美しく、エロい『お尻』をなでる夏。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:まこ(ライティング・ゼミ日曜コース)
お尻はピッチピチであればあるほど良い。
ほどよく柔らかく、かすかに甘い匂いがするほど良い。
おっぱい派の人が多いかもしれないが、あえて言わせてもらおう。私は断然、お尻派だ。
と豪語しながらも、そのことに気づいたのは、つい先日のこと。
きっかけは、岡山に暮らすお母さんからの電話だった。
「今年のお尻は、出来が悪いんよ」
電話がかかってくるやいなや、萎れたようにお母さんは話す。
お尻というキーワードに一瞬、止まる。
お尻? なんだっけ?
あっ、そうか、桃のことか。
実家でおばあちゃんが育てる「桃」のことを、家の中では「お尻」と呼んでいたことを思い出す。奇妙な家族ルールだなと、改めて実感する。
「そうなん。あんま今年は雨が降らんかったから?」と返すと
「そうそう、もしかしたら、今年の夏は送ってあげれんかもしれん。
木はもう一本しかないし。おばあちゃんも年だし」と萎れたようにお母さんは続ける。
「えっ?? あんなに木があったのに、どしたん?」
平静を装ったつもりでも、私の声はうわづっていた。
桃がない夏。いや、お尻がない夏。26年間の人生で、一度もなかった。さらに毎年、お尻を盛大に実らせていた木が、たった一本しかないことに大きな衝撃を受ける。記憶では、なだらかな山の斜面にお尻の木は5本、いや、もっとあったはずだ。
「古い木は処分して、まだ元気なのは近所の人に分けたりしたって、言ってなかったけ?」
と返すお母さん。そのあとは、お尻を育てるために、水や肥料を管理するのがいかに大変かについて話し始めた。
電話を切って、しばらく呆然とする。
急に寒気を感じてクーラーを切る。見ると、24度の設定だった。
今年は、お尻を食べられないかもしれない。そのショックがしばらく体の中を駆け巡った。
もちろん、スーパーに行けば、買えるのは分かってる。
でも、おばあちゃんの作るお尻。その味とエロさは別格だ。
私の出身地である岡山は、桃太郎に代表されるように、桃の名産地として名高い。
ブランドの清水白桃となると、一個数千円で取引される。
どの名産地にも当てはまることかもしれないが、旬を迎えると親戚や近所づたいで、おすそ分けをもらうことになる。私の場合は、お母さんの実家が農家で、毎年、たくさんの桃が届いていた。
父の仕事の都合で、物心ついた時から全国を転々としていたため、ある年の夏は大阪で、次の年は青森で、その次の次の年は新潟で。宅配便で大量に送られてくる桃を食べて、夏を過ごした。
晩御飯を食べて、4つ上のお兄ちゃんとテレビを見たり、扇風機に当たったりしていたら、お母さんが毎晩2個ずつ、桃を剥いで出してくれた。7月中旬、送られてきたばかりの桃は硬くて、甘さは控えめ。そして日が経つごとに少しずつ熟して柔らかく、瑞々しく、甘くなっていく。毎晩、かすかに変化していく桃。連日食べても飽きることがなかった。
ある夏のこと。その年初めての桃がおばあちゃんから送られてきた。お母さんとお兄ちゃんは早速蓋を開けて歓声をあげる。ゴロゴロと可愛い桃がギッシリと詰められていた。
小学校に入ったばかりでスカートめくりだの、可愛い下ネタを覚え始めたお兄ちゃん。突然、桃が詰まった箱を見ながら「お尻がゴロゴロしとるみたいっ!」と嬉しそうに叫んだ。
お兄ちゃんの発言が面白おかしかったのか。その時から我が家では、桃のことを「お尻」と呼ぶことになったらしい。
全国を転々としていた暮らしも、お兄ちゃんが中学校に上がった年を機に終了。お父さんが単身赴任となり、小学校3年生だった私とお兄ちゃん、お母さんは実家のある岡山に戻ることになった。
