プロフェッショナル・ゼミ

きれいなお母さんはすきですか?《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:石村 英美子(プロフッショナル・ゼミ)
※このお話はフィクションです

「きれいなお姉さんは、好きですか」

昔こんなコピーがあった。好きだ。好きに決まっている。では、

「きれいなお母さんは、好きですか」

これはどうだろう。うん、好きだ。これも好きに決まっている。決まっているのだが、なんだか心が少しちくっとする。お母さんがきれいなこと自体はとても良いことだと思うのだけれど。

美魔女なんていう言葉が出てくるずっと前、小学生の頃にそのような人に会ったことがある。子供心に「何か違う」と思ったものだ。そして憧れのようなものと同時に、私の中に錘のようなものとして記憶に残っている。

同級生のヒロミくんのお母さんは、いつもワンピースを着ていた。

紺色の軽やかなジョーセット生地には小さい水玉模様が入っていて、ウエストには白くて細いベルトをしていた。薄暗い体育倉庫から見えた、生成り色の日傘をさして歩くヒロミくんのお母さんは、何かの挿絵みたいだった。

あたしのお母ちゃんも似たようなワンピースを持っていたが、よそ行きなので滅多に着ているのを見たことがない。それにお母ちゃんは少し太っているので、ヒロミくんのお母さんみたいな感じにはならない。似合わないわけじゃないけど、うちのお母ちゃんはやっぱりただのおばちゃんで、ヒロミくんのお母さんは「きれいな女の人」だった。

それはあたしだけではなく、きっと同級生のみんなが思っていた。小学校の校門んから校庭をまっすぐ横切って歩いてくるヒロミくんのお母さんを見つけると、みんなおしゃべりをやめた。ヒロミくんは「家庭のじじょう」で二年生の初めから転校してきた。なので、ヒロミくんのお母さんはよく学校に来ていた。お仕事はしていないみたいだった。

「きよみの母ちゃんさ、おじさんみたいだ」

とつぜん松本くんがあたしに向かってそう言った。確かにお母ちゃんはちょっと男みたいだった。肩幅が広くて筋肉がついていて。でもそれはあたしたち家族のために力のいる仕事をしていて、そのせいなんだ。頭にきたので「あんたのお母さんだって顔がゴリラみたいだ」と言ってやった。そしたら頭から石灰をかけられた。少し吸い込んで咳き込んだ。ほんとうに頭にきたのであたしも松本くんに石灰をかけて、石灰が入っていたライン引きも投げつけた。ゴリラ! おじさん! ゴリラ! おじさん! という言い争いを何回かして、もみ合いになったあたりで先生がやってきて、すごく怒られた。松本くんは泣いたけど、あたしは泣かなかった。だから「勝った」と思った。ふとヒロミくんを見ると、遠くであたしのことを見ていた。少し笑っているような、悲しいようなどっちとも取れる顔をしていた。

「きよみ! なんでそげなことになったとね! ケガせんやったからよかったけど!」

その日家に帰ったら、お母ちゃんは石灰のことを知っていてまた怒られた。先生から電話があったのかも知れない。お母ちゃんは怒ると怖い。でも思ったより少ししか怒られなかった。

「石灰までならよかけど、ライン引き投げるのはダメやっど」

と言った。そう言われればそうかも知れない。松本くんは投げてない。「ごめんなさいもうしません」というと、お母ちゃんは笑った。お母ちゃんは美人じゃないけど笑ったらかわいいと思った。そしてなぜかケンカの理由は訊かれなかった。

その夜、布団に入ってからひろみくんのお母さんのことを考えた。後ろ姿とその長い髪。お母さんたちはみんな髪を短くしてパーマをあてるのだと思っていたけど、ひろみくんのお母さんはサラサラの長い髪の毛だった。やっぱりちょっと、うらやましい。もしかしてあの時、松本くんも同じようなことを考えたから、うちのお母ちゃんの悪口を言ったのかな? だったらゴリラに似てるからって、ゴリラとか言って悪かったかな。おあいこだからあやまらないけど。

