愛されパン屋
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:秋田あおい(ライティング・ゼミ書塾)
手に取ると、ずっしりとした存在感。
口に放ると、もっちりとした存在感。
イメージを覆される衝撃だった。
しかし、噛みしめるとやさしい。
どこまでもやさしい甘味があるのだ。
華美でなく、むしろ、おとなしめのルックス。
だけど、手にした瞬間、圧倒される予感がした。
知人が買ってきてくれた天然酵母のパンである。
手のひらに乗るくらいの小さいパンでありながら、
ずしっと重たい。
こんなにどっしりしたパンは初めてだ。
「ふわふわ」という、一般的なパンのイメージとはかけ離れていて、
とても好奇心をくすぐられた。
しかし、
どっしりと重たいそれは、果たして美味しいのか?
果たして「パン」といえるものなのだろうか?
そんな疑問も湧いてきて、一層、興味が深まった。
手のひらサイズの茶色い楕円形の物体を
1センチくらいの厚さにスライスする。
ふわふわしておらず、目が詰まっているので、
気持ちが良いくらいきれいにスライスできる。
切り口を自分に向けて断面と対面。
外側からは伺えない意外な様相を呈していた。
クルミや干しブドウで賑やかなのだ。
うわ、こんなにたくさんクルミと干しブドウが入ってる!
満面の笑みとともに声も漏れた。
香りを確認し、小さくひと口かじってみる。
歯から伝わってくる、もちっとした弾力。
干しブドウの甘味とほんの少しの酸味を感じながらの
クルミの歯触りが楽しい。
ふんわり軽くてぺろり、とは違って、
その天然酵母のパンは、
口の中でしっかりとその存在を私に訴えかけてきた。
私はそれをしっかりと受け止めると、
すっかり惚れ込んでしまった。
すぐにでもこのパンを売っているお店に
行ってみたい衝動に駆られた。
大きく宣伝することのない小さなパン屋さん。
オープンしているのが週に二日だけ。
もっと言うと、開店と同時にお客さんが殺到し、
あっという間に売り切れてしまうという、
知る人ぞ知る人気のパン屋さんである。
いよいよ待ちに待った、お店訪問の決行の日。
準備は万端。
車を停める場所も確認してある。
早めに出かけて、お店のすぐ近くでお茶でもして
時間を潰す作戦を立てた。
なにしろ、あっという間に売り切れてしまうらしいのだ。
出遅れるわけにはいかない。
開店45分前。
さすがに早いでしょ、という時間に、
私は目的のパン屋さんに向かう。
お店はその存在をひそめるかのように、
通り沿いではあるが、奥まったところにあった。
看板らしい看板はない。
建物の奥をのぞき込むと、そこに入口が見える。
ぱ
ん
という、とびら一面いっぱいの大きな文字に
揺るがない存在感というか自信のようなものを感じる。
期待が膨らむ。
とびらの手前には手書きのボードがあった。
そこには駐車スペースの場所の案内と、
入店の際には手指の消毒を……と書いてあった。
そのすぐ横には消毒液のポンプ。
手書きボードの文字はこぢんまりと可愛らしく、
しかし力強く丁寧に書かれていて、
どんな人がこのお店をやっているんだろうと、
ますます期待は膨らみ、はち切れんばかりだった。
私は一番乗りでお店のとびらの前に並んでいた。
すぐに次のお客さんが現れ、私の後ろに並んだ。
気づけば、開店まで30分くらいはあろうかという時点で、
10人ほどの人が行儀よく列をなしていた。
正午ちょうど。
すりガラスのとびらの向こうに人影が見えると
私の胸に高鳴りは最高潮に達した。
目の前のとびらが開くと、小柄な女性が立っていた。
「あ、どうぞ」
人見知りのような、おとなしい感じの店主の控えめな声に促され、
私はパンの焼ける匂いに誘われるように
すーっとお店の中に吸い込まれた。
初めて見る店内をさっと見回し、
まずは見覚えのある小さな丸っこいパンが並ぶ
手前のテーブルに向かった。
表面がつるんとなめらかな黒っぽいのをひとつ、
それから、
表面の切れ目からクランベリーの赤がのぞく細長いのをひとつ。
私は手に持った小さなカゴにそれらを取り、満足げに顔を上げた。
すると、次の瞬間、思いがけない光景が目に飛び込んだ。
お店の一角が戦場と化していたのだ。
いや、ただ人が集中しているだけなのだが、
あきらかに穏やかでない空気がそこにはあった。
何が起こっていたのか、瞬時にはわからなかった。
その一角には食パンの陳列棚があった。
お店のとびらが開くと、
常連さんなのか、たくさんのお客さんが
一目散にその食パンをめがけて突進したのだった。
しばらくしてから理解出来たのだが、
食パンがその店の看板というべき人気商品だったのだ。
食パンは、文字通り一瞬で消えた。
あっけにとられた。
やり場のない敗北感すらあった。
でも、また次回に、と気を取り直し、
私はすぐに自分の買い物に戻った。
パンが並べられたトレイには、それぞれ、
原材料とそのパンの簡単な説明が書かれた札が付けられていた。
例えば国産やオーガニックの材料を使うなどの原材料へのこだわり、
また、異なる酵母を合わせるといった
パン作り特有のこだわりがしっかりと伝わってきた。
パンのほかにも、四角い小さなクッキーや
ザクザクの食感が見てわかるような大きなクッキー、
モコモコっと元気に膨らんだスコーンなどがあった。
私はどれにもそそられてしまい、
パンもお菓子も、食べ切れないほどカゴに入れた。
ひとまず、ほっと満足した。
あの至福のもっちりパンをたくさん確保したのだ。
あとはお会計を済ませるだけ。
会計時、レジでは、
人見知りのような小柄な女性店主が自ら、
丁寧に手際よく、パンを袋に入れてくれる。
そうする間、彼女は器用に、
対面するお客さんひとりひとりに声をかけていた。
会計待ちで並んでいる間、
店主とお客さんのやりとりを見ていたのだが、
常連さんが多い印象ではあったものの、
初めての方にも分け隔てなく丁寧な対応だった。
笑顔あり、静かな笑い声も聞こえたり、
そこの空間だけふわっと和んでいる。
そこはもはや、お金と商品のやり取りの場ではなかった。
店主とお客さんとのコミュニケーションの場であった。
そして私もその場で店主と初めて言葉を交わし、
店主の対応に心が温かくなった。
この天然酵母のパン屋さんは、
この女性店主が一人でやっているという。
彼女がオーナーであり、パン職人であり、売り子である。
ひとりですべてを、何役もこなしているのである。
そんなご苦労も感じさせないくらい、
パンのクオリティーは高い。
それに、すべてのパフォーマンスが完璧に見えた。
店の外に置いた消毒液、材料のこだわり、
お客さんとのコミュニケーション……。
完璧に見えたというよりは、私はそこに温度を感じたのだ。
その温度こそが、店主のパンへの愛であり、
お店への愛であり、買い物客への愛であると、
そんなふうに感じた。
記憶にこびりついた天然酵母のパンとの出会い。
実際にお店に足を運んでみて知った店主のあふれる愛。
常連客はパンだけでなく、店主にも惚れているのだろうと思う。
次はいつ訪問できるだろうか。
田舎の街中にひっそりとたたずむ
ワイルドオーブンという名の天然酵母のパン屋さん。
店主との会話を楽しみにしつつ、まずは食パンの棚を目指したい。
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