いろんな土地を転々として、いろんな幼稚園や小学校に通ったから、新しい土地に馴染むことには慣れていた。友達をつくることなんて、簡単だ。そう思い上がっていたのに転校先の小学校に馴染めず、最初の半年は学校を休みがちになった。
幼稚園からずっと一緒に過ごしていた同級生たちの輪に入ることができない。学級独自の暗黙のルールやヒエラルキーがあって、よそ者の私はすぐに適応することができなかった。
引っ越してきたばかりの時は意気揚々と通学していたものの、次第にふさぎ込み、暗い顔で過ごすようになった。
毎日が嫌でたまらなかった。学校に行くにも、蓋をしたように暗い気持ちになる。
同級生の目が怖い。何人かが輪になって話していると、自分の悪口を言われている気分になる。休み時間、一人で本を読みながら必死に耐えてもだんだん息が浅くなり、酸欠による頭痛で早退することもあった。
引っ越す前の土地に戻りたかった。
そこでなら、明るい自分でいられたし、友達もたくさんいたのに…。
5月になっても状況は変わらず、週に数回は学校を休み、行けたとしても保健室で過ごすようになった。教室から遠のけば遠のくほど、同級生たちの好奇な目線が怖くなった。
もう、嫌だ。嫌だ。
鬱々と過ごしていたある日、お母さんが平日にも関わらず私を外に連れ出した。
行き先は車で数分のところにある、おばあちゃんのお尻畑、いや、桃畑だった。小高い丘に、160センチくらいの桃の木が等間隔で植えられていた。小さな頃に来たことはあったものの、岡山に引っ越してきてから来るのははじめてだった。
農作業用の帽子をかぶり、首にタオルを巻くお母さん。
「フクロガケをするから、あんたも手伝いなさい」とやや強い口調で言われる。
フクロガケ? フクロ? 袋?
袋がけは、カラスや風などから桃を守る大切な作業だった。5月頃に、桃の実がなる枝に紙袋をくくりつける。桃は袋の中でじっくり大きくなり、2〜3ヶ月後に収穫となるのだ。
桃の枝は、当時の私が背伸びをしてやっと届くくらいの高さ。実り始めた小さな実に、オレンジに色の四角い紙袋をくくりつけていく。作業自体は簡単だが、数百個もある桃の実に、1つひとつ紙袋をくくりつけるのは骨の折れる作業だった。
しばらくして、山をゆっくり登って来る人影が見えた。おばあちゃんだった。
「おぉ。今日はまこちゃんが手伝ってくれるんか」
平日でも私が学校に行っていないことには触れず、優しく声をかけてくれた。
私はおばあちゃんの声を聞いたら、久しぶりに安心した。けれど、うまく笑顔を作ることができず、俯くしかなかった。
当時、おばあちゃんは70歳そこそこ。腰が曲がり始めたばかりだったが、袋がけをするときはプロそのものだった。みごとな手さばきで、袋を枝にくくりつけていく。いつもは優しいおばあちゃんが、この時ばかりは熟練の技を極めた職人のように見えた。
5月の日差しこそは暑かったものの、時折、山から下りてくる風は柔らかく心地よかった。
しばらく、袋掛けの作業をしては休み、お茶を飲んでまた作業を続ける。毎年、当たり前のように桃を食べていたのに、桃作りの大変さを体感した。
次に、私が桃畑に足を運んだのは、夏休みを控えた7月のことだった。
相変わらずクラスに馴染めず、家で死んだような表情で過ごしていた。この日も、お母さんに半ば拉致されるような形で、畑に向かう。
畑には、枝に大量の袋をかけられた桃の木が、植わっている。5月よりもどっしりとして、生命力にあふれていた。桃を包んだ袋は、確かな膨らみをもって、確かな実り具合を伝えてくれていた。
すでにおばあちゃんは到着していた。青色の帽子ともんぺを合わせて、何とも涼しげで愛らしい。
久しぶりの早起きで眠い目をこする私に対して、
「桃をもぐ時には、女の子のスカートを覗く気分になるんよ」と可愛らしく笑うおばあちゃん。
何を言い出すんだろう?
