プロフェッショナル・ゼミ

父の言葉は、人生の道しるべ《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:めぐ(プロフェッショナル・ゼミ)

「頑張らなくていい」
父は、そう言った。
私が社会人になって1年経ったか経たないかくらいの時のことだ。
慣れない営業の仕事に毎日奔走し、どんなに頑張っても成果がほとんど出ない日々だった。
とてもじゃないが順調とは言えない、それまで味わったことのないくらい苦しい毎日。
正直、突破口がなかなか見つからず、途方に暮れていた。
そんな私に、父はこう続けた。
「その代わり、精一杯やりなさい」
はて、一体どういう意味なんだ?
理解力に乏しい私には、まるで意味が分からなかった。
だって、「頑張らなくていい」のに「精一杯やれ」って、矛盾してないか?
「頑張る」と「精一杯やる」は、ほぼイコールでしょ?
国立大学の理系学部を卒業して、会社で技術職を務める父は、いつも言うことが何かと難しいのだ。
いつもだったら「あぁ、また始まった」と軽く受け流していただろう。
けれどこの時は、違った。
まるで父の言葉が、直接、私の心にそっと触れたように感じたのだ。
それと同時に、父の真剣な眼差しが「大事なこと」だということを伝えた。
でもね、お父さん。私、もっと頑張らないとダメなんだよ、このままじゃダメなんだよ。
そう思った途端、感情の底から「何か」が湧き上がってきて、ふいに涙がこぼれそうになった。父にそれを悟られたくなくて、「分かった」と気弱に返事をして、2階の自部屋に退散した。

父は、寡黙な人だった。
仕事熱心で、仕事で家にいないことのほうが多かった。
だからか、私は、父とどう付き合ったらいいか分からず、あまり懐いていなかったように覚えている。
その証拠が、古いアルバムに残っていた。
それは、3歳の時にディスニーランドに行ったもので、シンデレラ城を背にミッキーマウスと父と、半ベソの私が写っている。
最近になって父に、「なんで半ベソなの?」と聞くと、そのとき母と兄が不在にしていて、寂しそうな私のご機嫌を取ろうとディズニーランドに連れていってくれたらしい。
しかし、その作戦は見事に失敗。
「お母さんじゃないと嫌だ」「お家に帰りたい」と終始ダダをこねて大変だったとのこと。
なるほど、まったく懐いていない。

小学生になると、躾も相まってさらに寄り付かなくなった。
「女の子なんだから、お手伝いしなさい」という父に、「いやだ」と言う私。
すると、「いいから手伝いなさい!」と父。
兄にはそんなこと一言も言わないくせに。なんだよ、女だからって私ばっかり、と拗ねた。
嫌々ながらに夕食を配膳すると、今度は「せっかくやるなら、ニコニコしてやりなさい。そのほうが気持ちいいでしょ」とまた説教を食らう。
なんだよ、まったく。説教ばっかりしやがって。
すっかりムクれた私は、父をさらに疎ましく思うようになった。
それ以降、学校であった嬉しいこと、楽しかったこと、困ったことを父に話すことはなくなった。

けれど父は、私がやりたいと言ったことに反対したことだけは、一度もなかった。
ピアノ、水泳、習字、バスケ、英会話、学習塾、といった習い事はすべて望み通りやらせてくれた。
誤解があるといけないので付け加えると、我が家は決してお金持ちの家庭ではなくごくごく一般的な中流家庭。
家族のために夜遅くまで働いてくれ、そのうえ私のワガママを無理して訊いてくれていることはよく分かっていた。
そして、それに感謝をしなければならないことも。
なのに、薄情者の私は、話しかけてくる父に「わかんなーい」とか「ふーん」「へぇ」とか気のない返事をしては、軽くあしらっていた。
今思えば、かわいそうなことをしたな、と思う。
この時、父に優しく接することができなかったのはなぜだろう。
してくれて当たり前だ、と思っていたからだろうか。
感謝より、疎ましさのほうが優っていたからだろうか。

