蝉になった男《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:高浜 裕太郎(プロフェッショナル・ゼミ)
※このお話はフィクションです。
「あなたの余命は、あと1週間ほどです」
俺は耳を疑った。少し、体の調子が悪いと思い、近所の内科医に診てもらった。すると、なぜか大学病院まで紹介される羽目になってしまい、そこの先生から言われた言葉だった。
俺が? 余命? 1週間?
特別、体の調子がおかしいと感じたわけではなかった。少し、体がだるいと感じる程度だった。そんな俺の余命が、残り1週間ほどしかないなんて、到底信じられなかった。けれども、目の前の医者の顔は、少しも笑っていなかった。まるで、早くもお葬式が行われていて、そこに参列しているかのような顔だった。その目は、しっかりと俺の方に向けられており、そこには冗談という雰囲気が微塵も感じられなかった。
「本当……ですか」
俺は混乱を抑え、声を絞り出した。未だに現実のこととは思えない。何かの間違いか、悪い夢でも見ているかのようだった。
医者は、俺の症状について話を続けた。この病気は、発症する確率が極めて低いということ。加えて難病であること。原因も分からず、手術のしようもないということ。俺は、出口を完全に塞がれたという思いだった。どうやっても、俺が死ぬ結末しか残されていない。
「この病気の特徴として、死に瀕した際に、特に痛みも伴うことなく、いきなり意識を失い、そこから命を落とすというものがあります」
まるで、時限爆弾のような病気だった。俺は今から1週間もの間、死という魔物が、遠くからこちらへ向かって歩いてくるのを、迎えなければならないのだ。そこには逃げるという選択肢も、魔物と戦うという選択肢も残されてはいない。俺は、そこから1歩も動くことは出来ず、死という魔物の足音が、だんだんと大きくなっていくのを聞きながら、待つことしか出来ないのだ。
なんて残酷な日々だろう。これなら、すぐに死んだ方がマシだと思った。
「とりあえず、1週間、毎日病院には来てください」
医者は俺にそう言った。けれども、その医者の目には、希望が見えていないように思えた。この医者の目にも、俺が死ぬ未来しか映っていないのだろう。
「死ぬと分かっているのに、なんで毎日病院に来なきゃならんのだ」
俺はそうボヤきながら、病院を後にした。
病院の自動ドアが無機質に開く。外の天気は曇っていて、今にも雨が降ってきそうだった。まるで、この天気が、俺の運命を表しているかのようだった。
「ふぅ……」
俺は1つ、溜息をついた。そして、これからどうやって過ごそうかと、考えていた。
死を宣告されたのだから、発狂の1つや2つ、してもよさそうなものだ。けれども、不思議と頭はクリアだった。頭は悲観的な考えで埋め尽くされてはいたけれども、全く考えを停止しているわけではなかった。
「これからどうすっかな……」
俺はそんなことを考えた。幸か不幸か、俺には守るべき家族がいない。妻も、子供もいない。毎日、行きたくもない会社へ行き、稼いだ金でパチンコへ行くという生活を繰り返している、29歳の男だった。両親とも疎遠になっていたし、俺が死んだところで、彼らは特別な感情を抱かないだろう。
驚いたことに、死を1週間後に控えた俺は、自由だった。守るべき人がいれば、もっと色々なことを考えるのだろうが、俺の頭の中には、「残り1週間、どうやって生きるか」ということが頭を支配していた。誰にも別れを告げる必要も無い。自分の好きなように生きることが出来る。俺は、死の1週間前になって、初めて籠から外に出された小鳥のようだった。そんな自由を得たのだ。
死の宣告の翌日、俺は、仕事もさっさと辞めてしまい、わずかばかりの貯金で生きていくことに決めた。
そして、1人で居酒屋に入り、酒を飲んだ。
誰も今の俺を咎めることなんか出来ない。死を1週間後に控えた男が、酒を飲んでいるのだ。そんな最後の晩餐を、誰も邪魔なんて出来ないだろう。体の心配だって、しなくてもいい。あらゆる意味で、俺は自由なように思えた。
しかし、酔うと、言い知れぬ寂しさが俺を襲った。俺はこのまま、誰にも看取られることなく、死ぬのだろか。俺の人生は何だったのだろうか。自由の代償とでも言うのだろうか、そういった虚無感が、俺を襲ったのだ。きっと、俺が死んだところで、俺のことを覚えてくれる人なんていない。両親でさえ、俺のことを覚えているかどうか分からない。いや、覚えていたとしても、悲しみはしないだろう。
