プロフェッショナル・ゼミ

憧れの彼女に捧げる曲《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:めぐ(プロフェッショナル・ゼミ)

「恵さん、コンクールに出てみない?」
有賀先生が、優しく微笑む。
この一言を、どれだけ待ち望んでいたことか。
私はずっと、コンクールに出たかった。
出てみたかった。
それは、1つ年上の朋代ちゃんを追いかけるため。
いや、追い越すため。
そのために、友達と遊ぶこともせず、部活も途中でやめ、ピアノに専念してきた。
毎日2時間ピアノと向き合った。
朋代ちゃんみたいに、なりたい。
彼女みたいに、私もコンクールに出たい。
ピアノを練習する目的は、それ以外になかった。
だから、有賀先生のその一言は、私を一気に舞い上がらせた。
「出たいです!」
私が出場することになったのは、「埼玉ピアノコンクール」の中学生部門。
中学2年生のときのことだ。
その喜びは、それまでの人生で味わった中でも、格別のものだった。
やっとスタートラインに立てたのだ。
ここからだ。
きっと1次予選、2次予選を突破して、本選まで残る。
そして、1年前に朋代ちゃんがとった銀賞を、私も。
そう、決意した。

私は、3歳からピアノを始めた。
そう言うと、クラスの友達のだいたいが「英才教育だね」といって半分驚いて、もう半分で茶化す。
字面だけをみると、たしかに英才教育かもしれない。
けれど、たまたまそのような環境だっただけのこと。
母がピアノの先生をやっていて、小さいころからピアノの「音の玉」が日常に転がっていた。
毎日我が家には、小学生や中学生が代わる代わるやってきては、ポロポロとピアノを弾き、時に歌声が聞こえ、楽しそうな笑い声が聞こえる。
それに興味を示さないほうが難しいくらいだった。
物心がつくと、おにぎり食べたい、というのと同じように「ピアノやりたい」と母に言っていた。
それが3歳のときだった。
最初は、おもちゃとして。
鍵盤を押したら、音が鳴る。
それだけで、楽しかった。
やがて一つの曲を最後まで奏でられるようになると、大事に育ててきた朝顔がパァっと花を咲かせた時のような喜びがあった。
そのうち、自分の思い通りに自由に弾けることが嬉しくなり、ついには「上手ね」と言ってもらえることが快感になっていった。
こうして、私はまんまと調子に乗っていった。
小学校のクラスでは、まるで当番かのように「朝の会」でオルガンを弾いて合唱の伴奏をしたし、音楽の授業でも先生のかわりに伴奏を弾くことが増えていった。
先生から「上手ね」「さすがね」「ありがとう」と言われるたびに、頬を緩ませて、さらに調子づいた。
私にとって絶対的な存在である「先生」に感謝されるというのは至極の気分であり、それは同時に、誰にも侵されない「領域」を手にしたような気分にさせた。

しかし小学校4年生になると、それが一変する。
「めぐ、そろそろ他の先生に習ってみない?」
母が突然そう言ったのだ。
「えー、いいよー。お母さんのままで」
私は、外の世界には出たくなかった。
「でもさ、他の先生に習ったら、もっと上手になるよ」
「うーん。今のままでいいよ」
「でもね、もう、お母さんじゃ教えられないのよ」
急に、突き放されたようだった。
ずっと繋いでいた手をパっと離されて、母と私の間にちょっとした距離が初めてできた。
もしかして、「母だから」と甘えて、言うことを聞かなくなってしまったから?
そんな生意気な娘に教えること自体が、嫌になってしまった?
「ふーん、そうなんだ……」
あぁ、もっと素直に聞いとけばよかった、と後悔した。
そんな私の気持ちを察してか、母は続けてこう言った。
「大丈夫、お母さんはこれからも全力で応援するから」
なんとなく始めたピアノだったけれど、辞めたくはなかった。
「そっか……。わかった」
そして私は、片道1時間かけて有賀先生のもとに通うことになった。