しかし、社会人になってから、父を見る目は180°変わった。
学生までは、あたかも自分一人で生きてきたかのような生意気顔をしていたが、いざ社会に出ると、自分がいかにポンコツでちっぽけな存在か、痛いほど思い知った。
知識も、経験も、自信もない。
ましてや、私の担当は、今までお取引のないお客様。
朝から晩まで働いてどんなに頑張っても、いろいろな「大人の事情」で受注をいただけないことがある。それはどんなに日頃から仲良くしてくれているお客様でさえも、だ。
「頑張ったら報われる」というのは必ずしも真理ではないのだ、と大きく落胆した。
働くって大変だ、と思った。
40年以上も働き続け、もう少しで定年を迎える父を、心底すごいと思った。
働き続けてきてくれたことに、ありがたい、と思った。
父は私の「尊敬する人」になった。

そんな時に言われた「頑張らなくていい。精一杯やりなさい」という言葉に、どこか救われたような思いがした。
頭で、その真意を理解できなくても、なにかいいことを言ってくれていることは、身体のどこかで分かっていた。
もし本当に頑張らなくてもいいのなら、どんなに楽になるだろうか。
できるなら、頑張りたくない。
しかし、当時の私はそれができなかった。
どうしても売上を上げたかった。
売上を上げるためには、多少無理してでも頑張らなければならない。
頑張らないなんて、そんなの腑抜けだと思っていたし、それで成果が上がることは絶対にないと思っていた。
だから、目の前にある仕事には自分が持てる力の120%を注ぎ、時間を気にせずに働いた。
それが、たとえタクシー帰りになったとしても、休日に予定していた友達との約束をキャンセルしなくならなくなったとしても。
とにかく、脇目をふらずに働いた。
それでも、売上はほぼゼロだった。
一方で、同じ部署に配属された同期のサカキ君は、先輩からの引き継ぎ客を担当しどんどん売上を上げる。
そんな私たち2人を、周りの先輩方はいつも比べる。
「サカキは毎月順調に売上を上げてるのに、あいつはどうしたんだ」と。
私が新規開拓をしていることなんか、まるで関係ないかのようだった。
そんな状況で、頑張らないわけにはいかない。
手を抜くわけにはいかないのだ。
だからね、お父さん。私、もっと頑張らないとダメなんだよ、このままじゃ全然ダメなんだよ。
上司や先輩に「よくやった」と言ってもらいたい。
お客様に「ありがとう」と言ってもらいたい。
親に「よくやってるね」と言ってもらいたい。
そんな気持ちしかなかった。
自分の存在意義を見出すためには、それしか道がないように思っていた。
「自分」を保つためには、「みんなから認められている」というポジションがどうしても必要だった。
だから、頑張らないといけない。
たとえ、父に「頑張らなくていい」と言われても。

