
美容師さんもプロとはいえ、ただの人間だ。忙しくて疲れているときもあれば、より多くの客をさばくために手早く済ませようとすることもあって当然だ。
そこへ客だからと言って、ただ大きなイスにふんぞり返ったまま満足のいく髪形を望むなんて図々しい。
満足のいくヘアスタイルを実現するためには、客である私は私にできることをするべきだし、美容師さんの実力を120%発揮させようと努めた方がいい。そうした方が、きっといい結末に辿り着けるはずだ。
そんな風に考えれば、私が美容室で髪を切ることに慣れないのも当然だ。
もっと、もっとと、よりよい結末を追求するために、私と美容師さんとの共同作業はこの先も続くだろう。
もっと素晴らしい、もっと満足できるようなヘアスタイルを追求するために、私はいつまでも美容室であれこれ思い悩む。
終わりのない追及を、美容師さんと一緒に、いつまでも続けていくのだ。
 
生きていれば髪が伸びる。定期的に短くカットしなければいけない。どうせ切らなければいけないのなら、誰だって満足のいくヘアスタイルを手に入れたいと思うはずだ。せっかく美容室まで足を運んでカットに時間を費やすのなら、最後にはいい結末を迎えたい。
 
西野さんと別れ、私は店を出た。横断歩道の前で、短くなった髪を初夏の風が揺らした。信号が変わるのを待ちながら、私は街を行く自動車や人々の往来を眺めた。
最後にいい結末を迎えるために力を貸してほしい人たちは、美容師さんに限らず、世界中にいるんじゃないだろうか?
満足のいく髪形を手に入れるとともに、かつて美容師さんに投げかけた大きな問いの答えまで、見つかった気がした。
 
 
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2017-06-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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