有賀先生は、ショートカットで眼鏡をかけていて、あまり笑わない。
多くの国際的なピアニストを育てている私立音楽大学を卒業したらしい。
私の母は「声楽科」を卒業していたのだが、有賀先生は「ピアノ科」。
本流の人だ。
見るからに「真面目」な出で立ちで、軽いノリで冗談なんて言ったもんなら、目で殺されそうな雰囲気だった。
小学校4年生で、初めて出会う「外」の人。
学校の先生でも、家族や親戚でも、近所のおばちゃんでもない。
初めての大人。
今までの甘えは絶対に許されないことが、ひしひしと身に染みる。
簡単な挨拶を済ますと、すぐにレッスンが始まった。
「さぁ、恵さん。それでは弾いてください」
ひんやりする声でそう言った。
「はい、よろしくお願いします」
今までにない張りつめた空気に、冷や汗をかきながら指を鍵盤にそっと置く。
大きく息を吸い込んで、弾き始める。
心の中でその曲を歌っていくうちに緊張はほぐれ、気持ちがよくなっていく。
あぁ、やっぱり楽しい。
その「世界」に浸っていると、いつのまにか1曲が終わっていた。
よし、終わった。いい出来だ!
これならきっと褒めてもらえるだろう、そう思った。
「はい、ありがとう。そうね、恵さんは基礎からやり直しましょう」
え、今なんと?
基礎は、十分やってきた。
バイエルもハノンも、いっぱい練習してきた。
なのに、今さら基礎を?
「感情表現は、よくできています。けれど、それに技術が追いついていない。指の使い方と手首、ヒジ、腕の使い方。それに弾く時の姿勢を、しっかりやっていきましょう」
はぁ。
今まで、まったく考えたことのないことばかりだった。
そうか、基礎ができていなかったのか。
がっかりした。
ついさっき、つい1分前まで、思い上がっていたことを、とてつもなく恥じた。
穴があったら入りたいというのは、このことか。
基礎ができていない、という一言は、今まで母と一緒に築いてきた「ピアノの山」に山崩れを起こした。
基礎からもう一度、山を築かなければならない。
その日から曲の練習ではなく、「ひとつの音」を奏でることから練習が始まった。
まずは、ピアノの前で背筋をピンと伸ばして座る。
肩と腕の力をすべて抜いて、鍵盤にそっと指を置く。
一本ずつ指だけを真上に上げて、ただストンと落とす。
これが基本。
どうやら私は、力みすぎていたらしい。
だから、音に「伸びやかさ」がなかったとのこと。
単調な基礎練習が毎日続く。
基礎は、つまらない。
いつ曲を弾かせてくれるんだろう。
早く曲が弾きたいなぁ、と思っていたころに出会ったのが、1歳上の朋代ちゃんだった。
ある日、自分の開始時間の10分前に教室につくと、誰もいないはずの教室に女の子がピアノの前にちょこんと座り、レッスンを受けていた。
ロングヘアで、物静かな雰囲気な子。
いかにも学校の休み時間に、教室で黙々と本をよんでいそうな子だった。
それが、一たびピアノを弾きだすと豹変する。
絵を描く白いキャンバスに、筆で大きくサッと一本の線を描いたかと思ったら、時に色を変えて細やかに筆を動かすように、とても大胆かつカラフルな音を奏でる。
なんなのだ、この人は!
それに、先生が「ここはもっとこうして」と弾くと、すぐにそれを吸収して自分のものにしてしまう。
まるで先生の音をコピーするかのように、修正していく。
すごすぎる。
私が「音の出し方」を練習して初心者に戻っているにもかかわらず、年の変わらないこの女の子は、豊かな音楽表現をしているなんて。
目が釘付けになった。
もっと聞いていたかった。
すぐに、彼女のファンになってしまった。
それから、私は毎週、自分のレッスンの30分以上早くピアノ教室に行き、朋代ちゃんのレッスンを聞いた。
私と何が違うのか。
どうして、あんな風に音楽することができるのか。
彼女が新しい曲を練習すれば、こっそりその楽譜を買って私も家で練習する。
彼女が先生から指導されていたことを必死で覚え、それを私も家でやる。
自分の課題もやりながら、彼女と同じ練習をした。
彼女が練習している曲を弾けば、私も彼女になれたような気がした。
今思えば、完全にストーカーである。

そして中学1年生の時、朋代ちゃんがコンクールに出ることを聞いた。
それは、埼玉県のコンクールで、1次予選、2次予選、本選があり、それぞれに課題曲があるという。
本選には、金賞、銀賞、銅賞がもうけられており、それぞれ優秀な順番に表彰される。
コンクールに出るということは、出場者の生徒だけでなく、先生にもかなり大きな負担がかかる。
それぞれの予選で4曲ある課題曲の中から、どの曲がその子の良さを引き出すことができるかを検討し、1曲を選ぶ。
本選まで勝ち進むことを前提に準備するため、最低でも計16曲はチェックし、そして課題曲が決まれば、今度は曲についての情報収集と研究が始まる。
よって、一人の先生につきコンクールに出せる生徒は、せいぜい1〜2名が限度となる。
有賀先生も、毎年一人の生徒をコンクールに出すようにしていた。
それに、朋代ちゃんは選ばれた。
彼女は先生の期待通り、1次予選、2次予選を突破し、本選に進んだ。
予選を勝ち進むごとに、どんどん上手くなっていくことがわかる。
私との差がさらに開いていく。
朋代ちゃんの姿がどんどん遠く、小さくなっていく。
どんな曲でもスイスイと弾いてしまう朋代ちゃんでさえも、本選の課題曲には、苦戦していた。
それでも、彼女の「音楽」を完成させ、見事「銀賞」を受賞した。

