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メディアグランプリ

もうけっしてさびしくはない


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:せとぎわ(ライティング・ゼミ日曜コース)

 

働く女を救うのは、スイーツでも新作コスメでも男でもなく、タクシーだ、と思う夜がある。

 

「赤羽橋までお願い、します」
かすれた声でなんとか行先を告げ、目を閉じた。
道路沿いの街灯と対向車のハイビームがまぶた越しに瞳を刺す。
やがて涙の粒がぽつぽつと落ちる。

 

 

今日のクライアント報告会はいたって最悪の結果に終わった。
先方とのコミュニケーションに行き違いがあったことが判明し、提案内容が全て白紙に戻ったのだ。
実質的に、この2週間の労働は全て無意味だったと宣告されたに等しい。
クライアントに満足いただけなかったのだからやり直すのは当然だ、それに今週考えたことも全く無意味なことはない、どこかでまた役に立つかもしれないじゃないか、などということは全てわかっている。わかっていても、それが今私を覆う無気力を打ち消すわけではない。正論は気持ちを救わない。

 

そして、残念だが仕方がない、と無理やり納得するには労働時間が多すぎた。
あまりに多すぎて、顔も洗わずに寝た日が一度ではないし、部屋は脱ぎ捨てた服で散らかり放題だし、彼氏になるかもしれなかった男からのLINEは未読スルーで何日が経ったかわからなかった。今更白々しく「ごめんね、仕事が忙しくて……」なんて返す気にもならないので、このまま彼との交流は途絶えるのだろう。

1度一緒にご飯を食べただけの男だから、そんなに残念がることもない、と自分に言い聞かせる。
言い聞かせるその声は、やっぱりかすれている。

 

社会人生活も早や3年目になるから、このような事態も初めてではない。

初めてではないので、疲労の度合いを量るためのチェックリストも心の中に準備されている。
目覚まし時計を完全に止めるまでに何回スヌーズボタンを押したか。着る服は迷わず決められたか。今日が何曜日か思い出せるか。コンビニで昼食を選び終わるまでに何分かかったか。エトセトラ、エトセトラ。
そして今の私は、その基準でいえば100点満点で疲れ切っていた。満点おめでとうございます、というファンファーレがどこかで聞こえる。

疲れる、というのはつまり防御力が下がるということだ。
身体の防御力が下がり、肩こりや頭痛・鼻水が始まり、心の防御力が下がり、ふとしたことですぐに涙が出る。
何ということはない本当に些細なことでだらだらと出る。
Excelの印刷に連続で失敗するだけで、小銭を数枚落としただけで、電車が目の前で閉まって行ってしまっただけで、自分を必要とする人などいないのだと感情が高ぶりあふれる。

 

 

タクシーは信号のかなり手前で止まった。
真夜中だというのに、車の量が減らない。特に今日は金曜だから、飲み会の帰りという人も多いに違いない。

たぶん、別の人生もあった。
定時に仕事を終えて、同僚や上司と毎日のように飲み会に繰り出すような、そんな人生もきっとあった。
あったかもしれない人生が対向車線を走り抜けていく。

私はこのままどこへ行くのだろうかと思う。
働くことは嫌いではない、はずだが、これほどまでに働いていると、自分が何か別の生き物に変異していくような気がした。肌はぶつぶつと黒い毛穴が開き、爪の表面もでこぼこだから、少なくとも既に「女」ではないのかもしれない。

 

前の車がようやく動き出し、エンジンが車体を揺らす。
「お客様、こちら左折でよろしかったでしょうか」
「そうです、しばらくしたらファミリーマートが見えるので、そこで」
「はい、わかりました」

口は半開きで涙を垂れ流す不審な客に対しても礼儀正しい返事なのだから、運転手も大したものだ。都心ではよくあることなのかもしれなかった。

 

5分も経たない内に、車はきちんと目的地に着いた。
「980円です」

ああ、出なきゃいけない。
目を開き、腰を上げ、この空間を出なければならない。コンビニでウィダーでも買って、あの散らかりかえった六畳の部屋の電気を点けて、鞄を下ろし、寝なければならない。寝て朝が来たら、またのろのろと仕事に向かうのだ。

嫌だ。
そう思った。嫌だ。
私は、あそこに帰りたくない。

 

「ちょっと待ってもらえませんか」

 

考えるより先に言葉が飛び出していた。
すみません、あと10分、いや5分待ってもらえませんか。ご迷惑をおかけいたしますが、お代も多くお支払いしますので。

 

自分の声ではないような流暢さだった。私は何を言ってるんだろう。馬鹿か、そんな無茶なお願いが通るわけないじゃないか、今すぐ謝ってなかったことにしろ、お金を払って早く降りろ。
混乱する私に、運転手は少し間を置いてから一言だけ返した。

「大丈夫ですよ」

 

 

あ、大丈夫なんだ。

すとんと、そう思った。
何の気もない一言だったのだろう。何やら様子が尋常ではない客が頼み事をしてきたから、まあそのくらい聞いてやってもよいか、というそれだけの意味合いだったのだろう。

だが、その「大丈夫」の響きはおそろしいほどに私を安心させた。
あなたはここにいても良い人間なのですよ、私はちゃんとわかっていますからね、と、そう言われたように感じた。

うえーんと、声をあげて赤ん坊のように泣きだしたら、もう止まらなかった。良いんだ。私はこれで良いんだ。大丈夫だと言ってくれる人がいるんだ。このまま進めば良いんだ。
きっと運転手はひどく困った顔をしていたのだろうけれど、泣くのに必死だったので記憶がない。

 

たぶん、5分ほどしっかりと泣いたと思う。
落ち着いて呼吸ができるようになったらすぐに運転手さんに再度お詫びとお礼を言い、追加料金の支払いを申し出たものの断られ、そこでコーヒー買ってきますよと申し出てやはり断られ、本当にありがとうございました、と最後にもう一度頭を下げて私はタクシーを降り、走り去る姿を見送った。

ファミリーマートの前で、深呼吸をした。

 

現実は何も変わらない。
電気を点ければ今朝と同じ状態の部屋が待っていて、寝て起きればまた仕事で、提案は一からやり直しだ。

でも、前を向いてなんとかやっていこうと、素直に思う。
こうした小さな「大丈夫」を拾い集めていければ、これからも私はちゃんと歩き続けられる。

 

「大丈夫」

部屋の鍵を開けながら、自分にだけ聞こえるように小さな声でつぶやいた。
その声は、もうかすれてはいなかった。

 

***

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2017-09-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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