なんのとりえもない平凡な私が母乳を出すことで手に入れたもの《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:bifumi(ライティングゼミ・プロフェッショナル) ※この話はフィクションです
「ん? え!? ・・・・・・あ、あまい。
これって、まさか、母乳?」
「あ、ぅうん、そう・・・・・・かも。
まだ、でてるのかも」
その男は、驚いたように、何度も私の胸をみつめ、嬉しそうに、乳房に吸いついてきた。
息子が卒乳して4年。
まだ母乳がでていることを、私自身知らなかった。
何のとりえもない平凡な私が、夫以外の男と、体を重ねるようになるなんて、考えてもみなかった。全くの想定外だ。
会社の上司だった夫と、私は28歳の時に結婚した。
口下手で寡黙な夫は人としても信頼でき、尊敬と憧れが私の中で次第に恋に替わっていった。
私の思いに気づいていたのか、夫から告白され付き合いが始まり、私たちは結婚した。
仕事は続けるつもりでいたが、結婚してすぐに妊娠がわかり、私は会社を辞めた。
家庭と仕事を両立できるほど、器用でないことくらい、自分が一番よく知っていた。
専門職を極めていたわけでもなく、目指すキャリアもない私は、専業主婦になることに、なんのためらいもなかった。
朝起きてご飯をつくり、子供と夫を起こし、ご飯を食べさせ、息子を幼稚園まで送っていく。
帰って家事をし、昨日の残り物で昼食をとり、昼過ぎには子供を幼稚園に迎えにいく日々。
これだけなら、普通のどこにでもある日常だ。
ただ、こと地方、とくに田舎特有の外野の声というものが入ってくると、これがまあうるさくて、私には大きなストレスとなって、重くのしかかってきた。
独身の頃は、なぜ結婚しないのか? できないのか? する気がないのか? と散々いわれ、結婚したらしたで、子供はまだか? 跡取りなので最初の子は男の子じゃないと困ると、たいした資産もない姑に平然といわれた。
男の子を出産すれば、2人目は楽だから女の子にしろといわれ、なかなか2人目を妊娠しなければ、子供を作る気がないなら、そろそろ仕事にでたらいいじゃないか、家にいても暇でしょうがないだろうといわれる始末・・・・・・。
資格も何も持たない私が、そんな簡単に仕事なんてみつかるはずないだろう?
産まないなら、働きにでろ! ということか。私は出産マシーンじゃないんだけどな。
一体どこまでいけば、一人前として認めてもらえるのだろうか?
そんなに大した功績を遺したわけでもないくせに、
自分たちの常識のレールに乗れない者はダメなやつだと勝手に決めつけてくる。
外野の声は、義理の実家に行く盆や正月、法事の際や電話で話している時にやってくるが、右から左に聞き流していればいつかは終わる。それでも大抵イライラが募り、家に帰って夫に当たり散らすことでこれまで発散してきた。
でも、それよりもさらにやっかいで、根深い、嫉妬や妬みうずまくママ友界という魔界があることを、私は知らなかった。
気付けば面倒くさい幼稚園行事は全て私に押し付けられ、いつも車を出す係に割り当てられていた。ランチ会という名の、悪口合戦に時間の限りつきあわされる毎日。女の世界はどこまでいっても汚くてうんざりする。
名前も、○○君のママや、○○さんの奥さんと呼ばれる事しかなくなり、自分の下の名前を私はうっかり忘れてしまうところだった。
何一つとしてとりえのない私は、こうやって、まわりの人に都合よく使われ、外野からも悪気がないからこそ、心の底までエグられるような攻撃をうけ、嫌な顔もできず、我慢しながらこれからも生きていかなければいけないのかと思うと、なんだか惨めでしょうがなかった。
結婚し、子供も産み、働く必要もなく、専業主婦という座につき、一体なんの不満があるのか? と独身の友達からは訝しがられるが、私だって、心に毒がたまってくると、なんで私ばっかり? と叫びたくなる時だってある。
どんなに恵まれているように見える家庭でも、扉一枚隔てれば、ドロドロした汚い汚物が家中に充満している可能性だってある。人の心の中だって同じだ。
精神的に疲れ、毒がたまってくると、嫌な事全てを忘れ、ただただ、私を認めてくれる心地よい場所に逃げ込みたくなる。
そんなイライラが重なり、どうにも立ちいかなくなっていた時に、私は彼と出会った。
主婦の出会いというのは2パターンあって、1つは子供の習い事、もう1つは同窓会と、だいたい相場が決まっている。私の場合は、後者の高校の同窓会だった。
夏に行われた高校の同窓会で、ほぼ初対面に近い形で彼と出会った。
在学中は、全く面識がなく、お互い存在すら知らなかった。
私が通っていた高校は、女子よりも男子の比率が高く、彼は3年間通称「男クラ」と呼ばれる、共学なのに男子校のような所に在籍していた。
