内緒の友達ができた日のこと
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記事:バタバタ子(リーディング・ライティング講座)
その友達のことは、絶対に内緒だった。
親にも。同じクラスの子にも。
もしもバレたら、ひどく叱られるだろう。鬼のような形相をした母が、その友達を追い出してしまうだろう。
だから、絶対に、誰にも、気づかれてはいけないのだ。
そのころの私は、小学校に上がりたてだった。
保育園までは、24時間、大人の監視下だったが、小学校に上がると突然、「自由」な時間ができた。
学童保育が終わる5時ごろから、母が帰る7時ごろまでの約2時間。
その時間は、いつもは禁止されている「いけないこと」でも、こっそり実行できた。
例えば、勝手にテレビをつけて、30分たっても切らなかった。
父の部屋に、こっそり入った。
台所のハチミツの瓶にスプーンを突っ込んで、つまみ食いした。
そういった「いけないこと」をこっそり実行するのは、スリリングで楽しかった。
自由時間のスリルを味わう反面、ふとした瞬間に、家じゅうの静寂に気づくことがあった。
家の中を覆う「シーン」とした重苦しい雰囲気。
どんなにテレビの音量を上げても、大声で歌っても、振り払えない薄ら寒さ。
そんなときは、クッションをぎゅっと抱えながら、同じクラスの仲良しの子を、心底うらやましく思った。
「昨日帰ったら、お母さんがホットケーキを焼いてくれたんだ」
朝の教室で、昼の校庭で、女の子たちは集まっておしゃべりをした。
好きなテレビの話。飼っているペットの話。昨日の放課後はどんな風に過ごしたか。
家に帰ってチャイムを押すと、お母さんが鍵を開け、おやつを出してくれる。
彼女たちにとっては、とりとめもない、ごく普通の日常。
でも、自分で鍵をあけて、母の帰りを待つ私は、まるでシンデレラの気分でその話を聞いていた。
まだ「灰かぶり」と呼ばれていたシンデレラが舞踏会を想うように、憧れるけれど、自分には到底起こりうるはずのない話。
首から下げられた赤いゴム紐、そこに通された家の鍵を恨めしく弄りながら、「へー」と間の抜けた相槌ばかり打っていた。
その友達に出会ったのは、小学校の図書室だった。
週に1回の図書の授業で、クラス全員で図書室に来て、借りる本を選んでいたときだった。
彼女はいつもニコニコして、面白い話をたくさんしてくれた。
ずいぶん年上で、どう見たって大人だけれど、こっち側の人間だった。
こどもの世界の人間だった。
彼女は全国の「鍵っ子」のもとを訪れては、ごはんを作ったり、一緒に遊んだりしているとのことだった。
ハイカラな料理が得意なようで、聞いたことのないメニュー名がポンポン出てきた。
料理の見た目も味も、具体的なイメージは難しかったが、とにかく美味しいのだということは分かった。
料理をする過程も楽しみ、食事が終わったら、一緒に遊んでもくれる。
私は母の姿、慌ただしく料理や皿洗いや洗濯などをする姿しか知らなかったから、料理をする大人が、食後に一緒に遊んでくれるなんて、本当に意外だった。
「でも、そんなことして、大丈夫?」
彼女は、子どもだけの家に上がりこみ、冷蔵庫をかき回し、勝手に台所を使って、料理をすると語った。
母の言いつけが頭をよぎる。
知らない人を家に上げてはいけない。
勝手に冷蔵庫の中身に手を付けてはいけない。
包丁やガスコンロを使うなんて、もっての外。
彼女のやっていることは、明らかに「いけないこと」だった。
そして「いけないこと」をこっそり実行するのは、スリリングで楽しいということを、私は知っていた。
彼女はまた、私に「鍵っ子」というステータスをくれた。
それまでは、主婦の母親がいる友達とは異なる自分は、ごく少数のハズレくじのように思っていた。
でも「わたし、『鍵っ子』だから」と言えるようになると、なんだか特別な身分のように感じた。
首から下がった家の鍵が、メダルのように誇らしくなった。
「ねえ、私の家には、いつ来てくれる?」
私も立派な「鍵っ子」なのだから、彼女が来てくれる要件は満たしている。
しかし「鍵っ子」は、私のほかにも大勢いる。
その中には、鍵をなくしたり、お腹を空かせて困っている子だっている。
彼らのほうが優先されるのは当然だと、私も納得していた。
だって私は、鍵を一度もなくさなかった。
小学校に上がるときに、母が赤いゴム紐に鍵を通して、首から下げるようにしてくれたので、途中で落とすことがなかったのだ。
家で親を待つ間に、お腹を空かせて困ることもなかった。学童保育で、しっかりおやつを食べていたから。
私は困っていないから、彼女が私の家に来てくれるのは、もっと後の順番になるはずだと納得していた。
彼女がどんな順番で「鍵っ子」たちの家を回っているのかは、全くわからなかった。
どんなケースでも、彼女は前触れなしにやってくる。
だから、今日帰ったら、もう家にいるかもしれない。
そう思うと、淡い期待と興奮で、駆け出さずにいられなかった。
家のドアに鍵を差し込む前には、のぞき穴を確認するようになった。彼女が来ていたら、明かりが見えるはずだから。
明かりが見えないときも、もしかしたら暗いのは廊下だけで、奥の部屋には明かりがつき、彼女が料理を開始しているかもしれない。
そんな風に思うと、自然と大きな声が出た。
「ただいま!」
「ふしぎなかぎばあさん」 手島悠介
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