何気ない日々の静かなシヅカさんの愛
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記事:たいらまり(ライティング・ゼミ 日曜コース)
シヅカさん。
白髪の小さなお婆さん。いつも畑仕事を頑張っている。
道端に捨てられていた僕は、この人に拾ってもらった。人間に対する怒りと悲しみを抱えていた僕を、台所の片隅に住まわせ、大切にしてくれた。
シヅカさんの家にはもう一人、お爺さんがいた。シヅカさんと同じように働き物で、いつも畑で仕事をしていた。義父と嫁の関係で、寡黙な二人ではあったけど、阿吽の呼吸というか、「おばあさん」「おじいさん」と呼び合い、自然に則した慎ましやかな生活を送っていた。僕はこの穏やかな日々に幸せを感じていた。
穏やかな日々が一変したのは突然だった。シヅカさんの娘家族との同居が始まったのだ。共働きの娘夫婦、反抗期の中学生の男の子、そして小学生のおてんば娘。このおてんば娘がくせ者だ。なんかうるさい奴で、シヅカさんに付き纏っている。
「このボロい紐、何に使うとー? 要らんやん。捨てたら?」
ある日、僕を指差しながらおてんば娘がシヅカさんに言う。無礼な奴だ。僕は、捨てられた紐だけど、いつかまた、何かを結んだり、つないだり役に立つことができるんだ。
「ばあちゃんね、落ちとる紐ば見つけると放っておけんとよ。いつか役に立つごとして拾いよるとたい」
ほらね。どっかいけ、おてんば娘。僕とシヅカさんの関係に入り込むな。
「ふーん。新しいの買えばいいやん?」
ばかやろう! 物を大切にする心を持たんのか!? それでもシヅカさんの血を分けた孫か!?
「まあいいや。ばあちゃん、私も一緒に芋掘り行っていい?」
また付き纏ってるよ……。
「よかよ。ちゃんと長靴ば履いてこんね。泥だらけになるばい」
優しいな。こんな小娘、泥だらけになっちまえ。
シヅカさんは突然始まった同居でも嫌な顔せず、程よい距離感で家族を支え続けた。普段はお爺さんと畑しごとに精を出し、必要な時は、共働きの娘夫婦を手助けした。子どもたちのお弁当を作ったり学校へ送り出したり。お見送りの時は、子どもたちが見えなくなるまで玄関先に立っていた。
「ばあちゃん、恥ずかしいけん、外まで見送らんでよかよー。ずーっと見られよるけん、なんか気になるやん」
恩知らずなおてんば娘は、こんなことを言っていた。馬鹿者め。
「そげんかい。よかやんねー」
シヅカさんはそう言って、それからもずっと、見えなくなるまでのお見送りを続けた。
月日は流れ、同居が始まって10年が過ぎた。
拾われた僕たちも、「役立つ紐」としての出番を待っていたが、気がつけば台所のインテリアの一部みたいになり、シヅカさんの日常を静かに見守っていた。お爺さんは99歳という大往生で天国へ旅立ち、反抗期だった男の子も立派な社会人になり家を出た。
ある日、おてんば娘が泣きじゃくりながら、台所で漬物を切っているシヅカさんに話しかけていた。
「ばあちゃん、行って、ヒャック、くるね」
どうも、こいつも就職が決まってこの家を出るらしい。なんだよ、今頃泣きわめきやがって。昨日なんて、慣れない酒に酔っ払ってみんなに迷惑かけてたくせに。シヅカさんも余計なこと言わないけど、呆れてたぞ。
「ばあちゃん、今までありがとう。ヒャック」
あれ、様子がおかしい。シヅカさんが背を向けたまま何も言わない。
「ばあちゃん……」
いつものシヅカさんなら「気をつけて行ってこんね」と、優しく気遣う言葉をかけるはず。そして、見えなくなるまで見送るはず。
「ばあちゃ」
「早よ、行かんか!」
呼びかける声をさえぎるように怒鳴った。こんなシヅカさん初めて見た。おてんば娘はびっくりした様子で固まった。僕も固まった。怒鳴ったシヅカさんも背中を向けたまま動かなかった。時間が止まった。
次の瞬間、ワッとシヅカさんが台拭きんで顔を覆った。シヅカさんは泣いていた。オイオイとおてんば娘に背中を向けたまま泣いていた。
「ばあちゃん、ばあちゃん。行ってくるね。また帰ってくるけんね」
「早よ行かんね。気をつけて行かんね」
シヅカさんもおてんば娘も声をふり絞り、別れの言葉を交わした。
巣立つ孫娘との別れが辛かったのだろう、シヅカさんは背を向けたまま振り返らなかった。そして、この日は見送らなかった。
子どもたちがいなくなり、静かな日々が戻った。シヅカさんは相変わらず畑仕事に精を出し、娘夫婦は仕事に出かけた。僕たちも相変わらず、台所の片隅に掛けられたままだ。
今生の別れのように泣いていたおてんば娘はというと、頻繁に帰ってくる。どうも、車で1時間程の町に暮らしているらしい。今も、昨日から泊まっていて帰るところだ。
「ばあちゃーん。帰るねー。野菜なんかないー?」
「はいはい。もう玄関に用意しとるよ。土のついとるけんね、よーっと洗って食べんね」
台所でほうれん草を茹でていた手を止めて、シヅカさんは玄関まで出て行った。二人の会話が聞こえる。
「気をつけて行ってこんね」
「うん。あ! ばあちゃん、あそこ紐が落ちとるよ! じゃあね、ばいばい」
きっとまた見えなくなるまで見送っているんだろう、しばらくシヅカさんは台所に戻って来なかった。そして戻ってきた時、その手には汚れた紐が握られていた。
シヅカさん、ありがとう。僕たちはあなたの愛で生かされている。
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