期待して入ったのに、なんだか騙されたような3年間だったと、彼はこの頃のことを思い出し苦笑いしていた。
同窓会の場で彼と話していると、話が広がり楽しかった。
意気投合し、お酒も入っていたせいか、迷うことなく次に2人だけで会う約束をした。
彼は営業職なので、昼間に時間をとりやすい。
私も息子が幼稚園に行っている間は、比較的時間が自由になる。
昼間融通がきく相手というのは、お互いにとって、とても都合がよかった。
外の世界ものぞいてみたいという、ただお好奇心から、私たちの関係は、はじまった。
彼は会う度に、愛おしげに、私の乳房を吸う。
毎回母乳の味が違う事や、私の胸の形が自分の掌にちょうどなじむことを、言葉にしてちゃんと伝えてくれる。
今の私には、何よりこの時間が手放せないものになっている。
何もないと思っていた私が、生きていることを全身で確認できるのは、彼と体を重ねている時だけだ。
彼が私を必要とし、この体や母乳に癒されているという事実が、私の中で何物にもかえ難い、自信に繋がっていった。
私に対する思いが、彼の口から紡がれると、それだけで、もう私の心はとろけそうなほど、満たされていく。
カラカラに乾いた砂漠に水が染みこむように、乾いた私の心にも、彼の言葉はしみこんでいった。
彼と初めて体を重ね、強く乳房を吸われた時に、息子に初乳を与えた時のことを思い出していた。
出産後初めて息子と対面した時、毛の生えていない赤いサルのような生き物を目の前につれてこられ、ひどくがっかりした。
出産で体力を消耗し、疲れ切っていたのかもしれない。
ただ、その生き物は、誰に教えられたわけでもないのに、私の胸の近くに連れていかれると、自然と口をパクパク開け、懸命に私の乳房に吸いついてきたのだ。
その瞬間、「ああ、私がいないとこの生き物は死んでしまう! 私だけを頼り生きている。この子のためならどんなことだってできる! 私はどうなったってかまわない!」と、自分でも信じられないくらいの愛おしさが、身体の奥の奥の、ずっと深い場所からこんこんと湧き上がってくるのを感じた。
私は乳房を吸われることで、母になったのだ。
私の胸に吸い付くことで、この男は何を得ようとしているのだろうか?
ふと、右乳を口に含む彼を見ながら、ぼんやり考えていた。
「母乳っていつまででるのかな? 吸い過ぎて枯れたりしたら、俺どうしよう・・・・・・」
不安気な顔をしながらもなお、愛おしそうに乳を吸う男。
今の私の母乳には、栄養のある成分はほとんど入っていない。
食物としての役割のない母乳が、いつまで出続けるのかは、私にもわからない。
ただ、乳首を吸われることで乳腺が刺激され、また新たな母乳が作りだされている。
「乳首を吸って刺激してる限りは、母乳は出続けるんじゃないの?」
と答えると、口角をあげて、さらに愛おしそうに舌で私の先端を転がすように刺激を始めた。
彼は結婚しているけれど、子供がいない。
だから、母乳がでる女も、その女と体を重ねることにも、かつてないほどの、隠微で淫らな興奮を感じているようだった。確かにこういうケースは稀なのかもしれない。
私の乳を吸う事で、興奮し、妄想し、癒され、果てるという行為を何度も繰り返す姿をみていると、息子に対する思いとは別の愛おしさを感じてしまう。
私は息子の卒乳後、4年経ってもまだ母乳がでているけれど、とんでもない爆乳の持ち主ではない。実際は、あきれるほどの微乳で、身体の凹凸もほとんどないような体だ。
ただ、この私の微乳を好むゾーンを、早くから研究し、知っていたので、胸が小さくても困る事はなかった。
私は、丸顔、童顔、小柄、微乳である。
とくれば、ある一定数の、幼い体系を好む男性からの需要がとても高い。
早くから、他のゾーンには目もくれず、自分が勝ち残れるゾーンのみで戦ってきた。
美人激戦区福岡で、何のとりえもない、ごく普通の女が生き残るには、戦略的に戦っていくしかない。生きていくために身に付けた、サバイバル術、生きる知恵だ。
独身の頃、付き合った人たちが本当はどう思っていたのかは、よくわからないが、
微乳すぎて萎える、もっと胸が大きい方がよかったといわれたことは、一度もない。
微乳をからかわれた記憶もない。
需要と供給は一致していたようだ。
とりあえず、小さな膨らみが2つくっついている程度の自分の胸に、コンプレックスを抱いた事もないが、さすがに妊娠し、月数が進んでくると、満足な母乳がでるのだろうか? という不安が頭をよぎった。
実は、私の微乳は家系の中でも、突然変異性の高いもので、私の母と祖母は、あふれんばかりの爆乳の持主だ。
小さい頃、母とお風呂に入りながら、子供ながらに、なんだこのバレーボールのような胸は? と下から大きな塊を見上げては思っていた。
