翻訳家に責任が無いとしても
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島本 薫(ライティング・ゼミ:日曜コース)
近頃めずらしいことに、相談を受けた。
正確には、相談ではないかもしれない。
以前、同じ先生について英文法を学んでいたある女性から、相談というにはあまりに混乱した、ある種のSOSを受けたのだ。
話は、つまりこういうことだった。
登録している翻訳会社から、書籍の翻訳をしませんかという依頼が舞い込んできた。下訳はできているので、2週間で訳文に手を入れてほしい。クレジットには、翻訳家としてあなたの名前を載せる――。
これがめったにないチャンスだということは、わたしにもよくわかる。彼女はまず原著について調べ、添付されていた訳文をざっと見てから、ぜひやらせてくださいと返事をした。ただ、どうして自分に「上訳」などという話が回ってきたのかがわからない。翻訳書を出したことはあっても、売れる翻訳家という箔がついたわけでもないし、今回のような「スピリチュアル」分野の第一人者というわけでもない。気になって、返信に次のような文章を付け加えた。
自分もそれほど実績があるわけではありませんが、今回は何か上訳を必要とする理由があったのでしょうか――と。
返事を見た彼女は、青ざめた。実は元々の翻訳家が、書籍の内容を受け入れられないとして、名前の掲載を辞退してきたのだという。出版社としては、翻訳家の名前がないまま本を出すことはできない。そこで、代役が必要になったのだ。
それだけでもショックな話だ。でも、さらに追い打ちをかけたのは、元の翻訳家が抱いた懸念はもっともだと、彼女自身そう思ったことだった。
この本は、生きることがつらいと思っている人たちに、自殺を勧めるものになりかねないのでは?
――その可能性を考えたら、震えがとまらなくなったという。
「若くして自殺した我が子を思う母親が、霊能者の力を借りて息子とコンタクトがとれるようになり、息子はあの世で幸せに暮らしていると知る。母親が息子の霊との交信をブログにつづったところ、同じように自ら死を選んだ家族や友人のいる人たちから『癒された』『あの世での様子がわかって安心した』という反響が大きく、書籍化されて多くの支持を集めた。
今回邦訳が出るのはその続編のほうで、死後の世界はどんなところかを詳しく説明するものである」
それが、原著について調べたときの情報だった。ところが実際の内容は、作品紹介から受ける印象とはまるで異なるものだった。
そもそも、作者の位置づけからして違う。
著者名には、母親と息子の二人の名前がある。てっきり母の手記に、霊となった息子の「語り」が混じる構成なのかと思いきや、母の文章は半ページにも満たない「自殺を選んではいけません」という序文のみ。後はすべて、息子の語る自分の死と、死後の世界だ。
いったん事情を話すと決めた翻訳会社は、ここでは誠意ある対応を見せてくれたらしい。前任者が懸念していた表現を抜き出し、列記してくれていた。
「自分はそれほど生きる必要はなかったし、こちらに来るのがベストの決断だった」「死後の世界に、自死を責める人はいない」「死を選ぶこともひとつの選択」「こちらではのびのびと暮らし、メンターにも恵まれてスピリットとして成長している」「肉体はないが、ビールを飲んだりもする」「彼女ができた。生きていた頃にはいなかったけど」「セックスも楽しめる」「今はスピリットガイドとして人々を導くことにやりがいを感じている」……。
そんな描写が、あっけらかんとつづられていくのだ。
遺族としては、自分の大切な人が死後に苦しんではいないということを知り、癒されたのかもしれない。でも、「今」生きることに苦しんでいる人たちがこれを読んだら、生きる努力をやめてしまうのではないだろうか。つらい思いをしながら現世を生きることに、意味など見出せなくなるのではないだろうか?
