メディアグランプリ

ホオズキの花言葉


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記事:西田ひろ子(ライティング・ゼミ 平日コース)

 
 
「もう、一生、家には帰らない!」
忘れもしない。これは、2016年夏、実家に帰省中の私が父親に言ってしまった一言だ。

この日、私は10年勤めた会社を辞めたくて、相談を兼ねて実家に帰省していた。

世間一般では、うちの会社みたいなところをブラック企業と言うのだろうか。平日は朝9時から夜中0時まで働き、下手すれば、土日もどちらか出勤するといった日々を2年間近く過ごしていた。それだから、私は過労でめまいと吐き気にいつも悩まされていた。

大げさだけど、このままだといつかどこかでパタリと意識を失って倒れてしまうのではないか、一人暮らしだからもし自宅で倒れてしまったら誰にも気づかれずにあの世逝きか、はたまた無断欠勤した私に気づいた職場の同僚が実家に連絡をくれて一命を取り留めるが先か……、という思いが頭をよぎることもあった。それこそ、サスペンスドラマに出てきそうな変死体に自分がなってしまったらどうしようと思うと不安で仕方がなかった。

それなのに私が意を決して、「会社を辞めようと思う」と話すと、父親は「もったいない」と言い放ったのだ。いい歳をした大人がこれから転職をして、今の会社と同じ条件で働くことの難しさを案じてのことだと推測はできた。

しかし、私は父親を許すことができなかった。
自分の娘の生命を何だと思っているのだ。その時の私はとにかく怒りと悲しみでいっぱいだった。

それからは、たまに荷物を取りに実家に帰省することもあったが、「ただいま!」を言わなくなり、代わりに「おじゃましました」と言って実家を後にするようになった。

一緒に食卓を囲む訳でもなく、ただ荷物を取りに帰るだけだったから、実家での滞在時間は10分程度だったと思う。

この年の年越しは、両親には友達と旅行に行くと嘘をつき、実家には帰省しなかった。

2017年元旦、私は人生ではじめてのひとりぼっちのお正月を迎えた。

お正月も過ぎ、ちょうど2週間経った頃、咳と微熱が出たので、風邪を引いたのだと思ったが、2ヶ月経っても3ヶ月経っても微熱だけ下がらなかった。

私はついに体調を壊してしまったのだ。

それでようやく会社を辞める決心がついた。
体調を壊してまで仕事を続けなくていいと思えた。
もう両親の許可はいらなかった。

それからしばらく経っても私と両親の仲は相変わらずだったし私の体調は悪かったけれど、2017年夏、母親に誘われ、祖母の家に遊びに行った。祖母に会いたかったから。

そして、お墓参りをしたかったから。

祖母の家に遊びに行くと、玄関にホオズキの鉢植えが置かれてあった。
オレンジの映えるとても綺麗なホオズキだった。

お墓参りの帰り道にふと、「ホオズキを見るとひいばあちゃんを思い出すんだよね」と私が言うと「私も!」と母が言った。

子どもの頃、夏になると、毎年、祖母の家に遊びに行ったが、今は亡き曾祖母がホオズキでよく遊んでくれた。

当時、子どもの私にはよくわからなかったのだけれど、ホオズキ笛の作り方を教えてくれていたのだと思う。

ホオズキのオレンジ色の皮みたいなところを先端から繊維に沿って切り裂くと、中から赤い実が出てくる。それをぶよぶよ揉んで中身の汁を上手く取り出すことができれば笛の完成だ。

子どもの私はいつも失敗して、中身の汁を上手く取り出すことができず、赤い実を破いてしまっては、「あー、あー」と途中で投げ出してしまっていた。

なんてことはない遊びなのだけれど、ホオズキを見ると必ず、曾祖母と遊んだときのことを思い出す。街のお花屋さんにホオズキが商品として並んであるのを見ても必ず、思い出すのだ。

私の母親も子どもの頃、曾祖母(母親にとってみれば祖母なのだけれど)とホオズキで遊んでもらっていたのだ。私の知らない母親の子ども時代がちゃんとそこにはあって、そんな母親から私は生まれた。

ホオズキの花言葉は「偽り」、「ごまかし」。
昔は薬草として利用されていたそうで、子供の夜泣きやひきつけ、大人のお腹や胸の痛みを和らげる効能があるとされていたという。

いい大人になって恥ずかしいのだけれど、私はこの夏、人生ではじめて親の反対を押し切って会社を辞めるという決断をした。結婚を反対されたときはその反対を押し切ることができなかったのに……。

これまでずっと、自分のことすら自分で決断する勇気も自信もなかった私。そんな自分が嫌いだった。そんな私に育てた親を恨んだこともあったし、いつもことある事に親のせい、人のせいにして生きてきたように思う。

結局、両親にとってみれば、「会社を辞めようと思う」と私が言ったことも子供が駄々をこねているようにしか見えなかったのかもしれない。

あの時、私が許すことができなかったのは、父親ではなくて、本当は、自分自身だったのかもしれない。自分のことすら自分で決断することができない、そんな不甲斐ない自分を許すことができなかったのだ。

やはり、両親には敵わない。お空の上からも見透かされている。そんなことを思った今年の夏だった。

 
 
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2017-10-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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