ヒロミくんとはほとんど話したことがなかった。
まず、街から転校してきたヒロミくんはあんまり喋らなかった。用事があるときは喋ったけど、何か言ってもヒロミくんは「うん」とか「いいよ」とかしか言わなかった。みんなと一緒に遊んでる時にも、ヒロミくんは皆にくっついているだけで、あまり騒いだりしなかった。街から来た子はそうなのかなぁと思った。遠くから見たら、坊主頭じゃないヒロミくんはすぐに見分けがつく。髪の長さは、私とあまり変わらない。仲間外れになっている様子はなかった。すぐにいばる松本くんも、なぜかヒロミくんをいじめたりはしなかった。ヒロミくんとちゃんと友達になる前に夏休みになった。二学期になったら、友達になるかも知れない。

そんなことは忘れて夏休みを過ごした。虫を捕ったり、プールに行ったり、海水浴に連れて行ってもらってクラゲに刺されて泣いたりした。お盆には東京のおじちゃんたちも帰って来た。あっという間に夏は過ぎて行った。

八月の下旬、二度目の登校日があった。夏休みはあと10日に減っていて、宿題はちっともやってない。いやだなぁと思いながらちゃんと学校には行った。そしたら、なんだか先生たちが怖い顔をしていた。なんだか変な感じだった。教室に先生が着た頃、校庭にマイクロバスが入って来るのが見えた。バスには「セレモニー大平」と書いてあった。

最初、先生が言っていることが分からなかった。

「だから、今日火葬場に行く前に、学校に寄ってくれました。みんな、校庭でヒロミくんにお別れをしましょう」

ヒロミくんは、居なくなってしまった。
とつぜん、居なくなってしまった。
親戚と海水浴に行って、波にさらわれてしまったそうだ。
二日経って、やっと見つかって、お葬式は家族だけでしたのだそうだ。

別に仲が良かったわけじゃないからそんなに悲しくはなかったけど、しんでしまうのはいやだった。同級生の女の子たちはしくしく泣いた。松本くんも歯を食いしばって泣いていた。あたしも泣いたほうがいいかなと思ったけど、ウソ涙は出なかった。

皆でぞろぞろと校庭に出た。
うちのクラスと、他のクラスの人たちもバスの前に集まって来た。マイクロバスの横ところにパカッと開くところがあって、白っぽい木でできた棺桶がおさまっていた。じいちゃんの葬式の時に見たやつより随分小さかった。黒い背広を着て白い手袋をしたおじさんが、フタを閉めるまでみんなで手を合わせた。マイクロバスの前の方の座席に、ヒロミくんのお母さんが座っているのが見えた。座ったままこっちを見て、少しお辞儀をしてくれた。長い髪は、後ろで束ねてあった。

夏休みが終わり、新学期が始まった。

ヒロミくんが居ないことは、最初おかしな感じだったけど、運動会の練習が始まる頃にはそれも少しずつ忘れて行った。二学期になってから、一回だけヒロミくんのお母さんが校庭を歩いているのを見た。見たけどすぐ見ないようにした。見たらいけないような気がした。

先生に言われて、全員でそれぞれヒロミくん宛に手紙を書いた。
書いた手紙はヒロミくんのお母さんに渡すそうだ。そりゃそうだ。ヒロミくんはもう手紙は読めない。あたしは「ヒロミくんのお母さんはきれいでうらやましいとおもいました」と書いた。だってあまりヒロミくんのことで書くことがなかったし、どうせお母さんが読むんだと思ったから。

秋が近づき、運動会当日になった。運動会は嫌いだった。かけっこはビリかビリ2だし、ずっと外に座ってお尻がジャリジャリになるし、組体操は下敷きになって重かった。松本くんは体育が得意だったからいつもにも増していばっていた。でも松本くんのお母さんはそんなにはゴリラに似ていなかった。似ているのは松本くん本人だけだった。

プログラムの一つに借り物ゲームがあった。
お題の入った封筒を開けると「青い水筒」と書いてあった。観客席に走って行ってテントの下にいる父兄に向かって「青い水筒貸してください!」と叫んだ。でも青いのは意外となかった。奥の方で「仮面ライダーでもいいの?」と聞こえた。もう、青っぽければなんでもいいと思い「はい!」と返事した。

