メディアグランプリ

青春の火葬


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:村山セイコ(ライティング・ゼミ通信コース)※これはフィクションです

 
 
何年も連絡を取っていなかった高校時代の旧友からのメールを開いた私は、着替えを畳みもせずバッグに押し込んで走り出し、気がついたら飛行機に乗っていた。窓の下には、懐かしい景色がもう近づいている。
 
親の転勤で中学から移り住んだ九州でおっとりした土地柄が気に入った私は、寮のある高校に進学して1人この土地に残った。
「私、あなたのことが好きだったの!」
高校三年の新学期。目の前の背中が振り返り私をまっすぐ見つめてそう言った。女子からそんなことを言われたのは初めてだった。少し戸惑ったが悪い気持ちはしなかった。
彼女は凛子と名乗った。凛子は、美術部員である私の絵を見たことがあるという。
「その時、この人はすごいって思ったの。友達になりたいって思ってた。クラス替えで席が前後なんて、運命だと思う!」
その絵は肖像画だった。制約なく自分の好きに描いた、私の一番好きな絵だった。
「美術の授業があるたびこっそり見てたの。出来上がるまでちょこちょこ見てた」
真ん中に描かれた自分の絵の背景に迷って仕上がるまでに半年かかった。成長期の多感な心を吐き出すように色を付けては何度も何度も塗り重ねていた。
「最後にあんなにきれいな青になるなんて」
そう、最後に私は五月の空のような青を選んだ。
「解放されたみたいで感動した!」
自分の中の全てを見られていた、そんな気がした。この時、私は凛子に心を奪われたんだと思う。
新学期の、友人関係を探り合う周囲の空気の中、私達は二人の世界に居た。凛子はいつも私に触れながらお喋りをした。手や腕、肩、顔。はじめは少しの違和感があったが、すぐにそれは無くなった。やがて席替えがあり、席が離れてからは休み時間のたびに私の膝に乗ってきた。
「こうすれば、周りの席が空いてなくても大丈夫じゃない?」
目線の少し上から微笑まれ、私も頷いた。例え私が別のクラスメイトと話をする時にでも、凛子は私の膝の上から動かずじっとしていた。私は、だんだん凛子が自分の一部になっていくような気がした。不思議とクラスメイトたちも、それをどうと言うこともなく受け入れていた。
ある日、いつものように薄暗くなるまで話し込んで、そろそろ帰ろうかと私が言うと、凛子は私に抱きついて耳元でささやいた。
「家に帰りたくない」
か細い声に、私は少し戸惑った。
「家に私が居なくたって誰も気が付かないもん」
首に回された腕の力が強まり、しがみつくように抱き付かれた。
「家での私、空気なのよ。まるで皆見えないみたい。お姉ちゃんしか、見えないみたい」
凛子には二つ上の姉が居た。学校始まって以来の秀才と有名で、私も名前くらいは知っていた。
「あなたが居てくれたらいい。」
なんとも言えない気持ちがした。私達が唯一無二の親友だという喜びと、少しの苦味が胸に広がるのを感じた。
それから私たちは、毎日暗くなる教室でひっそりと寄り添った。明かりをつけないまま、ほとんどの時を、私は彼女を膝に載せたり、膝枕をしたりして彼女を寝かせて過ごした。クラスメイトの数が減っていくのに合わせて私達の会話は途切れ途切れになり、私は赤ん坊を寝かしつけるような気持ちで彼女の髪を撫でた。彼女は、愛着を持った人形を抱きしめる子供のように私に手を回した。
二学期の初め、最終の進学希望を書く紙が配られたとき、凛子は私の用紙をひらりと奪った。県内の大学が記された文字を見て、凛子は「私と一緒!」と嬉しそうに笑った。
しかし、センター試験で私は思うような結果を出すことができなかった。第一志望にしていた県内の大学は難しいのではないかという担任のアドバイスと、東京に戻り一緒の暮らしたがっていた両親の言葉もあり、私は進路を変更した。センター試験後すぐに東京に飛び、両親のもとで入試の準備をした。慌ただしいスケジュールの中、私と凛子はすれ違いその話をすることができなかった。
私がいくつかの入試を済ませて、学校に戻ったのは卒業式の二日前だった。久々に登校した私に、クラスメイト達が群がる。突然上京を決めた私は質問攻めにあった。凛子は輪の遠くから私を見ていた。
バツの悪そうな顔で近寄る私を凛子は黙って見つめる。私は進路を変更したいきさつを話し、事前に話が出来なかったことを謝った。
「いつ引っ越すの?」
寮生活をしていた私は、卒業の日に寮を出て、翌日には東京に発つ予定になっていた。凛子はそっけなく、見送りに行くと言った。
 
あの別れの朝を覚えている。空港のデッキで、私達は快晴の空に飛び立つ飛行機を眺めながら黙り込んでいた。出発の時間が迫ってきたことを告げると、凛子は突然、怒り狂ったように彼女の中にあるありったけの汚い言葉を私に浴びせた。全てを吐き出した後、凛子は立ちすくむ私の頬に手をあてた。叩かれると思った私は目をぎゅっと瞑った。しかし、感じたのは痛みではなく、固く震えた凛子の唇だった。
ほんの二、三秒押し付けられた唇が離れ目を開けた時、凛子はもう背中を向けて走り出していた。
 
凛子に会ったのは、これが最後だった。
 
新生活に慣れたころ、メールを送ってみたがアドレスが変更されていた。時々、人づてに凛子の話をそれとなく聞いてみたりした。大学を卒業後、地元の企業に就職し、学生時代のアルバイト先の先輩と結婚したらしい、そんな噂を聞いたのは二十五の頃だった。歳を重ねるにつれ、学生時代の友人との関係も薄くなった。どんどん増えていく新たな出会いに押され、凛子は記憶の隅にひっそりと追いやられた。ただ故郷の話になると、そのたびに語れない凛子のことを思った。
今朝のメールは、凛子が病気で亡くなったという知らせだった。高校を卒業して、携帯も何度か変わった。旧友が連絡をくれたのは奇跡のようなものだった。葬儀にぎりぎり間に合った私は、お棺に横たわるその姿に経ってしまった時間を感じた。記憶より大人になった凛子の顔はどこか他人のようで、夢を見ているようなぼんやりとした気持ちがして涙は出なかった。
斎場を立ち去ろうとしたとき、凛子の母親が、私を見つけて駆け寄ってきた。遠くから参列したことに恐縮しながら、封筒を渡された。凛子からの手紙だった。
私はバスに乗り、二人で過ごした高校の近くに来た。私は人気の無い場所を選んで、凛子の手紙を開ける。
 
『あなたのことが大好き』
 
手紙は、たった一行だけだった。私の目から涙が溢れ出す。卒業してからだって、会おうと思えば会えた。でも私はそうしなかった。可愛かった、愛しかった、でも重たかった、抱えきれなかった。愛していた、逃げたかった。凛子は私の青春の全てだった。
瞬けど瞬けど、私の瞼は涙をせき止めることができない。頭も、目も、胸も、体中が痛かった。
ひとしきり泣いた後、私は手紙にライターで火をつけた。湿った紙がゆっくりと溶けるように燃え、塵が空に舞い上がる。追うように顔を上げると、あぁ今日も。
 
私達の別れの時はいつも快晴だ。ね、凛子。
 
 
***

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2017-07-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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