俺という存在は、何だったのだろうか。まるで、真っ白な画用紙のように、内容の無いものだったのではないだろうか。俺は29年生きてきて、誰かの為に絵を描くことも出来なかったのだ。俺の人生は、真っ白だったのだ。
酔っていた俺は、そんなことを考えていた。
「あの……」
ふと、俺に話しかけてくる女性がいた。彼女も、俺と同じカウンター席に1人で座っている。女性も、1人で居酒屋に来るものなのかと、少し驚いた。
「大丈夫ですか?」
女性は、俺にこう尋ねた。「何が?」と聞き返そうとも思ったが、それよりも前に、俺は自身の異変に気付いた。気付いたら俺は泣いていたのだ。自分の人生が、あまりにも内容の無いものだったということに気付いて、泣いてしまっていたのだ。
そんな俺を見て、女性は話しかけてくれたのだ。
「ええ、大丈夫です。すみません、驚かせちゃって」
俺は、極めて紳士的に振る舞った。居酒屋で、1人で泣いている変な男に、話しかけてくれるなんて、かなり優しい人だ。そんな人を、邪険にするわけにはいかない。
「よかった。ずっと、泣いてらっしゃったから」
女性は、わずかだが安堵の表情を浮かべた。俺は驚いた。そんなに長い時間、俺は泣いていたのだろうか。
「いえ、まぁ、色々ありまして」
俺は濁すような言い方をした。出会ったばかりの人に、自分の余命が、あと1週間程だということを伝えても、絶対に信じてもらえない。普通、余命宣告をされた場合は、家で療養しているか、入院しているかするものだ。けれども、この病気は不思議なことに、体調の変化がほとんど無い。少し、体がだるい程度で、あとは普段の生活と何ら変わらない。
「まぁ、そうですよね。私も、仕事で大きなミスしちゃって……」
女性は酔っているのか、自分の話をし始めた。ひょっとすると、この女性は、誰かに自分の話を聞いてもらいたくて、この居酒屋に来たのかもしれない。俺はそう思った。
だから、俺は女性の話を真剣に聞いた。
女性の口からは、蛇口から水が溢れ出るように、どんどん言葉が紡がれていった。名前がヒトミということ。自分が26歳の、入社4年目であるということ。それなのに、ちっとも仕事は出来ないということ。さらには、後輩も出来て、その子の評価が高くなってきていること等、色々なことを聞いた。
「まぁ、自分が悪いんですけどね」
ヒトミは、自嘲気味にそう言った。俺は改めて、この女性が抱えている孤独を感じた。まるで、深い海の底に、1人でいるような孤独。誰とも言葉を話せず、誰にも自分の悩みを打ち明けることが出来ない。だから、たまたま出会った見ず知らずの俺に、こうして自分の話をしている。
だから、俺はそんな彼女に寄り添ってあげようと思った。恋とは、少し違った感情なのかもしれない。出会って数時間で、好きになることなんて、無いのかもしれない。けれども、彼女の孤独に、寄り添ってあげたくなったのだ。俺でよければ、話し相手になると、言いたかった。
それは、もしかすると、自分の虚無感を埋めるために、取った行動なのかもしれない。死を間近に控えて、俺は言い知れぬ虚無感を感じていた、それを埋めるために、彼女が必要だったのかもしれない。
しばらく話をした後、俺とヒトミは連絡先を交換して別れた。別れ際に、ヒトミは、「また飲みましょうね」なんて言っていた。
次の日から、俺はヒトミと連絡を取った。もう時間は1週間も残されてはいない。こんなに時間の無い中で、ヒトミと連絡を取るのは、何だか罪なような気がした。
もしも、ヒトミが俺に好意を抱いて、瞬間俺が消えたら、俺はとても酷い仕打ちを、ヒトミにすることになるのではないだろうか。
けれども、俺はもう残り4日程の命だ。ヒトミを気遣うよりも、最期くらい自分の思い通りに生きたいという気持ちが勝ってしまった。だから、俺はヒトミと連絡を取った。
ヒトミは忙しいようで、実際に会うのは夜だった。夜に、2人が出会った居酒屋で、何でもない話をするのが、楽しみになっていた。特別な話をするわけではない。けれども、少なくとも俺にとっては、その時間は特別な時間だった。
俺の余命が、残り3日になった日、俺はヒトミに告白をした。あまりに自分勝手な愛の告白だと、自分でも思った。だって、俺は3日後に死んでしまうのだから。けれども、俺は自分の中にポッカリあいていた、虚無感という穴を、何としても埋めたいと思ったのだ。俺が死んだ後も、ヒトミが俺のことを覚えていてくれれば、それで満足だと思った。
そしてヒトミは、俺の告白を受け入れた。
俺とヒトミが付き合いだした次の日、つまり俺の余命が2日になった日も、俺とヒトミはデートをした。といっても、いつもの居酒屋で飲むだけだったが。