私も、朋代ちゃんと同じところに行けるだろうか。
同じところに行きたい。
小学校4年生で出会ってから、ずっとそればかりを考えてきた。
そしてついに、そのチャンスがきた。
「恵さん、コンクールに出てみない?」
有賀先生からの言葉だった。
この一言を、どれだけ待ち望んでいたことか。
「出たいです!」
あの基礎練習から、少しずつ曲を弾けるようになり、そしてやっとスタートラインに立てた。
やっと補欠から、レギュラーに格上げされた気分だ。
出場選手として選んでもらったからには、1次予選、2次予選を突破して、本選まで残る。
そして朋代ちゃんがとった銀賞を、私も。
そう、決意した。

それからすぐ、コンクールに向けた生活が始まった。
有賀先生から、それぞれの予選、本選で弾く曲を言い渡され、すべての曲の練習が始まったのだ。
それに伴い、毎日2時間の練習だったのを、3時間にしてほしいと言われた。
そして、基礎練習だけは怠らないこと。
それぞれの曲を弾くだけではなく、作曲家の伝記を読むこと。
作曲家のそのほかの曲を聴くこと。
先生の教え方も、変わった。
「ちがう、こう!」と先生が弾いたら、一拍も置かずに、鍵盤でそれを再現しなければならない。
できないことがあると、「そんなんじゃ、本選は無理ね」と発破をかけられる。
先生は、どれだけ私が朋代ちゃんを追い越したいと思っているかを、知っている。
どれだけ負けず嫌いかを知っている。
それはきっと最初に、「基礎からやり直し」と言った時から。
先生から、すべてのエネルギーを注入してもらっている、そんな気がした。
それに、応えたい一心だった。
そして、先生の言うとおりにして、小さなハードルを丁寧に飛び越えていくうちに、本選まで残ることができていた。
さぁ、最後だ。
ここからだ。
先生、見ていてください。
朋代ちゃん、私のこの曲を聞いてください。
客席で待っている先生に向けて、そしてそこにいない朋代ちゃんに向かって、次の出番を待つ舞台袖でそう思った。
本選の曲は、メンデルスゾーンの曲。
出だしは、ゆっくりとしていて悠然と舟を漕いでいるよう。
和やかな水面が広がっている。
しかし、次第に雲行きが怪しくなっていく。
どんどん場面が変わっていく。
それに合わせて、音の色をどんどん変えていく。
そうして次々起こる困難を乗り越えて、どんどん飛躍していく音楽。
それに、今までの自分のピアノ人生に重ね合わせる。
お母さんの元で、安心しきっていた私。
そこから、有賀先生と出会って、それまでの自信を打ち砕かれた私。
そして、朋代ちゃんと出会って、どんどんとピアノにのめり込んでいく私。
その全てをこの曲で表現したかった。
約7分の曲を弾き終わったときに、すべてやりきった、と思った。
ピアノの前でお辞儀をして、客席から拍手をもらうと、胸からこみ上げてくるものがあった。
これで賞を逃してもいいと思えるくらい、満足感に満たされた。
1mmも悔いはない、そう言い切れる。
客席に戻り、すぐに先生に駆け寄った。
「ありがとうございました。ミスもしちゃったんですけど、やりきりました」
「すごく、すごく、よかったわ。よくやったわね……」
先生は、目に涙をためていた。
あんなに冷静な有賀先生が、泣いている。
私の演奏を聞いて、泣いてくれた。
結果は、朋代ちゃんには及ばず、銅賞。
けれど、私にとってそのメダルは、ずっしりと重く、輝いて見えた。
朋代ちゃんのようになりたい、追いつきたい。
そんな気持ちが、ここまで引き上げてくれた。
もし彼女と出会えてなかったら、私は……。
そう思うと、あこがれの人を見つけて、目標を持つことの意味がよく分かる気がする。
あれから20年近く経った今、朋代ちゃんは、どうしているだろうか。
お母さんになって、我が子にピアノを教えているのだろうか。
残念ながらそれを知る術はないけれど、心の中で朋代ちゃんは私の憧れの存在として今も輝き続けている。

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