母の胸は美味しそうな、非常に形の良い乳房をしていた。
授乳にもなんの問題もなく、溢れるほど乳はでていたそうだ。
祖母に至っては、母乳がでない人の変わりに、乳を提供する、「もらい乳」という役割を地域で果たしていた。
母乳がでないのは、たいていお金持ちの奥様で、毎回申し訳なさそうに、鯉の刺身や、餅、滋養のつく食べ物を貢物として、もってきてくれたそうだ。
まず、一番先に自分の子供に乳を飲ませ、その後、もらい乳にきた赤ちゃんにもお乳を飲ませる。当時祖母はとても貧乏だったので、半ば職業としての母乳提供者となり、家庭の食費を支えていた。
私の出産後の母乳の生産量は、ありがたいことに、母と祖母2人からのDNAを見事に受け継ぎ、アレルギー持ちでミルクが飲めない息子にも、存分に母乳を与えることができた。
息子を母乳で育てたことは、微乳でもやる時はやるんだぞ! という私のちっぽけな誇りにもなっている。
夫にも付き合っている頃から、胸について、何か言われたことはない。
私達夫婦は、仲が悪いわけでも、セックスレスでもない。
定期的に体は交わしている。
私が彼と関係するようになってから、夫から求められる回数もぐんと増えた。
オスの本能として、私に女としての変化を感じているのかもしれない。
ただ、卒乳から4年経っても、私から母乳がでていることを、夫の口から聞いたことはない。彼に指摘されるまで、私自身知らなかった。
卒乳後の母乳は、吸われることでしか、出てこない。
おそらく、夫は知ってはいるのだろうけど、
出ることが当たり前すぎて、なにも感じなくなってしまっているのだろう。
ありがたみを感じない夫と、
母乳がでることに興奮し、言葉でも態度でも嬉しさを表してくれる男。
皮肉な話だが、私は、何もない私をただ認めてくれる男に、心も身体も満たされてしまっているようだ。
「ママ―、幼稚園バスくるよ! 早くバス停にいこうよ」
考え事をしていたら、息子の芳樹に急かされた。
最近、こんな風に上の空になることが多い。
私は慌てて、芳樹のお弁当を袋にいれる。
「よっくん、水筒もった?」
「うん、もった! ママ、今日もお出かけ?」
芳樹の言葉に、一瞬ドキッとする。
「よっくん、どうして今日ママがお出かけってわかったの?」
「だって、いつもズボンなのに、ママおでかけの時スカートはくでしょ。
よっくん、スカートはいてるママが好きなの。
だって、お姫さまみたいなんだもん」
「ありがとう、そんなこと言ってくれるのよっくんだけだよ」
「お風呂の時、パパもいっつもママ可愛いねーって言ってるよ」
「それ、ほんと?」
「ほんとだよ! パパも可愛いママが大好きなんだって」
突然、目の奥が熱くなり、私は慌てて上を向いた。
そうでもしないと、目に溜まった水が落ちてきそうだったから。
芳樹に涙を気づかれないよう、後ろからぎゅっと抱きしめた。
「よっくん。よっくんが大きくなってお姫さまみたいな人と結婚したらさ、
毎日、かわいいよって言ってあげてね。
言葉にしないと、思ってるだけじゃ、伝わらないから。
お花だって、水を上げないと、キレイに咲かないでしょ?
ママだってそう。かわいいね、キレイだねって、いってもらえないと、どんどん元気なくなって、枯れちゃう」
「うん、わかった! よっくんかわいいママ大好き! スカートはいててお姫様みたいなママはもっと好き!」
「ありがとう! ママもよっくんだ~い好き!
あのね、よっくん、今日ママお出かけだから、幼稚園が終わったら、えんちょう保育のお部屋にいって、ママが来るまで待っててね。あまり遅くならないようにするから」
「うん、わかった」
「ママ、かわいくなーれって、魔法かけてもらってくるね」
「もっとかわいくなるの? わーい!
僕の好きなこぐまちゃんケーキも買ってきてね」
「うん、わかった」
芳樹の小さくて柔らかい手を握りながら、バス停までの道を歩いていく。
馬鹿なことをしていると、自分でもよくわかっている。
だけど、やっぱり彼との関係はやめられない。
からっぽで何のとりえもない私が、やっと見つけた自分の居場所だから。
時々、夫が、口下手ではなく、ちゃんと言葉にして伝えてくれる人であればなあと思うことがある。
そうだとしたら、私と彼の関係は始まっていなかっただろうか?
なんて考えるのは、もうよそう。
「たられば話」は、どこまでいっても「たられば」にしか過ぎない。
うだうだ言っていても、現実がかわることはない。
それはこれまで生きてきて、自分が一番よく知っている。
私は私を認めてくれる、自分の居場所をやっと手に入れた。
こんな居心地のよい場所を、私はまだ手放したくないのだ。
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