プロフェッショナル・ゼミ

「怒り」さえただの娯楽なのだとしたら《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:石村 英美子(プロフェッショナル・ゼミ)

ある朝、学校の西門から登校すると、脇から先生が数人出てきた。しまった、と思った。それまで隠れていたのだ。そしてそのまま脇道に連れて行かれた。

「前髪が長い」

先生はそう言って、工作用ハサミで私の前髪を切った。機械科の先生は不器用ではないはずだが、それでも女子の前髪を上手に切れるわけもなく、ある種アバンギャルドな髪型にされた私は涙目で朝のホームルームに出ることになる。

今の時代では考えられないが、私が通っていた工業高校ではこれが時々抜き打ちで行われる「登校指導」と呼ばれるものだった。
・校章が付いてない
・髪を染めている
・剃り込みを入れている
・眉を剃っている
色々な指導が入る。指導が入ると言っても口頭指導だけではなく、髪を結ぶゴムの色が違反だと没収、校章や学年章がないと反省文、剃り込みに至ってはマジックで塗られていて、これはさすがに笑ってしまったが。

腹は立ったが、そんなものだと思っていた。
違反なのはわかっていたし、うまくやれば別に見つからずに済む。先生に叱られて帰って来ると、そのネタで一日もった。校則のバカバカしさ云々と、共通言語としての「怒り」はとても盛り上がるのだ。

その日、クラスメイトの一人も同じように指導を受け、一限の途中から教室に入ってきた。何を抵抗してそんなに時間がかかったのか。休み時間を待って尋ねた。すると予想外の答えが返ってきた。

「つけまつげを外せって言われた」
「……はぁ?」
「取れって言われた」
「えっと、つけてないよね」
「うん、つけてない」
「で、どうしたの」
「引っ張られた」

彼女はとてもまつ毛が長く濃い。なんなら標準的なつけまつげより全然長い。自前ですと釈明したものの、先生は
「そんな自まつ毛あるわけないだろう!」
と激昂したらしい。でも引っ張っても外れるわけがない、生えているのだから。何度か引っ張って彼女のまつ毛は数本抜けた。すると今度は
「何か化粧品を塗ってるだろう!」
と言い出した。マスカラという単語さえ出てこないほど化粧に疎い男性教諭に、マスカラが塗ってあるかどうか見分けがつくわけがない。
「塗ってません!」
「嘘をつけ!」
という問答の挙句、様子を見にきた科学の女性教諭の「あ、これ自前ですよ。いいわねぇ、羨ましい」というセリフでやっと解放されたそうだ。

「間違ってたくせに謝らないってどういうこと? 仮にも先生でしょ!」

友人は憤った。我々も同調した。百歩譲って間違いがあったとしても、それを認めないなんて、教師としてはもとより人としてどうよ。そんな会話で盛り上がった。果ては、その英語の先生の発音がイマイチだとか、服装がどうだとか、将来きっと禿げるだとか関係のないただの人格・存在否定の悪口になっていった。その先生の授業の際の我々の態度は冷たく辛辣になり、そしてそれは、はっきり言ってものすごく楽しかった。

思春期の頃を思い返すと、何かにつけ怒っていた気がする。
全ては何かのせいで、自分たちは被害者だと思っていた。被害を受けた者は、無条件に加害者を糾弾していいのだと思っていた。しかし同時にそれはただの娯楽なのだと、薄々思いながら。だからこの英語の先生が、のちに留学予定の生徒にとても親身に指導している様を見て、誰も具体的には口にしなかったものの、悪口を言うのをピタッとやめた。やめたからって、あまり後味の良いものではなかった。

大人になって少しは物事が分かってきて、そこまでのことはしなくなる。でも何かの拍子にその癖は頭をもたげる。誰か悪者を設定して、自分は正しい立場で相手を糾弾したい。何かを攻撃したい。そして格好の標的が、私の前に現れた。

マナミはそのチームのリーダーに任命された。私がサブだった。
劇団の「制作」と呼ばれる裏方チームで、主には「宣伝」して「チケットを売る」ことがメインの仕事だったが、その他の事務方も全てこなすため、やるべきことは多岐にわたり、しかも公演日から逆算しての締め切りが連続して発生するものだった。

