プロフェッショナル・ゼミ

雷は嵐の前触れだけではない。きっと《映画『月と雷』×天狼院書店コラボ企画》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:山田THX将治(天狼院書店ライティング・ゼミ プロフェッショナルコース)
 

雷は、急に落ちて来る。前振りは有るが、時として感じない時も有る。
雷は、嵐の前振りだ。しかし、天候に永遠なんて無い。
雷は、いつでも落ちてくる。特に油断をした時に。

映画『月と雷』には、智(さとる)という青年が登場する。
智は幼い頃、母親の直子に連れられる形で、物語の主人公である泰子の住む家で同居していた。
何とも子供らしい、実に自由な世界が、映画の前半で描かれている。

智は、生活感の無い男だ。これは、母親の直子と同じだ。何を生業としているのか、泰子の家から去って以降、どこを彷徨って来たのか、映画の観客には皆目見当もつかない様子だ。
生活感の無い人間に、‘普通’の生活など送れる筈も無い。
‘普通’の生活を送ろうとしている泰子にとって、そんな生活感の無い智の登場は、迷惑以外の何物でもない。しかも、“雷”の様に何の前振りもなく突然現れたのだから。

現在の日本映画界において、貴重と言える程の正統派二枚目男優の高良健吾が、何故か板に付いたような演技で、智を好演している。
これは多分、現代の日本の若者独特の、どこか‘悟った’様な雰囲気を高良健吾が、的確に体現しているからだと思えてならない。
映画中の智も、一種の‘悟り’の雰囲気を出している。誰に対しても、世の中に対しても、決して文句を言わないからだ。
その‘悟り’は、智が辿った人生の道筋で、自然と身に付けて来たのかも知れない。それが、“生活感”は無いが微妙に“生命力”を備えた、智というキャラクターを、象徴的に観客に伝えている。
近付きたくはないが、何故か放って置けない感じは、母親の直子の育て方に起因しているのかもしれない。何故なら、直子自体からも、同じような香りが生じるからである。

智は、決して激しい良い性格ではない。むしろ、どこか弱々しい感じすらする。この弱々しさは、今まで漂う様に生きて来て自然と身に付いた、または、そうしないと生きて来られなかった男の、少し悲しさを含んだ結果かもしれない。
智は、意志というものを殆ど見せない。趣味嗜好も、映画の中では描かれていない。言葉を発し、呼吸をしていることだけが、生きている証(あかし)で有るかの様である。それでいて‘空気の様な’と例えられる程、空虚でもない。その上、動物としての本能は備わっている。
泰子と昔を想い出しながら、子供の頃を想い出しながら、十分に大人の反応を見せる。それは確実に反応だ。決して、自らの意思を持っての行動では無いからだ。

この、智というキャラクターを制作陣は、映画館の椅子で無反応に観賞するしかない観客に向けて、“雷”の様に何の前振りも無く登場させる。この部分は、表面に出ては来ないが、見事な脚色と感じられた。
また、智の微妙な表情を高良健吾が、二度と出ない自身の‘旬’な演技で、観客に迫って来ている。

ストーリーの主人公、泰子にとって、智は“雷”の様な存在だ。
後ろ向きの泰子に、突然声を掛けるところは、まるで雷の轟の様だ。
泰子に残した爪痕も、雷の様に一瞬にして落としていったから。

前振りとしての“雷”智は、泰子には、次に直子という“嵐”を連れて来た。
そして泰子に、生みの母という、今となっては何の感情も持てない存在を掘り起こした。
さらに泰子に、新しい命という、本来なら歓迎されるべきものを、困惑といった別の感情に変えてしまった。
まるで、感電による計器の不具合の様に。
これらのことは、困ったことに、泰子に対し客観的な筈の薄い関係の人々、会社の同僚や店にやって来る常連客といった、一般の人からの称賛とも安堵ともとれる反応をもたらした。

智は、その生い立ちからか、泰子を始め周りの反応を見ない。見ようともしない。むしろ、周りの反応は、自分にとって何の徳にもならないことを、直子から受け継いだ‘生命力’として示しているかの様でもある。
これは、智の生い立ちを明確に描くこと無く、観客の経験と感覚に委ねるという、映画制作陣の巧みな制作意図と見て取れる。
観客それぞれの、“雷”的な体験を思い起こさせ、それにより様々な結論を引き出し、そして多様な感想として我々観客に投げ返してくる。
実に、伝統的で日本独特のコンテンツ表現だ。

智の母(映画では、これすら明確では無い!)直子は、自分には危機を察知する能力が有ると言う。
「雷が来るとその後、嵐が来るから逃げることにする」
そう言い残して、観客の前から去っていく。
観客は泰子と共に、智という“雷”に打たれる。雷の後の嵐も目の当たりにする。
しかし、その雷や嵐に何らの感情も芽生えぬ内に、直子は去ってしまう。
だが、観客は泰子と共に、去った直子が見ることの無い、嵐の後を見ることが出来る。
嵐の後は、清々しく晴れるのだ。

映画『月と雷』。
嵐の後を見る為に、映画館へ足を運んでみませんか。
この映画はきっと、その価値を見付けられます。

 

 

映画『月と雷』
出演:初音映莉子、高良健吾 、草刈民代 / 原作:角田光代 / 監督:安藤尋
10月7日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー!
http://tsukitokaminari.com
(C)2012 角田光代/中央公論新社 (C) 2017 「月と雷」製作委員会

天狼院書店「東京天狼院」「池袋駅前店」にて前売券販売中!

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