彼女は、再度返信を書いた。
初めから事情をお話しいただけなかったのは残念ですが、包み隠さずご説明いただけて助かりました。前任者の危惧はもっともだと思いますが、出版社の側はどのようにお考えなのでしょう。本書を受けて自死を選ぶ方が出ないとは言えず、訳者に責任の矛先が向いたときに個人では受け止められません。先方のお考えを聞かせていただいてから、再度お返事差し上げてもよろしいでしょうか……。
そして、送信ボタンをクリックすると、すぐに英文法の先生に電話をかけて事情を話し、アドバイスをお願いしたそうだ。実に先生らしいなあと思うのだが、先生はこう言ったそうだ。
「たとえ問題になったとしても、翻訳者に責任は無い。
チャンスが来たんだから、あなたがやれると思ったら、ぜひおやりなさい」
もっともだ。そう、もっともだ。
たぶんもっともすぎて、気持ちの持って行き場が無くなったのだろう。次に、フランスに留学していたことのある友人に電話をかけて、話を聞いてもらったという。
「訳者に内容の責任は無いことはわかってるけど、世間は必ずしもそう見てくれないじゃない? 世に出したい素晴らしい作品だから、翻訳を手掛けていると思われることが多いもの。仕事だから、ご縁だからやっているとは、思ってもらえない。
何かあったとき、矛先が向きやすいのは、会社よりは名前の出ている個人のほうだもの。そうなったらどうしていいか、わからないよ」
長電話の末、お友達はこう結論付けたそうだ。
「これは自殺を肯定する本ではありません、ってことや、その人が自殺にいたる状況とかをしっかりまとめておいて、前書きとして付けてもらえればいいんじゃない?」
そこまで聞いたとき、彼女がなぜわたしに相談を持ちかけてきたのか、ようやくわかったような気がした。たぶん、アドバイスに疲れたのだ。
どんなものであれ、アドバイスは人を傷つけるもの。話を聞くときはただ聴くという考え方に賛同しているという話を、何かの機会にしたことがあったと思う。もちろん、わたしが無類の本好きで、興味をそそられた本は読んでみずにいられないことも知っていたのだろうけれど。
――よかったら、その本読んでみるから送ってみて。ちゃんと読んで、それからどう思ったか伝えるよ。
わたしの求めに応じて、彼女は問題の本を送ってくれた。そこには、出版社から受け取ったという回答もついていた。
当社としても、自殺ほう助の本を出そうとは思っておりません。翻訳者に責任を負わせるようなこともありません。不適切な表現があれば、適宜削除していただければと存じます……。
この返事では、よけい彼女の不安が広がったのではないかな……。そもそも、原著書に対する敬意というものが感じられない。
本を読んでみて、頭を抱えてしまった。これは、聞いていた以上にモンダイかも。前後の文脈がわかれば誤解が解けるのではと思ったのに、むしろ状況は逆だった。著者(といっても、霊能者経由の文章なのだけど)は心から、死後の世界の生活を楽しんでいる。死後の世界を語れば語るほど、人によっては現世の生活が色あせて見えてくるかもしれない。今の苦しみに、見切りを付けようと思う人が出ても、不思議はないのだ。
サイアクなのは、やたら文章が軽い。著者は躁うつ病をわずらっていたということだが、明るいというか、妙に軽くて、あっけらかんと自殺にむかって背中を押されてしまいそうな感がある。
万が一、「この本を読んで、安心して死ぬことができました」と、いう人が出たとしても、それは翻訳者が負うべき責めではないだろう。でも、現実は? 実際にそんなことが起きた場合、訳者に非難が向けられないとは限らない。一度火がついたら、バッシングがバッシングを呼ぶ可能性もある。前任者が怖れ、辞退したのも、無理はないのだ。
不安の虫には、つける薬がない。彼女の不安を取りのぞいてあげることはできないけど、考えたあげく、こう返事を書いた。
あなたが不安になる気持ちは、よくわかった。自分がその立場なら、さぞかし心配になると思う。
もしもの話は考え出したら切りがないけれど、読者としていうなら、「読んでよかった」という気持ちにはなれない本だった。仕事である以上、必ずしも誇りに思える本ばかり出せるわけではないけれど、誇りよりは疑問や、良心のうずきとともに世に送り出してしまいそうな気がする。それは、仕事をする人としての自分を損なうものかもしれない。
ちなみに、出版社がいうように「不適切な個所を削ることで自殺ほう助を防ぐ」のは無理ではないだろうか。死後の世界に不安を抱かなくていいというのが本書を貫くテーマであり、遺族に与えた「癒し」なのだから――。
しばらくして、彼女から連絡をもらった。
考えに考えて、翻訳会社にはこのような返事をしたという。
本書には確かに「自殺を勧めている」と捉えられかねない面があり、記述の一部を削除することでこれを回避するのは難しい。本書は著名な精神科医か臨床心理士に監訳をお願いし、著者の自殺の背景には双極性障害があったことをふまえ、「本書は自殺を推奨するものではない」主旨の解説を付けるのが良いのではないだろうか。権威者から語ってもらうほうが、説得力がある。また監訳者にネームバリューがあれば、翻訳者の名前は必ずしも出さなくても良くなるのでは……? 必要なら、前任者が今回限りのペンネームを使うということで切り抜けられないだろうか。ここまでの仕事をしている以上、その人だって、好きで辞退するわけではないのだろうから。
メールを読んで、なるほど!と思い、心から安堵した。どうやら、最悪のところは脱したらしい。それに、彼女の提案した方法は説得力がある。翻訳会社からも、その方向で検討してみますという返事をもらったそうだ。
今後、これがどう彼女の仕事に影響していくかはわからない。一度引き受けたことを辞退した訳者として、そこの会社からは依頼が来なくなる可能性だってある。でも、最後まで逃げずに考え、様々な人のアドバイスから、誰にとっても一番いいと思える提案を引き出すことができた彼女だから、信頼して仕事を任せたい――そんな編集者が現れるかもしれない。
ねえ、次に電話をくれるときは、きっと、笑顔で仕事の話をしてくれるよね。待ってるよ。
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