私がいいね!ボタンを押すとき、必ずしもいいね!なんて思っていない《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:田中望美(プロフェッショナル・ゼミ)
うっわー! もう、なんてこった。
こりゃ叶わない……
何たる無念、何たる惨めさ。
私の心の中は、悔しさと絶望でいっぱいだ。それでも私は、フェイスブックのいいね! ボタンを押す。いや、こういう時はむしろ、超いいね! ボタンだ。自分の惨めさをめいいっぱい浴びながら、リアクションボタンを押す。本当は押したくなんかない。その記事が素晴らしすぎること、書き手にまんまと心を動かされてしまったことを認めてしまったことになるからだ。もちろん書き手は読者のことをめいいっぱい思って書いてくれている。だからこそ、心動かされるのだ。
だけど、今や、「書くこと」をしている私にとって、いいね! ボタンを押すことは、とてつもなく悔しい事でもあるのだ。じゃあ押さなくてもいいじゃんと言われたら、そうなのだが、素晴らしいと思った記事に、見栄を張ったり、認めたくないからと言って押さないということの方が私にとってはかっこ悪い。やられた~と思うくらい素敵な文章に出会ったのなら、素直にそれは認めなければならない、そう思うからだ。そりゃあもう、悔しいけれど。
だから、私がいいね! ボタンを押すとき、必ずしもいいね! とか、ましてや超いいね! なんて思っていない。これらがプラスの感情であるとするなら、その斜め反対くらいの感情を抱いている。それもみんな、天狼院書店のツワモノのせいだ。
私は今、天狼院書店のプロフェッショナルゼミを受講している。プロのライターを目指す人たちが、月に一回「書くこと」について研究していくゼミだ。毎週5000字の記事を書き、天狼院書店店主である三浦さんに講評をもらう。記事が良ければ、web天狼院に掲載される。メディアグランプリという制度もあり、毎週のPV数を書店スタッフも含め競い合っている。ここにいる人たちはおそらくみんな書くことが好きだ。そして、書きたくて、書くことで食べていきたいという思いを抱いている人が多い。白熱したゼミや、メディアグランプリの様子を見れば、一目瞭然だ。単に好きなことで食べていきたいのだ。そのための努力ならいとわない。本の先の体験を提供する書店、人生を変えるライティングゼミ。そう言われるのは、こういうことが背景にあるからだろう。
私が天狼院を知り、ライティングゼミを受講する前、いいね! ボタンは純粋だった。超いいね! と思っていたならば、本当にそう思っていたし、うけるね! と思えば本当に面白いと思っていた。感動したのならば、涙のリアクションもした。あの頃は、素直にボタンを押せていたのだ。だって、純粋に、web天狼院に掲載される文章を読んで、すっげーーーー! 面白い! 感動! ワクワク! 共感!と興奮していたからだ。そのボタンに嘘はなかった。川代さんの記事だって、三浦さんの記事だって、顔も知らない人の記事でさえも、心動かされるものばかりだった。これはすごい! と思えば、シェアだってしていた。本当にみんなに読んでほしいと思ったからだ。
だけど、今はどうだ。私はいつも押すか、押すまいか一瞬迷って、ためらいながらいいね! を押す。素晴らしい記事であればあるほど、感動してしまった記事であればあるほど、いいね! ボタンを押すことをためらってしまうのだ。いつもいつもそうなるわけでもないが、納得のいくものが書けてけていなかったり、いいネタが見つからなかったり……等があると、特にそんな気持ちにさいなまれてしまう。だけど、そんな変なプライドはいらない。邪魔である。すごいと思ったものは素直にすごいと言える強さを持っていたい。だから、私は泣く泣くという表現があってるかは微妙だが、泣く泣くその記事と書き手にリアクションをする。
そんな心境を抱くようになったのは、やはり、ライティングゼミ・プロフェッショナルコースを受講するようになってからだ。はじめて「書くこと」がこんなにも面白いのか! と気づいてはや一年半。最初は基礎のライティングゼミを受講していた。毎回毎回のゼミが面白くて仕方なかった。午後から始まるゼミの日は一日中心がワクワクした。それだけ書くことと天狼院書店の虜になっていた。まんまと(笑)? 天狼院書店の穴に入り込んでしまった私は、抜けられるはずもなく、どんどん奥深くに入り込んだ。そのままライティングゼミの2期へ進み、本気でプロを目指すプロフェッショナルコースの入試をダメもとで受け、運よく1期から受講することとなり、ただいま3期目だ。
今まで、自分がこんなに文章を書くことが好きになるなんて思ってもみなかった。机に座ってじっとしていることができず、身体をぶんぶん動かす方が好きだった私が、今、高い集中力を維持して、ものすごい勢いでパソコンをカタカタしているなんて、1年前は知るはずもなかった。ここまで好きになってしまったために、素直にすごいと言える心が薄れていってしまっている自分が嫌だった。「書く」という世界を知らなかった方が、もっと純粋な気持ちで記事を読んで、楽しんで、それが学びに繋がって、素敵な文章を書けるのかもしれない。だけど、知ってしまったがために、もっともっとうまく書けるようになりたいと思うようになってしまった。だから、うまい文章を書く人には嫉妬のような感情が沸き上がってしまうのだ。人と比べてしまう、どうしてうまく書けないのかと悩んでしまうようにもなった。自信がなくて、毎週自分の書いた記事を提出するのも、書くこと自体も怖いと思ってしまうことがあった。
本当に好きなことに対して、素直になれなくなってしまうのだ。
世界的に有名なダンサーである菅原小春さんもこう言っていた。
「私は一カ月に一回のペースでダンスを辞めたくなることがある。なぜならば、ダンスが好きすぎるからだ。好きすぎてできない自分が嫌で嫌で苦しくなるから辞めたくなるのだ」と。
それでも、彼女は踊り続け、自分のダンスをを作り続ける。好きすぎて苦しい、とは、なんて恋愛的な感覚であろう。
「書く」ということは、時にもがき苦しむこともある。私のこの状態もその一つだ。
だけど、それを乗り越えていかなければプロの道にはたどり着けない。そしてその方法は唯一「書く」ことである。
だから私は、たとえ複雑な感情を抱いていたとしても、いいね! ボタンくらいは素直に押そうと思う。
こんな風に思うのはみっともない事なのかもしれない。他人と比べるより、昨日の自分と比べたほうが良い。他人と比べる必要なんかないし、あなたにはあなたらしさがあるからと、悔しがる必要なんかないと言われるかもしれない。だけど私は、この嫉妬のような感情をダメなものだとは思わない。なぜなら、自分がもっとうまく書けるようになるために、押したくないけど押しているからだ。こりゃ~かなわないと思った記事にいいね! ボタンを押すときの気持ちは、何たる無念、悔しい、であり、そうすることで、自分を自分で惨めにさせ、悔しがらせ、もっといい記事を書こうと思わせることができるからだ。まあそもそも、いい記事を読まなければうまくなれない。
もっとも、「悔しいくらいいいね!」 ボタンがあれば私は全くもって嘘つくことなくボタンを押せるのだが(笑)
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