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心をなくしても、持っていたいもの


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記事:Minami(ライティングゼミ・平日コース)

 
 
私は3歳の頃、家庭の事情で母の実家に預けられた。
甘いお菓子が嫌いなのは3時のおやつが漬物だった影響だ。
 
もう40年以上も昔のこと、祖母の家のトイレは汲み取り式だった。3歳の小さな身体は、その便器の中央に空いている真っ黒い穴に吸い込まれていくようで怖かった。夜のトイレは特別怖くて、よくおねしょをした。祖母は「ありゃ」と言い、「さっちゃんじゃないもん、カラスがしたんだもん」と私は決まって答えた。叱らずに抱きしめてくれる祖母が大好きだった。
 
小学生になった私は、夏休みには祖母の家に泊まりに行った。母の実家は魚市場を営んでおり、祖父は仲買人だったため、一家総出で夜中3時に起きて市場へ行く。私はいつも祖母の後ろを歩いて、祖父が買い付けてきた“しらす”をパックに詰めて店頭に並べるお手伝いをしていた。8時頃、祖母とふたりで市場内にある食堂で朝ご飯を食べるのが日課だった。
 
いつも祖母は笑っていた。農家出身で小学校しか出ていないと言いながら、毎日新聞を読んでいた。わからない漢字や英語があると何と読むのと尋ねてきた。祖母は身長145cmぐらいでぽっこり出たお腹はまるでトトロのようだった。よくご飯を食べて、よく笑って、よく歌っていた。小学5年で私は祖母の背を抜いた。
 
そんな祖母が介護施設に入り、2年経つ。
祖母には4人の子供がいた。私の母は長女で、次女、長男、次男と続く。末っ子である次男が2年前の1月に脳梗塞で帰らぬ人となった。突然のことだった。その少し前から祖母の痴呆が始まっていたが、独身の長男だけでは祖母の介護はできず、施設に入った。
 
先日、母から「あんたは小さい頃からおばあちゃんにお世話になったでしょ。おばあちゃんも97歳だからいつ逝っちゃうかわからないでしょ」と見舞いに誘われた。思春期になり、社会人になり、結婚し、会社を設立し、自分の生活に追われ、祖母のことを忘れている自分が恥ずかしかった。
 
高速道路添いの林を切り崩した先にその施設はあった。
3階に食堂があり、30名ぐらいの老人たちがそれぞれに車椅子に座っている。大きなテレビからはドクターXの再放送が流れているが、誰も見ていない。その代りに食い入るような恨めしい眼でこちらを見ている老人たちがいた。悲しそうな目でもあった。捨てられた犬や猫がするような「あきらめた冷めた目」を向けられ、私の心はざわついた。「みんな呆けているから気にしないで」と母がつぶやいた。
 
長女である母、次女、長男の三姉弟の後に続き、食堂の中にいる祖母を探した。
毎月見舞いにきている長男は慣れたもので、食堂の隅っこに、壁に向いてひとりぼっちで座っている白髪のおばあさんに「きたよ」と声をかけた。
 
ひとりぼっちで壁を向いて座っているのはなぜ? 祖母の髪は黒かったのに白髪?
ツッコミを入れたくなるところは多々あった。振り返ったその白髪の老人は、間違いなく祖母だった。とても小さくなっている。
 
2年前に突然亡くなった次男の通夜では、祖母はしっかり歩いていた。あれから2年と少ししか経っていないのに、今は、足がパンパンにむくんで自分では歩けない。車椅子を押し、食堂から出たところにある長椅子に腰掛け直した。母が「おばあちゃんきたよ~」とあらためて声をかける。
 
私は隣に座って祖母の手を握る。
祖母は皺だらけの顔をくしゃくしゃにして、「手があったかいね~」と私に言う。ずっと小さい頃から向けられてきた笑顔だ。祖母の手はツヤツヤしていてさわっているだけで気持ちが良かった。3歳の頃、一緒の布団で寝ていた祖母の手を思い出した。
 
「これ誰ゲーム」が始まる。来ている人の顔を指し、祖母が名前をあてていくゲームだ。自分の子供でも忘れてしまうから、確認なのだ。最後に私の番がきた。これ誰に 「知らない」と祖母は答えた。「幸子だよ」と言ったが祖母は「知らない」と言う。「私の子供のさっちゃんでしょ」と母が念押ししている。「さっちゃん」と祖母は繰り返すものの、10分経つと忘れてしまう。
 
体を動かしたり、クイズをしたり、たわいもない話で笑いあった。
そう、祖母が見せるこの無邪気な笑顔は、家族をつなげる「扇子の要」のようなものなのだ。年齢も97歳なのに、まだ93歳だと言うし、私のことも忘れてしまっているけど、笑顔だけで皆を惹きつける祖母はすごいのだ。
 
帰り際、ひとりぼっちの隅の席に車椅子を移動させた。「またくるね」と声をかけると、「もう少しいて、さっちゃん」と最後に名前を呼んだ。確かに呼んでくれた。私は「もう少し」と提案したが「毎度のこと、忘れちゃうから」と母から諭された。
 
97歳の祖母が、今を生きていきていくために「忘れる」ことは大切なことだと思う。
私も年老いていつかすべてを忘れてしまう時がくるかもしれない。その時、祖母のような笑顔を忘れずに持っていられるだろうか。人生いろいろ、最後の最後に笑っていられるよう、祖母が私に向けてくれたあの無邪気な笑顔を忘れず、日々生きていきたい。
 
 
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2017-10-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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