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メディアグランプリ

結婚式に旧友から貰った最高の「いいね!」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:松本 悠里 (ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
よく晴れた6月の日。私は美しい刺繍の入った鮮やかな朱色の打ち掛けを纏い、ハレの日を迎えた。
 
彼女は、披露宴会場の高砂席で10数年ぶりに再会した私に、「良かったね、おめでとう」と涙を潤ませ言った。笑顔がとてもとても綺麗だった。
 
彼女と私の実家との距離は約100m。自分の家の前から真っ直ぐ伸びる彼女の家への道の、その途中に十字路がある。小学校に行くときも、中学校に行くときもこの十字路で待ち合わせをした。帰り道は、この十字路でまたねと言って別れた。
 
幼稚園も、小学校も、中学校も一緒だった。小学校は小3からの4年間、中学校は3年間、クラスも一緒だった。部活動も一緒だった。「一緒の部活に入ろうね!」と言っていた彼女は、音楽が好きな私を追うような形で、吹奏楽部に入部した。
 
彼女は、小さな町でちょっと評判になるくらいの美少女だった。中学校ともなると小さな田舎町でも、少しませた子達が男女交際なんかを始めたりする。ちょっと化粧してみたり、流行りのものをすかさずチェックしたりして、そんな学校内マウンティングのトップにいるような子達が、必ず男女混合のグループで行動するのはなぜなのだろう。ともかく、他校の男女グループが、なぜか彼女のことを知っている。運動も出来る子だった。各学校で選ばれた選手が集まって競う町内の合同運動会では、彼女に話しかける機会を窺う人がたくさんいた。
 
私はそんな彼女の隣にいて、いつも「その他」の存在だった。
 
こんなことがあった。小学校の頃に私をいじめていた女の子が、その子は所謂マウンティングのトップグループに入りたがっているような女の子だったのだが、成人式の時に彼女に話しかけてきた。当時、教員も親も巻き込んだ結構な大ごとになった「いじめ」問題から、私はその子には絶対に近づかないようにしていた。向こうも、きっとそうだったはずだ。でも、彼女のすぐ隣に私がいるのにその子は嬉々として近づいてきて、愛想よく彼女に声をかけた。「久しぶりー、元気だったー?」から始まる当たり障りのない会話をし、携帯電話のメールアドレスを交換して去っていくまでの一連の流れの間中、どうやらその子に私の姿は見えていないようだった。
 
中学校を卒業し、私は県内トップクラスの進学校に入学した。彼女は地元の高校に進んだ。名前を言えば「すごいね」と言われる高校で、彼女のいない高校で、私は「その他」ではない高校生活を送ろうと思った。先述した成人式は仕方なく行ったものの、それ以外で、彼女を含めた地元の友達とは一切連絡を取らなかった。連絡を取らなくても彼女の噂はなんとなく聞こえてくる。相変わらず高校でも人気者だったらしい彼女の、今後の人生を勝手に想像していた。ちょっと流されやすいところのある彼女のことだから、ちやほやされて調子に乗って派手な生活でもするのだろうか、ちゃらちゃらした男に騙されてなんだかんだあったりしながら、この小さな町にとどまったまま生きていくのだろうか。私は彼女とは違う。違うところで、ちゃんとした人生を生きていくんだ。
 
私の家は彼女の家よりもたった100mだけ駅に近かった。中学校の卒業式に十字路で彼女と別れたきり、私は決して十字路の向こう側に行かなかった。毎朝十字路に背を向けて、東京に近い場所へと運んでくれる電車に乗るために、駅へと走った。
 
高校は楽しかった。進学した都内の大学には全国から色んな人が集まってきて、たくさんの個性的な友達が出来た。仕事も、それなりに頑張った。
 
14歳で中学校を卒業して、さらに15年以上が経った。私は結婚をして都内に居を構えた。結婚式で流す映像のために小さい頃の写真を整理していて、絶望的な気分になった。一緒に写っているのは、どれもこれも彼女だった。
 
観念して、中学時代、携帯電話をやっと手に入れた頃に聞いた彼女のメールアドレスに、メールを送った。「6月に結婚式を挙げます。来てくれませんか?」と。驚くことにメールアドレスは変わっておらず、返事はすぐに返ってきた。声をかけてくれて本当にありがとう、喜んで行きます、との旨が書かれていた。中学校時代の友達は彼女一人しか呼ばないことも伝えたが、意に介していないようだった。
 
結婚式の当日は全く話す時間がなかったので、そのすぐ後に改めて地元のファミリーレストランでご飯を食べた。彼女は町の公務員として働き、10年ほど付き合った彼ともうすぐ入籍予定だそうだ。でも、会社をやっている自分の実家のことを考えると、長女である彼女は悩むこともあるのだそう。離れていた月日を全く感じさせないほど、話は弾んだ。彼女は私の想像していた軽くちゃらちゃらした人生なんか送っていなかった。
 
私は、とても恥ずかしくなった。彼女自身ではなく、彼女に対する周りの人達の反応ばかりを気にしていた。そして、そんな周りの人達から逃げるために、彼女と、そして彼女と過ごした14歳までの自分を遠ざけた。時には、そこに蔑んだ眼差しを向け、これからの私は違うんだ、と思い込むことで自分を安心させていた。
 
彼女の考え方は、驚くほど私と同じようだった。それも当然のことだ。小さい頃によく遊びに行った、今はない商店街のお店を挙げれば、100%同じなのだ。今の私を作り上げたと言っても過言ではない厳しい部活動に、心身ともに捧げる中学校生活を送ったのも同じだ。
 
名残惜しくファミリーレストランを後にし、十字路で再会の約束をして別れた。十字路の向こうに歩いていく彼女の姿勢の良い後ろ姿を少しの間見つめていた。記憶の底に封じ込めていた14歳までの自分が突然生き生きと話しかけてくるようで、その日はなかなか寝付けなかった。
 
自分が自分を認めていなければ、自分と多くの時を過ごした人を大切に思っていなければ、周囲のよく知らない誰かがくれる「いいね!」なんてどれほどのものなのだろう。たくさんの写真をInstagramに上げたところで、たくさんの記事をFacebookに投稿したところで貰える「いいね!」の数にどれだけの慰めがあるというのだろう。少なくとも私の場合、自分の原風景となる幼少時代を一緒に過ごした人を蔑ろにして、何より幼少の自分を自分自身が否定したまま、周りの反応ばかり窺うことは少なからず苦しいことだった。彼女は、そんな私をすべて認めて最高の「いいね!」をくれた。
 
明日から、何が変わるというわけでもない。けれど、少し優しい気持ちで過ごしていける気がした。たまには地元に帰って、彼女とたくさんの話をしよう。15年の時を経て真正面から私に向き合ってくれた彼女の幸せを祈ろう。彼女の結婚式には、心から「良かったね、おめでとう」と言えると思う。
 
 
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2017-07-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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