メディアグランプリ

整形してでも甲子園に出たかったあの頃


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:せとぎわ(ライティング・ゼミ 日曜コース)

 

「今のは惜しい回になりましたね。あと1本があれば、というところでしたが」
「そうですねえ、でもここからの切り替えが大事ですよ」

 

今年の甲子園も気付けば終盤戦に入ろうとしている。
どうやら後攻の学校は千載一遇の得点機を逃したらしい。横目でテレビに映る点差を確認し、視線を鏡に戻してまぶたにアイラインを引く。
「あと1本」がなかったようだ。試合はもう9回表に入る。このままいけば、敗けてしまう。
悔しかろう。夢にも見るだろう。
でも、本当に言葉にならない悔恨を抱えているのはたぶん、予選の決勝で「あと1本」がなく敗け、目の前で甲子園を逃した球児たちだ。
甲子園の1回戦で敗ける悔しさと3回戦で敗ける悔しさは、もしかすれば数の差分に帰すのかもしれないが、「甲子園に出た人生」と「甲子園に出れなかった人生」の間の溝は、一生埋めることができない。

 

そして私もまた、「あと1本」がなかったために、埋まらない溝のことを凝っと見つめ続けてきた。

 

あと1本足りなかったのは、まぶたの上の皺だった。
一重の女に生まれるということは、その時点で外見的魅力と化粧の楽しみが大幅に損なわれるということを意味する。そう理解したのは、色気付き始めた中学生の頃だ。
なにせ、世間が「美人」と呼ぶ人に一重まぶたの人がいない。
「芸能人 一重」で検索すれば様々な美女の名前が並ぶが、伏せ目の写真を観察してもらえればわかる通り、彼女たちは須らく奥二重なのである。1本が、ある。

 

そのくらいで何の違いが、と思われるかもしれない。違いだらけだ。
目の縦幅が大きくなる、目に奥行きが出る、まつげが前を向く、光が差し込み目が輝く。
そしてなんといっても、皺のある人間たちは「二重幅」、つまり目と皺の間の空間に色を塗ることができる。茶色青色ショッキングピンク、何色でも良い、皺という境界線に囲まれればどの色も輝き、目元を花束のように彩る。そんなの楽しいに決まっている。ところが、一重の人間が同様の位置に色を乗せても、枠線のない塗り絵のようなもので、どこかぼやけて間が抜ける。

 

後天的に二重を作るためのノウハウは世に溢れている。当然、全て試した。
専用糊、テープ、絆創膏を切って貼る、ヘアピンでなぞる、まぶたを持ち上げてまばたき、一か八かのまつげパーマ。
それで成功していれば良かったのだが、何を試しても私のまぶたはつるりとしていた。
私は泣いた。べちゃべちゃに貼りついた糊を洗面台でまぶたから必死にはがしながら、その見た目の醜悪さと虚しさとに泣いた。どれだけ続けても二重になるどころか却ってまぶたの皮が伸びるのではないかという恐怖に泣いた。
よりにもよって、姉は二重なのだ。私は姉を恨んだ、父の持つ二重の遺伝子をお前が先に全部奪ったのだと恨んだ、私も24色のアイシャドウパレットを全色試したかった、かわいくなりたかった、美しくなりたかった、けれどどうにもこうにも上手くいかない。努力して二重になったと主張する芸能人を見るたび、プリクラで目を認識してもらえないたび、雑誌の「一重さん向けメイク術☆」の第1ステップがまずはアイプチで二重にすることだとわかりベッドに投げつけるたび、私はひりつくようなコンプレックスの濁流に呑まれて、やっぱり泣いた。

 

あの頃、今と同じだけの貯金があれば、迷わず整形外科に飛び込んだだろう。整形技術さえあれば、1本の皺の有無という溝の「向こう岸」に辿り着けるはずだった。
しかし実を言えば、肝心の貯金を得た今、私の中に当時ほどの情熱が見当たらないのである。
それは、顔面とは総合芸術であり、眉の形や肌のきめ、頬骨の位置が1本の皺と同程度に重要な貢献を果たすことを数多の顔から学習しためかもしれないし、横幅のない目を縦に伸ばしても横幅の短さが更に目立つだけだという身も蓋もない事実に気づいたからかもしれない。
あるいは、ただ単に、一つのことに苦しみ続けるのは想像以上に困難であるということなのかもしれない。満塁のチャンスで1本のヒットを打てずに甲子園を逃した球児は、就職しても孫ができても、甲子園を見る度にやっぱりそのことを思い返しては悔いるだろうけれど、その痛みは、仲間たちと野球に励んだ日々の記憶に紛れてやがては薄れているだろう。

 

溝自体は消えない。それは事実だ。けれど、移りゆく時間が溝から私たちを引きはがし連れ去っていくことも、どうしようもなく事実なのだった。
だから、この文章は昔の自分への供養だ。
信じられないだろうが、その傷は、痛みは、どれだけ心を切り刻むものであっても、たとえ忘れたくなかったとしても、やがては癒える。流れ、揺られ、遠ざかってゆく。
私は言いたい。大丈夫だと。
二重に生まれなかった自分に、甲子園に出られなかった球児に、「実現しなかった人生」との溝を見つめて泣く全ての人に。

 

化粧ポーチの奥底に10年間居座り続けたアイプチを、私はようやく手放すことができた。

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2017-08-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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