メディアグランプリ

もうジャンキーではありません


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【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:森山寛昭(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「おばあちゃん、この間長崎に修学旅行行ったときのおみやげ。早く元気になってな」
中学生の僕はそう、ねぎらいの言葉をかけて、祖母の枕元にマリア像を置いた。

父の母、つまり僕の祖母は、物心ついたときにはすでに脳卒中で倒れていて、右半身不随だった。
そんな祖母を、鹿児島の田舎に帰るたび、僕たち家族4人は病院に見舞いに行った。
祖母は僕たちが行くたびに、
「ありがとう。ありがとう」
と、呂律の回らない舌を懸命に動かして、涙を流しながら感謝するのだった。
特に気の利いたみやげを買っていく僕に対してはその感謝は人一倍で、しきりに僕の名を呼びながら涙を流し、動く左手で僕の右手を握るのだった。
だが、両親や当の祖母は知るまい。僕がそのとき、何を考えていたかを。

僕は物心ついたころから、映画「オーメン」の主人公ダミアンのような子供だった。
見た目は優しく、周りに気を遣える子供。だが、目は笑っていない。
心の内では誰よりも大人の反応を研究し尽くし、どうすれば自分が優しい子供、気を遣える子供、賢い子供と大人が賞賛してくれるかを計算し尽くして行動する子供だった。
小学校1年生のとき、200字詰め原稿用紙50枚の文章を書いて、担任の先生に褒められた。
小学校2年生のとき、1週間放課後に居残って、担任の先生に逆上がりの特訓を受け、できるようになったのを褒められた。
小学校4年生では放送部を任された。
小学校5、6年生では学級委員会の副委員長を務め、全校行事の企画運営を任される立場になった。なぜ副委員長だったかと言うと、最終責任を負わなくて済むように計算したのだ。
これらの実績で、僕には大人たちの賞賛が集まった。
「偉いね」
「立派だね」
一番喜んだのは、褒められるような子供を育てたと自慢できた両親である。

僕が「良い子」を演じるのは、麻薬を打つのと同じだった。
ちょっとした努力や計算という麻薬を投与すれば、大人から褒められる。褒められると、クスリを打って得られる快感と同様、気持ちよくなる。
その快感が忘れられず、また大人の喜びそうな努力をする。
この繰り返しだ。
小学校を卒業するまで僕はこんなことをやり続けて、いつしか「ほめられジャンキー」になっていた。
だが、麻薬というのは、使う回数が増えるたびに効果が薄れるのはご存じだと思う。
効果の持続時間が短くなるのと反比例するように、打つ量が増えるのもしかり。
小学生の姑息な計算や努力は、中学、高校と年齢があがるにつれて効果が薄くなった。
そしてこの場合、麻薬そのものは自分で作らなければならないものだから、おのずと自分の手に余る努力や計算ができなくなってきた。
でも、大人に認められたい! 褒められたい! という気持ちはこれまで以上に強くなった。だから、もっと努力をしないとあの快感は得られない!
こんな無理はいずれ破綻をきたす。

第一志望ではなかったが、「お受験」で中高一貫教育の進学校に進んだ僕は、それなりの上位の成績はおさめてきた。
だから、両親や親族、学校の先生をこの時点まではだますことができた。
でも、大学受験に失敗し2浪が決まったとき、僕は受験ノイローゼに陥った。
今までだまし通せた僕自身の能力は、化けの皮がそろそろはがれる頃合いだった。
それを、最もだまされた両親は気づくはずもなく、僕がおかしくなってもまだ過大な期待を抱いていた。
「あんたならできるやろ? 合格せんかったんは努力が足りんからや」
2浪が決まったとき、説教された母のひと言に僕はブチ切れた。
「あんたらの世間体のためにやってきたことや! できんもんはできんのや!」
僕はフルスイングで、叱責する母の左頬を平手打ちした。
間髪入れず母からも、僕は左頬に平手打ちを食らった。
そして、ふたりして泣き崩れた。
いろんな思いとともに、僕にとっての麻薬が身体から抜けた瞬間である。
このときから、僕は「良い子」を演じることをやめた。

いっときの快感を得るためだけに努力する、などというのは所詮うわべだけのものだ。それをすべて否定するわけではないが、自分の能力以上を求められた場合は、それをやり通すことは難しい。
でも、「こうなりたい」「こうしたい」という信念を持っていれば、疲れても、心が折れそうでもおそらく努力は続けられる。純粋にそうすることが自分のためだから。
そうなれば、麻薬だった努力は、自分の薬に転化する。

親の意向に妥協して大学の進路を決めたのを最後に、「良い子」をやめて20年以上経つ。
紆余曲折を経て、根無し草のような今の僕は自分のために書店に通う。
向学心をもって講義に足を運び、書店で知り合った仲間と交流して、見聞を広める。
そしてやっぱり、何度不合格になっても国家試験を受ける。ただ自分のために。
両親もさすがに、いいおっさんに向かって期待をかけることもなくなった。
「あんたの人生、あんたの好きにしたらええ」
だから、気楽に努力させてもらっている。いささか遅くはなったが、肩の力が抜けていい具合である。
もう「ほめられジャンキー」に戻る必要はない。自由に自分の人生を頑張れる。

あ、しまった! 忘れてた! 僕はまだジャンキーじゃないか。
それは「天狼院ジャンキー」……。

 
 
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2017-08-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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