70歳をすぎた女性の発言としては、ちょっとシュールで苦笑いになる。そんな私をよそに、おばあちゃんは木に近づいて、袋の小さな隙間からそっと中を覗く。いくつかの桃に対して覗き行為をくり返し、豊かに実ったものを見つけたら、手で優しくひねって桃をもぐ。
ハサミを使わない、簡単すぎる桃のもぎ方に驚く。小学生の私にも簡単にできそうだった。
桃の収穫に小さな好奇心を覚えつつも、何百個とぶらさがる桃の中で、どれを覗いたらいいのか分からない。女の子のスカートを覗くなんて、なんだか不貞行為をするようで、恥ずかしいような気持にもなった。でも、ちょっと気になる・・・・・・。
そんな私のひそかな葛藤を察したのか、おばあちゃんがほどよく膨らんだ袋を見つけて、私に手招きをしてくる。おずおずと近づくと、袋の下から桃の具合をチェックするように促される。
私は、さらに木に近づいてしゃがみこみ、おずおずと袋の下から中を覗いてみる。別の穴からおばあちゃんも覗く。
袋の中には、それはそれは、立派なお尻があった。しかもノーパンだ。
袋がスカートのようにお尻を包み、小さく空いた隙間から日差しが差し込む。思わず、なで回したくなるほどのたわわかなフォルム。瑞々しく、ハリがあって美しい。甘い優美な香りが鼻をくすぐる。
恍惚としたお尻の姿は、収穫後のものより、何倍もエロかった。
袋から顔を離すと、おばあちゃんと目が合った。
「じゃろっ」と、ドヤ顔になるおばあちゃん。
桃のエロさ。スカートを覗き見するようなドキドキ感。
おばあちゃんの妙な例えに納得するとともに、せり上がってくるものがあった。
お腹がヒクヒクと痙攣し、頬もほころび始める。一度始まるとそれは止めようもなく、顔全体に広がっていく。笑うのは久しぶりだった。しかも、声を上げて笑うのは、引っ越してからなかったかもしれない。
そんな私の様子を見て、おばあちゃんもつられて笑い出す。
離れた木で収穫作業をしていたお母さんも、私が笑う様子に驚き、作業の手を止める。
ひとしきり笑うと、さらに、抑え込んでいた感情が洪水のように溢れ始めた。思いっきり笑っていたのに、いつの間にか目から涙がこぼれ出す。声が少しずつ、嗚咽に変わると、もう止まらない。
毎日、学校に行かず、暗い表情で過ごす毎日。少しずつ、笑うことも泣くこともなくなっていった。
悲壮感に浸って、何かをしようという意欲も腐らせて、
ただ、悲劇のヒロインのように鬱々と過ごしていた。
引っ越しなんかしたせいだ。私を受け入れてくれない、クラスのみんなも大嫌いだ。
自分の状況を周囲の責にして、自分の殻に閉じこもっていた。
何より、そんな自分が嫌で嫌でしょうがなかった。
おばあちゃんが、私の背中に手をまわし、優しく優しく撫でてくれる。
手の温かいぬくもりで、さらに抑えようとした涙があふれ出る。
桃の収穫どころではなくなってしまったが、おばあちゃんは泣きじゃくる私を、いつまでも優しく優しく撫でてくれた。
夏休みに入ると、ラジオ体操や掃除、夏祭りなど、地区ごとの行事が始まった。
全部とまではいかないものの、少しずつ勇気を出して参加。
同じ地区には何人か同級生もいたが、学校の中ほど閉鎖的な雰囲気ではなく、次第に挨拶を交わすようになる。そして2年前に別の地域から引っ越してきたという女の子と話すようになり、少しずつ少しずつ、同級生とのコミュニケーションが増えていった。
大きくなるにつれて、部活や塾だの何かと理由をつけて、桃畑を手伝うことも減っていった。が、夏になると美しくエロい桃を、毎日飽きるほど食べ尽くした。大学に入って一人暮らしを始め、社会人になってからも、あたり前のように桃が送られてくる。そして。あたり前のように、美しくエロい桃を食べ続けた。
「なんとかとれたから送ったよー」
お母さんからラインが入る。今年は食べられないかも・・・・・・と危惧していたが、わずかに収穫できたらしい。後日、宅急便で届いた箱を受け取ると、去年までの箱の半分サイズであることに気づく。
さみしさを感じながら蓋を開けると、仄かな香りが鼻をくすぐる。中には、桃が4つ入っていた。
形が不揃いで、青味がかかっていた。それでも、美しい。美しく、そしてエロい。
両手で持ち上げて、ゆっくり優しく撫でてみる。
来年は食べられるか分からない。そして、おばあちゃんの桃がない夏も、いつかきっとくる。
私は携帯を取り出して、久しぶりにおばあちゃん家に電話をかける。
数コールの後に、懐かしく、優しい声が聞こえる。
他愛もない話の後に、私は心をこめて話し出す。
「桃、届いたよ。今年もキレイでおいしそうだね。おばあちゃん、ありがとうね」と。
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