貸してくれたのは、ヒロミくんのお母さんだった。

びっくりしたが、水筒を受け取ってトラックに戻った。ゲームは3着だったが、鉛筆がもらえた。貸してくれた人にも同じものが渡されるので、借りた水筒と細いのし袋に入った鉛筆をヒロミくんのお母さんに持って行った。

「ありがとうございました。これ、3着の賞品です」
「ありがとう。でも、うちはいらないからあなたにあげる。使ってください」

ヒロミくんのお母さんは訛っていなかった。一人で来ている様子で、今日もやっぱりワンピースを着ていた。白黒のギンガムチェックで、半袖からのびた腕は細くて白かった。薄いピンクの口紅を塗っていて、その唇はにっこり笑ってこう言った。

「きよみちゃん、だったよね」
「はい」
「お手紙ありがとう」

なんだか恥ずかしくなって、ぺこりと頭を下げて走って戻った。誰が書いたか分からないだろうと思ったから、あんな手紙を書いたのに。でも日陰で間近で見たヒロミくんのお母さんは、まつげが長くて潤んだ瞳をしてて、本当にきれいだった。だから、嘘を書いたわけじゃない。というより、嘘じゃないから恥ずかしかったのだけど。

それから、何度かヒロミくんのお母さんを見かけた。谷口商店のところや、簡易郵便局の前で、いつも私が気付くより前に私のことを見つけていたようだった。そして笑顔で軽く会釈をしてくれた。お辞儀の仕方がユリの花みたいだと思った。私もしっかりとお辞儀をした。話をすることは、なかった。

翌年、ヒロミくんのお母さんは遠くに引っ越してしまったと、お母ちゃんから聞いた。どんな「家庭のじじょう」だったのかは、その時にはわからなかったが、のちの噂話で、ヒロミくんは非嫡出子であったとか、お母さんは花柳界の方で、その世界に戻ったとか聞いた。どこまで本当かはわからない。

お母ちゃんは割と噂好きなのに、このことについてはあまり話さなかった。さすがに娘の同級生が亡くなったのだから、わきまえたのだろうと思っていた。しかし年月を経て、私もすっかり大人になり、甥っ子が小学生になり水難事故の話からこの話題になった。そして意外なことを聞いた。

ヒロミくんのお母さんが私を、「きよみちゃんを養女にしたい」とお願いに来たというのだ。

急に尋ねて来たことを詫びた上で、大変失礼で突然なお願いをと言いながら、ヒロミくんのお母さんは養女の申し出をしたそうだ。父も母も驚きすぎて具体的に何を返したか覚えていないそうだが、我が子を亡くしたばかりの母親に対して冷たくもできず丁重に丁重にお断りしたのだそうだ。

「あん人、可哀想かったねぇ……あんた、ヒロミくんと似ちょったもんね」
「そうなん?」
「似ちょったよ。あん子、女(おなご)ん子みたいやったろ? あんたは男ん子みたいやし」

だからなのか。もしかしてよく見かけたのは私を見てたのか。母が曰く「どげんかしとらしたっちゃろうね。無理もなかよ」と言うことだ。
……大人になってから聞いてよかった。当時の私にはどう受け止めたらいいかわからなかっただろう。きれいでうらやましいなんて手紙に書いたことも、なんとも罪作りだったのかもしれない。

当時のきれいなお母さんは、今はどうしているのだろうか。野卑な言い方をするが、不幸の匂いがするヒロミくんのお母さんは、うちのお母ちゃんなんかと違って雰囲気があって特別な感じがした。子供だってそれくらいのことは分かる。でも、今思うとやっぱりやるせない。

「きれいなお母さん」

この件のせいで勝手に悲しいイメージが私の中にある。もっと快活で陽気なきれいなお母さんもいるはずなのに、どうしてもヒロミくんのお母さんのイメージが錘となって沈んでいる。

きれいなお母さんは好きですか?
それは、どんなお母さんですか?

答えは人によって違っていいと思うけど、できれば怖くも悲しくもない、ふつうの(きれいな)お母さんが私は好きです。

***

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