マナミはおっとりしていた。基本的な仕事はできないわけではないが、機転が効かず、何かイレギュラーが起きると「そっかぁ。どうしようか」と考え込んで、私をイラつかせた。解決案を示すと「すごぉい! あったまいい!」などと能天気に言うもんだから、余計に私はイライラした。要するに、合わなかったのだ。

彼女はその後も、ことあるごとに私を怒らせた。仕事量が多いのはわかるが、最悪のタイミングで体調を崩して来れなくなったり、伝達もれのせいで文書を最初からやり直ししなくてはならなかった。
「ごめんねぇ」
彼女は謝った。謝られても何の役にも立たないし、許す気もサラサラなかったので彼女の謝罪は無視して用件だけ話すようになった。私は怒りが完全に顔に出るタイプなので、本人も分かっていたはずだ。でも彼女は相変わらず「怒ってる? ごめんねぇ」と、こんな調子だった。後頭部から瘴気を出す私に、他の人がフォローのつもりかこんなことを言った。

「あの子、養護学校の先生じゃない?だからあんな感じでおっとりしてるんだよ。だってあんまりカリカリしてたらやってけないでしょ。石村ちゃんにとってはゆるくてあり得ないかもしれないけど、それはそれでいいところでもあると思うけどな」

納得まではしなかったが、そんなもんかと思った。養護学校の教諭なんて、大変な仕事に決まっている。それをこなすための特性の一つなのかもしれない。だから納得しようと努めてみた。

しかし、やはりダメなものはダメだった。

ある日、集まって作業の途中、他愛もない雑談になった。モー娘の誰かと誰か、どっちが可愛いかと言う罪のない会話だった。

「オレはね、絶対◯◯だと思うんだけど、石村さんどう思う?」
「えー、よくわからんけど、△△の方が綺麗になる気がする」

本当にどうでも良かったが、一応考えてから回答した。若い女の子における「将来性」は価値の一つだと思い、それにしたがって答えてみたのだ。しかしそれはあまり響かなかったようだ。

「そうかなぁ。マナミさんはどっちだと思う?」

彼は、マナミにも同じように話題を振った。すると予想していたのとは別の角度からの回答が返って来た。

「えー、アイドルなんか可愛いのは若いうちだけだから、どっちもどっちだと思う」
「うわ、厳しいね」

その回答を聞いて、私はなぜか無性に腹が立った。そして、なぜ腹が立ったのか検証する前に、こんなことを口走っていた。

「あんたのとこの生徒と同じだね。今は可愛いけど、将来どうなるかは知ったこっちゃないってことよね」

ひどい。我ながらひどい。完全に言ってはいけない事だ。しかし口から出た言葉は引っ込まない。マナミがどう出るかうかがった。しかし彼女の口から出た言葉はこうだ。

「そうかなぁ……」

私の中で、何かがキレた。
もういいや、と思った。

「ねぇ、あんたがこれ否定しなかったらどうなるのよ。認めるわけ? 私が言った通りなわけ?
「……そうじゃないけど。……ごめん」
「違う違う、否定するのかしないのかって訊いてるんだよ」
「うーん……」
「都合が悪くなると黙るわけだ」
「そうじゃないよ」
「だったら何なの?」

止まらなくなっていた。そもそもこの作業は、マナミの尻拭いに近い形で行われていた。なので、集まった時点で私はイラついていたのだ。そこへ持って来て、なんだか気を逆撫でするような発言だった。普段は入らないスイッチが入った私は、さらに続けた。

「だいたいあんたさ、今日これなんでやってるか分かってる?」
「分かってる」
「分かってるのに当たり前に手伝わせて、まるで平気みたいだね」
「平気じゃないよ。申し訳ないと思ってるよ」
「あれ? その割には何にもコメントなかったよね。ねぇ!」

他の人に話を振ったが、誰もイエスともノートも答えない。剣呑な空気だけが支配していた。その空気を感じながらも、マナミの「ごめんなさぁい」を聞いて、ますます止まらなくなった。

