メディアグランプリ

故郷を離れて分かった、方言に萌える感情


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記事:前岡舞呂花(ライティング・ゼミ 平日コース)

 
 
古い友人からの電話に出る母が苦手だった。
普段はよく通る声で標準語を操る母が、ここぞとばかりに耳慣れない言葉を、耳慣れないアクセントで繰り出す様子が、まるでここは本来の居場所ではないと主張しているような気がして、遠い存在に感じる瞬間だったから。
やっぱり帰りたいのかな。私も多分、何歳になっても家族と離れて暮らすのは寂しいものなと思いながら、長話に突入し部屋に入る母の後ろ姿を見ていた。

母は宮城の田舎出身である。
子育てがひと段落したのち、広島出身の父に付いて瀬戸内海にぽっかりと浮かぶ島までやってきた。

だから私も、生まれこそ母の故郷と同じだ。しかし、言語形成期とされる3歳からは広島にやってきたので東北の言葉はてんで分からない。過去何回か親戚に会いに東北に行くこともあったが、本当に分からないのだ。同時に、こちらの言葉も通じなかったことには驚いた。広島弁なんて、語尾の「じゃけん」を出さないように気を付ければ、ほぼ標準語だろうと思っていたが、そうではないらしい。7年前、大叔父さんの家に預けられたときは大変だった。大叔父さんと会話をすると、あっちの言うことは分からず、こっちの言うことも伝わらずで、結局、叔母さんが通訳として立ち回ることでようやく会話が成立した。国内にも関わらず、カルチャーショックを受けた出来事だった。

広島にいながら東北弁を出すときの母の姿から感じたものは、「前の学校のきまりは○○だった」と話す転校生を見る気持ちにも似ていた。前のところがいいなら戻ればいいじゃん、という少しひねくれたものだ。母も、故郷の人と話すとき以外、東北訛りを出すことはなかった。だから私も、大学のために広島を出るときに、広島弁は控えなければと思っていたところがあった。

いざ故郷を出ると、「じゃけん」とか、「たいぎい(疲れたの意)」とか、「わや(すごいの意)」とかいう普通に使っていたはずの言葉たちは、周りに仲間がいなくて居心地が悪そうだったので自然と奥にしまうことになった。環境が変われば言葉も変わった。祖母と話すときなどは私の言葉も濃くなっていることに、時々ふと気付く。そして意外だったことに、自分自身その変化に何のストレスも感じていないことにも気付いた。と同時に安心した。おそらく母も同じで、何も我慢しているわけではなく、自然とそうなっていたのだと推測できたからだ。

母は銀行員として働き出してから徐々に標準語に移行していったらしい。
私の場合、高校で放送部に入ったので、「自分の使う言葉のどれが訛りか」を意識する機会があった。そこでは、入部初日の自己紹介から顧問の先生に「アクセントがおかしい」と言われ、自分の名前を何度も練習することになった。原稿を読むにあたっては、すべての人に伝わりやすい標準語が絶対正義だ。出てくる単語単語をアクセント辞典で調べ、思っていたアクセントと違うと、これも訛りだったのかと実感した。

私はすべての方言が好きだ。この感情は萌えといってもいい。故郷を出て初めて、方言っていいなと思った。京都弁癒されるとか、博多弁で告白されたいとか、そういう表面的なものも当然あるが、それだけではない。個々人の方言に対する向き合い方もその対象なのだ。誇りを持っていたり、コンプレックスに感じていたり、故郷を離れて消える方言も、頑なに消えない方言も、故郷に戻ると息を吹き返す方言も萌える。その人のバックグラウンドが想像できて、すべていとおしく、かわいいと感じる。個人的には、大学を機に九州に出てきて幸せだった。大学には九州各県の出身者が集まっているが、全体的に方言に個性が強いし、それを隠さない方だ。堂々としていて素敵だ。受け入れあっている風潮もあるのかもしれない。「~しとらす(~していらっしゃるの意)」って言ったから熊本かなとか、このアクセントは宮崎だなとか、福岡市と北九州市の違いとかも、大体分かるようになってきた。

また、方言なんて消そうと思っても出てきてしまうものだ。
我が家では当たり前のように馴染んでいた言葉に「うるかす」があるのだが、皆さんはご存じだろうか。例えば「ご飯食べたらお茶碗うるかしといて」のように使う。つまり、「うるかす」とは「水につける」という意味である。発言するのは母で、その他家族は文脈で理解し自然と従っていたが、ふと、そういえば標準語じゃない気がするねという話になって検索してみたところ、やはり東北・北海道を中心に使われている言葉だった。標準語を操ると思われていた母も、言葉の中に故郷の面影を残していた。
私自身、「方言あまり出ないよね」と言われる一方で、広島へ旅行した人から「まろちゃんもやっぱりアクセントとか広島だったんだね」とも言われたこともある。私は別に意識して抑えているわけではないが、そういうときには、隠しきれなかった故郷の存在を自分の後ろに感じ、少し嬉しいと感じる。

盆正月に限らず度々帰省している。故郷を離れて4年、おかげでホームシックとは縁遠かった。でも、働きだしたら今ほど帰れないだろうし、もっと故郷から離れなければいけないタイミングもあるかもしれない。私は就職活動において地元に帰る選択をしなかったから。それでも言葉は染みついて、私の中に残り続ける。母にも、それ以外の、故郷を持つすべての人にも。それはすごく温かいことのような気がする。

故郷が好きだ。方言が好きだ。方言を取り巻くすべてが好きだ。

 
 
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2017-08-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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