そこで、ヒトミはいつもとは違うことを話した。
私の仕事が落ち着いたら、2人で旅行に行きたい。もっと、高そうなレストランへ行きたい。2人でやりたいことがいっぱいあると、彼女は言った。
俺は、その言葉を笑顔で聞いていた、しかしその笑顔の裏側には、言い知れぬ悲しみを抱いていた。
「俺は、彼女の願いを、何一つ叶えてあげられないのか」
俺はそう気付いてしまった。ヒトミは、2人でやりたいことが、いっぱいあると言った。けれども、俺はあと1日で死んでしまう身だ。ヒトミの願いを叶えてあげられることなんか、絶対に出来ない。そこで俺は、自分の取った行動の浅はかさを、思い知った。
そして俺は、決めた。全てをヒトミに話そうと。
翌日、つまり俺が死ぬ前日。俺はヒトミを呼び出した。いつもの居酒屋ではない。海沿いの公演だった。
季節は、9月だった。まだ、暑さの残る、秋らしくない湿った風が、2人の間を吹き抜けていった。
2人は何気ない話をした後、俺は覚悟を決めてこう言った。
「俺は、明日死ぬんだ」
ヒトミは、「え?」と聞き返した。それもそうだろう。明日死ぬと突然言われて、誰が信じるのだろうか
「先週、俺は余命1ヶ月だと言われた。自分でも信じられないが、医者の目は真剣だった。滅多に発症する人はいなくて、俺がレアなケースらしい。特に体調が悪そうな風でもないから、俺も本当に死ぬのかどうか、今でも分からない。けれども、どうやら俺は死ぬみたいだ」
俺は、出来るだけ淡々と、言葉を並べた。感情的にならないように、まるでロボットのように、機械的に言葉を並べた。
けれども、目は真剣だった。
ヒトミは、俺の目を見て、「本当?」と聞き返した。俺は無言でうなずき、返事をした。
瞬間、ヒトミは泣き崩れた。吹き抜ける湿った風に、ヒトミの涙が乗っかり、さらに風が湿ったような気がした。
「なんで……私と付き合おうと言ったの!」
ヒトミは、怒っていた。泣きながら、怒っていた。泣き崩れるヒトミからは、色々な感情を読み取ることが出来た。まるで、強い色を混ぜ合わせたかのような、濁った色。彼女は、そんな色の感情を放っていた。
「本当に、申し訳ないと思っている。ただ……」
「ただ……?」
「俺は、誰かにそばにいて欲しかったんだ」
俺は正直に告白をした。俺が1人であるということ。会社も既に辞めていること。両親をはじめ、俺のことを心配してくれる人はいないということ。だから、ヒトミを求めたということ。この1週間で感じたものが、まるで泉から水が湧き出るかのように、どんどんと湧き上がってきた。そしてそれを、ヒトミにぶつけた。
ヒトミの顔は真剣だった。おそらく、彼女は気付いたのだろう。俺が、ヒトミと同じ悩みを抱えていたことに。たぶん、ヒトミも1人だった。孤独だった。虚無感も抱えていたかもしれない。なんで私は生きているのかと、疑問に思ったかもしれない。
そして、そんなヒトミもまた、俺を求めたのだった。まるで、磁石のように、2人は引き付けられたのだった。
それから、ヒトミは俺を責めなかった。
少し時間が流れた。まるで、とても長い時間とも感じられる時間。その後、俺はこう言った。
「本当にすまないと思っている。でも、俺はヒトミのことが好きだ。だから……」
そして、俺は言葉を続けた。
「出来れば、俺のことを忘れないでいて欲しい」
ヒトミは、まだ少し泣いていた。湿った風が少し強くなって、ヒトミの長い髪をなびかせている。
そしてヒトミは、ゆっくりとうなずいたのだった。
「ありがとう」
俺はこう言った。その瞬間、俺も泣き崩れた。
満たされたのか、罪悪感が湧いたのかは分からない。さっきのヒトミのように、様々な感情が俺の中を支配していた。強い色が混ざり合った、濁った色だった。
ヒトミはそんな俺を、優しく抱きしめてくれた。まるで、俺の心の濁った色を、浄化してくれるかのように、抱きしめてくれた。
「絶対に、忘れないから……」
彼女はそう呟いて、俺を静かに抱きしめた。
余命1週間、まるで蝉の命のように短い日々を過ごした。けれども、その日々は、今まで感じたことのないくらい、充実した日々だった。自分が生きた証を残そうと必死だった。もちろん、恋愛にも。
この1週間は、まるで、短距離走のような日々だった。全力で駆け抜けた。こんなに充実した日々を、29年間過ごしていたならば、もっと違った毎日だったのかもしれない。
そんなことを思いながら、俺はヒトミに抱かれていた。
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