「あんたさ、謝ったら済むとか思ってるでしょ」
「思ってないよ。でも」
「でも何? 謝られるとさ、許さない方が悪者みたいになるじゃん。そもそも似たようなこと何度もするなつってんの」
「ごめんね」
「でた。ごめんね。それ何? 口癖? ただの相槌?」
「そんな……」
「泣くなよ。泣いたら許されるのは子供のうちだけだかんね」
「だって……」
「はい出ました。だって。……だって何ですか? そのあとに何か続くからこその、だって、でしょうが。言えば? 聞きますけど? ほら!」
「……私が悪いから、謝るしかないし」
「何だそれ。悪いとか言って被害者づら全開で何言ってんの? 被害者こっちなんですけど!」
「ごめんなさい」
「はいはいはいはい、もう結構です。石村にいじめられて泣かされたくらいにしか思ってないでしょうよ。そうやって自分を正当化して生きていけばいいさ」
「……」

とうとうマナミは何も言わなくなった。泣きこそしなかったが、必死に我慢しているようだった。泣けば、もっと私になじられると思ったのだろうか。私は普段から積もり積もったイライラを吐き出し、つかの間スッキリした。しかし、このスッキリが消え去ると、この件は現在まで続く罪悪感となって残ることになる。

この時、誰も私を非難しなかった代わりに、誰もマナミをフォローしなかった。ということは、私の言い方は別として内容に関しては周りの人々は異論がなかったのだろう。皆、文句を言わないだけで度々迷惑はかけられたのだから。

この時の公演が終わった後、マナミは二度と参加することはなかった。きっと楽しくなかっただろう。私も全く楽しくなかった。やりかけた仕事を最後までこなす、その責任感だけが気持ちの支えだった。それはマナミもきっと同じだった。その上彼女は、自分を正面から批判する「私」という存在にも耐えていた。今でも私は間違っちゃいないと思うが、言い方、やり方は人として失格だと思う。向こうが悪いからと言って、何をしてもいいってことにはならないのだ。

最近、ネットで誰もが発信者になれる。その中で、手放しになんの検証もせず他者を批判・糾弾するものを見かける。おそらく「相手が間違っている」「ずるいことをしている」という仮説に基づき、ここぞとばかりに正義を振りかざしているのだろう。

無責任な正義は楽しい。自分が正義であるというのも仮説でしかないのに、標的を無条件に攻撃してもいいのだと思い込んで、人としての道理を外した物言いをする。

私がマナミに必要以上に腹を立てたのは、彼女の職業が「教諭」であったことも大きな要因と考えている。そう、高校生の時の考えなしのあれと同じだ。何をしてもいい相手だと、勘違いしていたのだ。

私は、マナミに会うことはもうないだろう。だから謝罪する機会ももうない。彼女が、どれくらい傷ついて、どれくらいそれを覚えているかはわからない。しかし、往々にして「した」側は忘れて「された」側は忘れない。この場合、正当性がどちらにあるかは関係ない。

だから、肝に銘じなくてはならない。
人には悪の要因がある。程度の差こそあれ、必ずある。それはふとした拍子に表出し、人に対して攻撃として現れる。それも正義の皮を被って。

でも、社会通念上そんなことはできない。だから、偽正義をでっち上げるのだ。偽正義は免罪符をくれる。人を公然と攻撃する免罪符を。

タレントの不倫や整形疑惑、同僚の過去、上司の性癖。
よく考えたらどうでもいいじゃないか。なのに、嬉々としてそれらを攻撃するのはなぜか。

人は人を攻撃したいのだ。
誰かを打ち負かしたいのだ。

反論があれば受け賜る。
「人はもっと善良だ」「そんな事はない、本来人は隣人を愛するように出来ている」
そう本気で思っている人がいれば、どうぞ言って来てほしい。
だって、私だってそうであって欲しいから。そうであるのが、本当は美しいと思うから。でも、どうやらそうではない私は思っている。

私は「人間は、人を攻撃する事に悦びを感じるのだ」と認めることにした。
そうしてしまう可能性が自分にあることを、認めることにした。

少なくとも、そこから始めるしかないと思っている。
怒り、という娯楽の中毒にならないために。

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