母が牛乳屋さんだったら……私はここにいなかった
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:Miyuki Iwama(ライティング・ゼミ日曜コース)
「あ、お母さん、明日の夜はいないからね。還暦の同窓会があるの」
夕食の片づけをしながら、お盆に帰省していた私と夫にむかって母は言った。
「前回が40代の時だったから、もう10何年振りかな~」
とその声は弾んでいる。
母は、翌日朝から同窓会に行くため慌ただしかった。
「服、こっちとこっちならどっちがいいと思う?」
と数パターンの組み合わせを並べて私に尋ねたかと思うと、私の見立てもそこそこに美容院や移動のため、昼前にはバタバタと家を出て行った。
同窓会は相当楽しかったらしい。
翌日、昼前に起きた私は帰ってきた母から、こんなことがあってね、こんな人がいてね……と、みんなで撮った集合写真を見ながら、矢継ぎ早に話を聞くこととなった。
「当たり前だけど、この歳になると中学校の時とは全然変わってて……。名前聞くまで全然わからない人とかもいるの。中学校まで一緒だったのに不思議なものね~。みんなそれぞれにいろんな経験をしているし、人生ってどこでどうなるものかわからないわね。話を聞いていると、お母さんは平凡だったわ」
と笑っていた。
母は決して冒険しない性格であることを知っている。
だが、笑っている姿は少しだけドラマチックなことを望んでいたかのようにも見えた。
母は、本当に平凡だったのだろうか……?
就職後7年目でお見合い結婚。父の両親(私からみると祖父母)と同居しながらフルタイムで働き、私と妹の2人の子どもを育てた。私たち子どもが家を出て手がかからなくなったかと思うと、同居していた祖父・祖母が順に倒れ介護生活がスタート。今年の春に祖父に続き祖母を看取り、今年度で定年を迎えるところである。ライフイベントを書き連ねると、確かに母の年代に多くありそうなモデルのようにも思う。
お見合い結婚でなければ、ドラマチックだったのだろうか?
違う職業であれば、平凡ではなかったのだろうか?
結婚も仕事も、自分で選択できるものである。母は進んで平凡を選んできたのではないか?
いろいろなことが思い浮かんでは消え、浮かんでは消え……していった。
海外赴任をしていた人の話や、企業でかなり上の役職に就いている人の話も出ていたため、
「お母さんも民間で働けば、ちょっとはドラマチックだったんじゃない?」
と聞くと意外な答えが返ってきた。
「え? お母さん、本当は民間企業に就職する予定だったのよ。というより、就職してたのよ。ほら、R牛乳。知ってるでしょ?」
R牛乳は県内に本社があるこの地域で1番大きい乳業メーカーだ。食卓に上る牛乳・ヨーグルトはもちろん、給食の牛乳もR牛乳だった。知らないわけはない。目を丸くする私にむかって母は続けた。
「普通は4月入社だけど短大の卒業式が3月初旬だったから、どうせ来るならって、卒業式のあとすぐ働きに行ってたのよ。社会保険の手続きとかもしてもらって……。勤める気満々だった。それが、3月も終わりになった頃、電話がかかってきたの。試験に落ちて諦めていた養護教諭に欠員が出たから、見習いだけどやりませんか? って。だから、民間で働いたことがないわけじゃないのよ。たった10日間くらいだから偉そうなことは言えないけど」
と笑った。
それから、臨時採用は学校推薦をもらって就職が決まった会社を蹴ってまでする仕事なのかとお父さん(私からすると祖父)に怒られながらも、結局は祖母(私からすると曾祖母)が助け舟を出してくれて臨時採用を受けるお許しが出たこと。臨時採用後は運よく臨時の採用が途切れず、その間に試験に合格して正規採用となったこと。
今まで、何事もストレートで来ていたと思っていた母の紆余曲折がそこにはあった。
“人生ってどこでどうなるものかわからないわね”
ついさっき母が言っていた言葉そのままのことがここにあった。
採用後は、独身者が島しょ部へ赴任することになっており、母も離島へ赴任していたこと。離島赴任は心地よく充実していたが、異動申請までに結婚の話を纏めないと、結婚が1年延びてしまう制約があり(当時は結婚=一緒に住むだったため、離島に赴任したまま遠距離結婚という選択肢はない)親が年末に慌てて組んだお見合いが父との見合いだったこと。
結婚はフィーリング・タイミング・ハプニングというが、父と母の場合はタイミングが大きく作用しているように思えた。
母が乳業メーカーに勤めていたら、父とお見合いをすることはなかっただろう。
“そして、わたしはここに存在していない”
あの時、欠員が出たという電話が母になかったら……。
あの時、曾祖母の助け舟がなく母が教諭をあきらめていたら……。
あの時、島しょ部の赴任でなかったら……。
母は自分自身が辿ってきた道を平凡だというかもしれない。
だが、私にとってはその一部を聞いただけで、充分ドラマチックであった。
ところで、なぜ母は、養護教諭を目指したのだろう?
聞くと、近所の頭がよくて美人な憧れのお姉さんが養護教諭になりたいと言っていたのをいいなと思ったらしい。
憧れたお姉さんは養護教諭を目指して母よりも数段よい大学に通ったが途中で違う道に進んだとのこと。
一通り昔話を終えた母は、
「人生ってどこでどうなるものかわからないわね」
とどこかで言ったフレーズを反芻し明るく笑ったのだった。
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