それからしばらくして、その父の言葉がストンと落ちる出来事があった。
それは、佐藤さんというお客様との出会いによるものだった。
佐藤さんは、ちょうど父と同じくらいの年齢で、文字通り「娘」のように可愛がってくれたお客様だ。
未熟な私に、親身になって「社会人のイロハ」を教えてくれた恩師とも言えるような方でもある。
その頃、私は社会人5年目になり、佐藤さんとのお付合いも3年は経っていた。
お取引の機会を定期的にいただき、ありがたいことに佐藤さんのおかげで売上に困ることはなくなっていた。
売上が増えるとさらに売上が増えていくという好循環に入っていた時期で、仕事が楽しくて仕方がなかった。
お客様から「ありがとう」といってもらえることが原動力になり、それまで以上に働いた。
入社当時、お客様がなかなかできずに売上に苦しんでいた分、この状況は本当にありがたかった。
だから、どんな案件も切り捨てることなく、対応した。
そんな時、佐藤さんから依頼が入った。
「提案をお願いしたいんです。見積と提案書の提出は、1週間後でお願いします」と。
佐藤さんからの依頼は、日頃からお世話になっている分、余計に気合いが入る。
ご要望にそえる形で提案をしよう、と試行錯誤した。
もちろん、金額でも他社に比べて優位に立てるよう、仕入先への金額交渉を粘り強く行った。
依頼をいただいてから、提出期限まで時間をかけて、提案資料の作成に集中的に取り組んだ。
それはオフィスの雑音が全く聞こえないくらいで、まるで取り憑かれているかのようだった。
始発の電車で会社に行き、終電で家に帰るという日が続いた。
でも、不思議と全く苦ではない。
むしろ楽しく、ランナーズハイのような状態。
提出期限の前夜には、急ピッチで最後の仕上げを行なった。
「終わったー!」
時計を見ると、夜2時。
こんな時間になるとは想定外だったけれど、満足のいく提案書ができ達成感に浸った。
そのまま、佐藤さんにメールで送信し、家に帰って仮眠してから、朝9時に佐藤さんに直接ご説明をする予定だった。
しかし、目覚まし時計が鳴っても、起きられない。
身体が重い。
まさか、と思って体温を計ると38度。
とてもじゃないがこんな状態では、外出もままならない。
大切な日なのはわかっていながらも、佐藤さんにお詫びの電話をすることにした。
「本当に申し訳ございません。本日熱が出てしまって、訪問が難しくなってしまいました」
「何やってんだ! あんな時間まで仕事してるからだろ! 自分の身体をなんだと思っているんだ!」
人に怒鳴られるというのは、今まで生きてきた中でそう多くはないが、このお叱りがダントツで怖く、そして温かかった。
「とにかく、お医者様に見てもらって、安静にしなさい。提案はそれからで大丈夫だから」

後日、体調が回復してから、佐藤さんの元に訪問した。
提案も大事だが、お詫びのほうが大事だった。
「本当に申し訳ございませんでした」
おそるおそる顔を上げて佐藤さんをみると、穏やかな表情でこう言った。

そんなことはどうでもいい。
そうではなく、私が怒ったのは、あなたが自分の身体を大切にしていないから。
仕事は大切かもしれない。
私たちのためにしっかり対応していただいているのは分かっている。
けれど、それで身体を壊してしまっては、元も子もないんだよ。
だから、どうか無理だけはしないでください。

私は、ずっと「頑張っていればいい」と思っていた。
そうしていれば認めてもらえる、と思っていた。
けれど、佐藤さんの言葉で、私の「頑張る」は、「無理をすること」なんだとやっと分かった。
そして、無理をすると、周りの人に迷惑をかけ、自分にも害があるということも。
無理は続かない。
だから、父は「頑張らなくていい」と言ったのだ。
その時出せる力で、「精一杯やる」ことが大事なんだ。
「頑張らなくていい。精一杯やりなさい」
やっと、父が言わんとすることが分かった。
すごく時間がかかったけれど、佐藤さんの気持ちを受け取ることで、父の気持ちをやっと受け取ることができた。

それから私は営業部から異動なり、新入社員研修を担当することになった。
目をキラキラさせている新入社員は、とかく頑張りがちだ。
どんなことでも吸収してやろう、とメモを一生懸命取っている。
同期に遅れを取らないように、と必死だ。
それを見ていて、「よく頑張っているな」と感心する。
しかし同時に、こうも思うのだ。

社会人生は長い。
それが、50mであればガムシャラにやればいい。
けれど、社会人生活はマラソンだ。
120%の力を出し切ってしまっては、折り返し地点にも行かないうちにバテる。
だから、その時出せる精一杯の力で、無理せず仕事に取り組むことが大事だよ、と。

そういう私も、まだまだ社会人生活の半分もいっていない。
まだまだ未熟者だ。
未だに、今の走り方で完走できるのかも分かっていない。
試行錯誤の毎日だ。
しかし、ただ一つ肝に命じているのは、父の言葉のとおり頑張らずに「精一杯」取り組むこと。
それを胸に、今も走り続けている。

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