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私が、「ユキちゃん」を渇望していた理由


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記事:マコ(ライティングゼミ 日曜コース)

 
 
「ユキちゃん元気?  もうすぐ生まれてきてな」
 
4歳の私は、毎日毎日お腹をさすっては嬉しそうに話しかけていたそうです。
お母さんとお父さんは、あまりに私がきょうだいの誕生を楽しみにするので、
小さく苦笑しながらも、温かく見守ってくれていました。
 
4歳上のお兄ちゃんは、きょうだいが増えることに慣れていたのでしょうか。
小学校に上がったばかりで忙しかったのでしょうか。
特に興味を示すことなく、そしらぬ顔で遊びに出かけていきました。
 
私は、きょうだいが増えることが楽しみで仕方なくて、
幼稚園でお母さんごっこならぬ、「お姉ちゃんごっこ」をくりひろげ、
友達をユキちゃんに仕立て上げては、甲斐甲斐しく世話をしていたそうです。
工作の時間では、ユキちゃんにあげるんだと言って、
折り紙でハートのブローチを作ったり、ユキちゃんの顔をクレヨンで書いていたそうです。
 
そんな私の様子を、周囲はどんな気持ちで見ていたのでしょうか。
残念ながら、今では分かりません。
 
4歳上のお兄ちゃんは、きょうだいが増えることに対してクールに対応していたように、
私に対しても、昔から無関心だったそうです。
いつも私はお兄ちゃんに無視をされては泣きわめき、またお兄ちゃんの背中を追っかけて、
追っかけて、追いつけなくなっては、また泣いていたそうです。
近所の子どもたちと遊ぶ時も、小学生のお兄ちゃんはとっても大人びていて、
1人でクールに自転車を乗り回したり、鉄棒で逆上がりしたりと、
とても幼稚園児にはできない遊びで、私たちとの間にミゾを作っていきました。
 
だから、でしょうか。
いつの頃からか私は、「女の子のきょうだい」がいてくれさえすれば、
こんな寂しい思いなんてしなくて済むんだ、と思うようになりました。
女の子のきょうだいなら、一緒にぬり絵もしてくれるし、セーラームーンごっこもしてくれる。シルバニアも、リカちゃん人形も、女の子が2人いたら色んなシリーズが集められます。
 
ちょうど幼稚園で仲の良かった友達の家に、新しいきょうだいが増えることになりました。
友達は名前を考えたり、折り紙でおもちゃを作ったりと大忙し。
友達のお母さんのお腹も、日に日に大きくなっていきます。
 
……赤ちゃんはこうやってできるんだ。
4歳の私は、初めて見る「妊娠」というものにとても興味を持ち、
どうやったら、きょうだいが自分にも増えるかについて一生懸命考えました。
そこで、私はお母さんに直談判をしたのです。
「女の子のきょうだいが欲しい!! お兄ちゃんなんて、いらない!!!」と。
 
お母さんは、私の直談判に笑いながらも、「ムリだよ」と答えました。
「なんで?? 」と何度も聞く私。
「ムリだよー」とくり返すお母さん。
あんまり私がしつこく問いつめるので、最後にお母さんは呆れ切ったように言いました。
「おうちが小さいから、無理だよ」と。
 
それからは、私のお引越しが始まりました。
新しいきょうだいを迎え入れるためです。多少の窮屈は、痛くもかゆくもありません。
私は、ドラえもんもさながらの「押入れ生活」を始めたのです。
まずは、押入れの下の段から、お母さんの裁縫道具やミシンを引っ張り出して、
自分の寝床を作りました。大好きな「ぐりとぐら」の絵本と
トトロのぬいぐるみを抱えて、いざ、押入れへ。
私は、ちょっとしたサバイバル生活にテンションが上がり、
押入れの暗闇でニコニコしていたそうです。
お兄ちゃんはそんな私の様子を、算数のドリルをときながら遠巻きに見ていました。
 
すぐ、諦めるだろうと、お母さんは何も言わずに見守っていました。
女の子のきょうだいがほしい私は、頑固なまでに立てこもりを続けます。
押入れに引っ越してから2日が経ったころ、ついにお母さんは呆れて言いました。
「女の子のきょうだいができたよ」と。
そうして、お父さんのお腹を指差したのです。
 
お父さんは、170センチながら、100キロを超える巨漢でした。
お相撲さんも顔負けの大きさだと、我が親ながら誇りに思っていたものです。
お父さんは、いつも夜遅くに帰ってくるので、土日が絶好の甘えタイムでした。
私はひたすらに、お父さんの大きなお腹の上でトランポリンをしたものです。
でもきょうだいがお父さんのお腹に宿っていると知った以上、
トランポリンなんぞ断固道断。安静に、生まれてきてくれることを祈るのみです。
当時、憧れていた「アルプスの少女、ハイジ」。
そのヤギの名前からとって、新しいきょうだいを「ユキちゃん」と名付けました。
 
毎日毎日、私はお父さんのお腹をさすっては嬉しそうに話しかけていたそうです。
お母さんとお父さんは、あまりにも私がきょうだいの誕生を楽しみにするので、
いつも小さく苦笑しながらも、温かく見守ってくれていました。
お父さんのお腹に耳をあてると、時折なる「グルグルぐるぐる」という音。
「ユキちゃんが息をしているんだね!」と
私がキラキラした笑顔で言うと、お父さんは困った顔をしました。
 
それからすぐのことです。お兄ちゃんが私の手を引いて、
不器用そうに「ポケモンカード」を手渡してくれました。
急な上にやや乱暴に手を引っ張られたので、ひどく怒ったことを覚えています。
しかも急に、ポケモンカードを教えてくれると言い出すお兄ちゃん。
最初は戸惑いながらも、私はすぐにポケモンカードに夢中になり、
ユキちゃんに話しかける頻度も減っていきました。
 
大人になった今ならわかります。
当時、お兄ちゃんにかまってもらえない寂しさから、
女の子のきょうだいを渇望した私に、お父さんとお母さんが咄嗟に嘘をついてくれたんだと。
お父さんは自らの体を犠牲にしてまで、娘の夢を叶えようとしてくれたのだと。
どこまでも阿保な私は、純粋なまでに信じ込み、毎日、お父さんのお腹に話しかける始末。
そこでお母さんが、諸々の原因を「お兄ちゃんロス」にあると気づき、
何か構ってあげなさいよとお兄ちゃんに発破をかけてくれたのです。
お兄ちゃんもおかしくなりゆく妹を案じたのか
ポケモンカードを通じて歩みよってくれたのでした。
 
本当に女の子のきょうだいが増えたのは、去年の11月。
30歳を前に、お兄ちゃんはキレイなお嫁さんをもらいました。
大きな披露宴。式の中盤で迎えるお色直し。
お嫁さんは退場時のエスコート役として、自分の弟を呼び、
2人は手を繋いで退場していきました、
 
友達の結婚式で何度か目にしたことのある光景です。
他人ごとのように見ていたものの、いざ自分の番となると気恥ずかしいものです。
あぁ、私の名前が呼ばれてしまいました。むんと胸を張って私は歩き出し、
一言挨拶を述べて、お兄ちゃんと手をつないで歩き出しました。
 
私は、とたんに恥ずかしさから、思いっきり顔をしかめてしまいました。
「そんなに嫌そうな顔をしなくても……」とお兄ちゃんは困り顔です。
お父さんとお母さんはクツクツと笑っていました。
私とお兄ちゃんの様子が、小さな頃、ポケモンカードを通じて
歩み寄った時にそっくりだったのだそうです。
 
 
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2017-06-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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