メディアグランプリ

モノクロ写真はスカしていると思っていた


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:チオリ(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
写真が上手くなりたい、と、ずーっとずーっと思ってきた。
かれこれ10年くらいにもなるだろうか。でもいつまで経ってもそうならない。
 
なんで上手くなりたいのか。
仕事でカメラの開発に関わっていた私は、写真が全然うまくない自分を恥ずかしいと思っていた。
もともとは写真やカメラがものすごく好きでこの仕事に就いた訳じゃなかったし、採用担当者も写真に関しては素人でもいいって言っていたので、最初はそれらを言い訳にできた。
 
でもさすがに3~4年も経ってくると、最低限の専門用語はもちろん、写真の事を知らないと打ち合わせで恥ずかしい思いをする事も多く、肩身が狭くて仕方なくなった。
仕事に直接関係はなくてもこれだけ写真をとるのが当たり前のご時世だ。写真を見せ合う機会も多かった。私はグラフィックデザインを担当していたが、美術やデザイン系の学校を出ている同僚たちのカッコいい写真をみては打ちのめされた。
卑屈にもなった。私はそういう勉強、ちゃんとしてこなかったからさ、と言い訳しながら。
 
苦痛から逃れるため、こっそり写真教室にも通った。
シャッタースピードとか絞りといった露出、感度などの理屈を一通り覚え、カメラの設定以外にも構図やライティングが重要なのだ、という事も学んだ。
風景や料理、人も撮った。けれども「撮りたいものが撮れた」という実感はないし、そもそもどう撮りたいとか、そういう事が全くわからなかった。
 
立体作品を作っているアーティストの友人がいるのだが、彼女にグループ展をやるので写真を展示しないかと誘われたことがある。
彼女は私の写真を見た事はなかったが、私が写真を勉強していたことや、美術館などに通って目を鍛えようとしていた事はよく知っていた。また仕事も知っていたので、そこそこ撮れるものと思ったに違いいなかった。
いざ持っていった写真に対し、その子は特にコメントしなかった。それが感想だったんだと思う。
そしてその時にお客さんの一人にはっきり言われた。
「あなたの写真は何を言おうとしているのか、全然わからない」
 
そうだよね。まさに私は何をどう撮っていいかわかんなくて撮っている。
そりゃそうだ、と思いつつも、そこから写真を撮る事も、見せる事も怖くなってしまった。
 
いっそ何も考えないでただ楽しいから撮る、でもいいのでは? とも思うが
楽しいという感覚がなかった。私にとって写真は辛い修行でしかなくなっていた。
そして挫折した。
 
そんな風になってから何年も経ったある日、友人に写真教室に誘われた。
モノクロの写真教室だった。
「げ」と思った。
もう写真に対する向上心も興味もなくなっていた。
ましてやモノクロだ。
 
実は私はモノクロの写真があんまり好きじゃなかった。
モノクロにすればなんとなくオシャレに見える。だから安易にオシャレっぽくしていて、恥ずかしいと。
だからこそ、本気でうまい人じゃないと撮ってはいけないような気がしていた。
自分なんてモノクロ撮る身分じゃないです、そう思っていた。
 
私は仕事のこともあったが、プライベートでも写真やカメラの話を友人とすることが多かったし、一時期は本当に写真が上手くなりたいと思っていたから、写真教室や写真展へよく行っていた。共通の趣味のお友達からのお誘いも多かった。
でもその頃にはあまり積極的に行っていなかったので、一度はやんわり断った。
なのにその友人は一人で行くのは嫌だから、と尚も粘ってきた。
そこまで言われたら仕方ない。写真は下手だが一緒にいってあげることくらいはできるから、としぶしぶ行くことにした。
 
参加してみると、生徒は5名程だった。
先生はファッションフォトなどを得意とする方で、原宿にあるオシャレなスタジオでの講習だった。
アンティークのシャンデリアのような照明。外国っぽい木製で重厚なドア。床も壁も先生みずからDIYしたらしい。ソファや棚、そこに置かれた小物の何もかもが雑誌にでてくるような素敵なインテリアだった。
 
ひととおりカメラの設定方法を教えてもらい、その素敵なお部屋のいろいろなものを撮影する。
まずはシャンデリアから、ということで、やる気のないまま、人と場所を譲り合いながら数枚撮る。ガラスという透明感のあるパーツはキレイだな、とは思う。でもそれをどう表現したらそのキレイを表現できるのか、全然わからない。
他の参加者は、脚立に上って近づいたり、真下から撮ってみたりといろんなアングルを試している。そして写真を見せてもらうと、そのアイディアとセンスの多様さに衝撃を受ける。
 
形を強調して、シャンデリアというより何か幾何学的な模様のように撮った人。
透明感の重なりを強調した人。
私の目には全然見えていなかった世界。こんな風に撮るなんて思いつかない。
そういう自分にただただがっかりする。
 
もともと少なかったやる気がほとんど失せた私は手が動かなくなり、代わりに口を動かした。
初歩の初歩な質問でちょっと恥ずかしかったけど、半ばヤケクソになっていたのでまあいいか、と先生に質問した。
「そもそもモノクロって、なんでモノクロにするんですか? 」
 
すると先生は言った。
「ぼこぼこ、とかツルツルとかテクスチャー感を強調したいときに」
「あと人間の表情とか。色があると色にひっぱられちゃうから。洋服の色とか、化粧とか。表情そのものを見せたいときにモノクロにするといいんだよ」
 
私の目から、大きな大きな鱗がぼっとん、と落ちた。
なるほど。そう言われて人の写真を見てみるとすごくわかる。モノクロだと表情がスパっと入ってくる。笑顔ひとつとっても、どんな笑顔なんだ、と細かいところまでよく見える気がする。
 
モノクロはオシャレだからそうしているのではなかった。
スカしてなんていなかった。
 
世の中にはせっかく色があふれているのに、なんであえて色をなくすのか、それまで全然意味がわからなかった。でもこの一言で私の視界が変わった。
それこそ色眼鏡で見ていたのだ。
モノクロの写真を。
 
その写真教室では私は脚立を撮った。
脚立にはペンキがあちこちにこびりついて、ぼこぼこしていた。それがカッコいいと思った。
こういう感覚で写真を撮ったのははじめてだった。うまいとか下手とか考えなかった。気持ちよかった。
 
そう考えると、こういう事ってすごくたくさんあるなと気づいた。
最近、3週間ほど留学したのだが、そこで出会った人たちは住んでいるところや年齢、仕事、趣味など全然バラバラで、カルチャーが違いすぎて何を考えているかも全然わからない人たちだった。
 
きっと日本で出会ったら話はしなかったと思うが、同じクラスになったりと話さざるを得なくて話をした。
 
一見ちゃらちゃらした若い男の子にたまたま「授業ついていくの、辛いんだ」と弱音を吐いてしまったら、翌日から授業でさりげなくフォローしてくれるようになったり、合間の時間に話しかけてくれるようになった。
 
当初、話しかけてくれるなという雰囲気を醸し出していたお母さんと中学生の娘さんのペア。用があって勇気を出して話しかけてみたら、最初は全く話が合わなかった。だけど、2週間一緒にいたらだんだん打ち解けてきて、最終的には差し入れをくれたり出発の見送りまでしてくれるほどの仲になった。
 
一見、自分の属性からは遠い人たち。
いろいろな場面で自分の色眼鏡で見てしまうけど、何かの拍子にそれが外れると別の世界が見える。それはとても気持ちの良い経験で、私に宝物をくれる。
ついつい目に見えやすい色にひっぱられてしまった時に、たまに思い出してみたい。
 
 
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2017-08-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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