メディアグランプリ

私は細身で色黒の古舘伊知郎に惹かれたのだ


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「あと1時間でここに来れたら、お話しましょう」
 
「えっ、あと1時間?」

今からさかのぼること10年前。私が人生の師と仰ぐX氏と初めて電話で交わした会話だ。私は思わず腕時計を見た。現地まで車で20分。頭は寝起き同様。そして、ここは実家ではなく親戚の家。車を出してもらうにも一体、誰にお願いをしたらいいんだろう……。これはご縁がなかったということだろうか。私は頭を抱えた。
 
さらに、さかのぼること4か月ほど前。当時通っていた関西にある大学院のとある授業でゲスト講師が登場することとなった。
 
授業でゲスト講師が登場するのは、それほど珍しいことではない。
 
「あー先生が授業のネタに詰まって外部からゲストを呼んできたんだな」
 
それくらいにしか思っていなかったし、特別、大きな期待もしていなかった。
 
ただ、ちょっとだけ気になった点といえば、そのゲスト講師が熊本県のとある小さな町の公務員ということだった。実は私も熊本県の出身。父親の仕事の都合で小学生のころに関西に引っ越してきたが、両親は熊本のことが大好きだった。それに、親戚の多くが熊本に住んでいたので、私にとって特別なまちだった。
 
授業本番。そこで出会ったのがX氏だった。
 
すらっとした体形にフレームの細い眼鏡でちょっと早口。古舘伊知郎を細くして色黒にした神経質そうな男性だった。年の頃でいえば、40代半ば、といったところか。
 
外見の期待を裏切ることなく、ニヤニヤしながら軽快なマシンガントークを始めた。
 
X氏は自分のことを「宿命土着民」だと話した。いわく、地域住民には2種類あるという。「宿命土着民」と「選択土着民」だ。宿命土着民とは、家柄や職業、家庭環境などからその土地に住まざるを得ない人。一方、選択土着民は、「自分でここに住みたい」と思ってその土地に住む人のことを言う。
 
X氏は、お姉さん3人の末っ子長男。土地柄として、跡を継ぐ長男が家を出ることはあまり考えられない。仕事は公務員。ますますその土地から出ることはできなくなる。
 
仕事では、改善案などを町長や職員会議に提案してもうまくいかない。そして、宿命土着民だからその場を逃げ出すわけにもいかない。X氏は希望を見出せずにもがいていた。
 
そんなときに、1992年、運命を変える出会いがあった。国の地域活性化事業の一環として、X氏の住む町に大学の先生やコンサルがアドバイザーとして入ったのだ。
 
当時、日本全国では各地で日本一のものを作ろうという動きが盛んだった。X氏の住む町でも自然豊かな渓谷に日本一のスーパースライダーを作ろう、という話が持ち上がっていた。X氏をはじめ役場の人たちは、アドバイザー達にそのスーパースライダー建設の太鼓判を押してもらえれば、くらいの軽い気持ちだった。
 
しかし、その気持ちは見事に裏切られた。アドバイザー達は、スーパースライダーはもともとなかったかのように触れようとしない。代わりに、渓谷の音響効果を活用したイベントの提案や郷土史にかかわる調査など、役場職員たちに宿題を出してくる。最初は「なんだこりゃ」と思っていたX氏たちも、相手が想定している以上の答えを用意しようとムキになり、繰り返すうちに楽しくなっていった。
 
そのやりとりの中でX氏たちは気づいた。都会と同じような施設をつくるより、今ある地域の良さを引き出したり、伸ばしたりする方がまちづくりにつながるはずだ。そしてそれは、宿命土着民の自分だからこそ腰を据えてじっくりできると。
 
そこから、X氏はみるみるうちに変わっていたそうだ。
 
それまでは仕事よりギャンブルに精を出す人間が、瞬く間に仕事人間になった。地域の良さを知るためには地域住民との会話が大事だと、役場に訪れた人にコーヒーをふるまい井戸端会議をする。地域に住むのは大人だけではない。小学校帰りの子どもたちを見つけては、お菓子やジュースを振舞い仲良くなる。もちろん、税金ではなく自分のポケットマネーで。
 
日中は地域住民との交流に時間を当てているから役所的な事務仕事ができない。だからその分、家に帰らず夜通し、役所で仕事をすることもよくあったそうだ。仮眠は役所のソファで取りながら。
 
町に若者が少ないということで、2001年から大学生のインターンの受け入れも始めた。熊本県外から毎年10人前後の大学生が約2週間のインターンプログラムに参加する。X氏は自費も使いながら、毎日午前3時まで学生の相談に付き合う。
 
そんなX氏の判断基準は明確だった。たった一つ。
 
「自分のまちに役立つのかどうか」
 
ここがクリアできていたらブラック企業よろしくの徹夜も残業もポケットマネーも厭わない。家族であっても自分の住むまちのことを考えていない家族は「かわいくもなんともない」と明言する。
 
そんなX氏の講義を聞いて、とても面白かった。が、その一方でちょっと引いてしまった。あまりにもドライな人だなぁと。
 
だから、授業後は質問に行くこともなく、名刺交換することもなく、教室を後にした。それで終わるはず……だったのである。
 
そして4か月後。私は従姉妹の結婚式で熊本に帰省をしていた。結婚式の翌日、することもなく、ヒマを持て余していた私。「何をしようかな」と考えていたときに、なぜか、細身で色黒の古舘伊知郎の顔がふと浮かんだ。
 
親戚の家からもそんな遠くもないし、ダメ元で連絡を取ってみようかな。従姉妹のお姉ちゃんにパソコンを借りて、役所の電話番号を調べた。
 
そして思い切って電話を掛けた。人見知りだった私は、当時、出前ピザを頼む電話でも緊張していた。今でも思う。なぜ、あのときは何のためらいもなく、電話できたのだろう。
 
あの電話は、まるで磁石のS極とN極が引き合うかのごとく、抗うことのできないパワーに導かれているようだった。
 
それは私の持っていないものをX氏が持っていたからだ。
 
大学院生になりたての私は、就職活動に失敗して何かの所属先が欲しくて、大学院に入学した。なりたいものもなかったし、これから何をしたらいいのかその道筋がまったく見えていなかった。
 
周りに「これがいいよ」と言われればそちらになびき、「いやいや、辞めておいた方がいいよ」と言われれば、及び腰になる。自分の信念が全くなかった。
 
だから、「自分のまちに役立つか」という一点のみの強い信念をもったX氏が対照的であまりにも強烈だった。
 
冒頭の電話でのやりとりから45分。私は役場でX氏を目の前にして話をしていた。緊張しすぎてどんな話をしたのか覚えていない。覚えていたのは、私と同じ関西の大学からインターンに来た同じ年ぐらいの学生がいるからその学生たちと連絡をとってみたら、とのアドバイスだけ。
 
関西に戻った私はアドバイス通り、関西の同年代に連絡を取った。X氏に負けず劣らず個性の強い方ばかりだった。私は別の磁石に引かれるように、その人たちの強力なパワーに導かれ、つながっていった。そして、私自身もパワーをためていった。
 
あれから10年。相変わらず私の前にはX氏がいる。ただ、その横には10年前の私のような自信がなさそうな学生も一緒だ。
 
私はニヤニヤしながら学生の前で話し出す。
 
「熊本の小さな町で楽しいことをしない?」
 
 
***

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2017-07-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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