認知症のおじいちゃんは忘れない
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記事:しんごうゆいか(ライティング・ゼミ平日コース)
【認知症】
認知障害の一種であり、後天的な脳の器質的障害により、いったん正常に発達した知能が不可逆的に低下した状態である。
(Wikipediaより引用)
私のおじいちゃんの話をしようと思います。私のおじいちゃんは、認知症です。よくある話ですよね。発症したのは一年前。その頃私は浪人生だったので、両親がそんな私のことを考えてすぐには知らせませんでした。結局、私がおじいちゃんの認知症のことを知ったのは発症から半年後のことです。
認知症が発症する前、最後におじいちゃんに会ったのは確か、半年くらい前だったと思います。つまり、発症直前ということです。半年前のおじいちゃんは、テレビの前に寝っ転がって、おばあちゃんがご飯を作ると冗談をいいながら残さず食べて、私が遊びに行くと「おお、ゆいかさんいらっしゃい。 勉強のほうはどうだ」なんて言いながらいたずらに笑う、そんなおじいちゃんだったと記憶しています。昔、ある中学校で校長先生をやっていて、つい最近まで教育関係で働いていたということもあり、私はおじいちゃんに対して、とても頭のいい人、という印象を持っていました。
だから、全く想像がつかなかったのです。認知症になったおじいちゃんを。
数日後、おじいちゃんが入ったという老人ホームに母とお見舞いに行くことになりました。私はお見舞いに行く途中の道でも、おじいちゃんが認知症になったということがいまいちピンときませんでした。
「ゆいかがおじいちゃんに最後に会ったのって、いつだっけ? 」
「たぶん、半年くらい前かなあ」
隣で運転しながら話しかけてきた母は、あぁそっか、と呟き、
「じゃあ、ちょっとびっくりすると思うよ」と前を向いたまま言いました。
そのときの母の横顔は、少し寂しそうでした。
老人ホームにつき、半年ぶりにおじいちゃんに会ったときのことは、今でもはっきりと覚えています。テレビの前に寝っ転がって、私が遊びに来るとニヤリと笑って「いらっしゃい」という、私の知っているおじいちゃんはいませんでした。かわりに、テレビの前にお行儀よく座って、私を見ても何も言わないおじいさんがいましたから。
「お父さん、ゆいか連れてきたよ。あなたの、孫」
母が私を追い越して、おじいさんの隣に座りました。おじいさんは母を見て、それから私の顔をじっと見ていました。
「……ああ、ゆいかさんか。びっくりした」
「なんいいようと? そんなびっくりせんでもいいやん」
「はは、そうやね。いらっしゃい」
以前のようなハキハキとした話し方ではありませんでしたが、その一言を聞いたとき、ふっと体の力が抜けました。
あぁ。なんだ。この人は私の知らない人なんかじゃない。ちゃんと私のおじいちゃんだ。
ホッとしました。おじいちゃんの中でも、私はまだ孫だということがわかったからです。
それから、おじいちゃんと他愛のない話をしました。大学に合格したこと、母と買い物に行ったこと、弟に背を抜かれそうなこと……。私ばかりが話していましたが、おじいちゃんは終始笑顔でした。しかし、途中、何度かなぜ私がこの場にいるのか忘れてしまうこともあり、そのことが半年前までのおじいちゃんではないことを感じさせました。
「あらぁ、あんたたち来とったと?」
しばらくして、おばあちゃんが部屋に入ってきました。いつもと変わらずニコニコして、手にはおじいちゃんの大好物のコーヒーゼリーを持っていました。いつもと変わらないおばあちゃんでしたが、私は違和感を感じました。以前会った時よりも、明らかにやつれていましたし、一回り小さく見えたからです。これは後から聞いたことなのですが、おじいちゃんの認知症は少し例外的で、本来なら10年かけて進むところを、この半年で転げ落ちるように悪化したようです。それだけ症状の進みがはやいと、そばにいる人間の苦労は計り知れません。
「……おばあちゃん、久しぶり。元気やった?」
「そうやねえ、久しぶりやねえ。おばあちゃんは相変わらずよお。ゆいかはちょっと痩せたんやない?」
おばあちゃんはそういっていましたが、この半年間で多くのことが変わってしまったのだと、感じざるを得ませんでした。
「じゃあ、私たちもうそろそろ帰るね」
「あら、なら私もあんたたちと帰ろうかね」
母の言葉に、おばあちゃんも立ち上がりました。
「じゃあね、おじいちゃん。 またくるね」
「おう。 また来なさい」
おじいちゃんは優しくそう言って、玄関までお見送りにきてくれました。
私は、ああ、きてよかったな、と安心していました。だから、本当にびっくりしたのです。
「あなた、また来ますね」
「はいはい、もういいから」
別れの挨拶をするおばあちゃんを、おじいちゃんが冷たいともいえるような態度であしらったことに。
先ほどのおじいちゃんのおばあちゃんに対する態度に納得のいかなかった私は、お門違いだと理解しながらも、帰りの車中でおばあちゃんを問いただしてしまいました。
「最後のおじいちゃん、なんであんなにおばあちゃんに冷たいと? おばあちゃんそれでなんとも思わんと?」
そうまくしたてる私に、おばあちゃんはふんわりと笑いました。
「そうねえ、ゆいかにはそう見えるわよねえ。あのね、おじいちゃんはね、照れ屋さんなのよ」
クスクス、と少女のように笑うおばあちゃんをみても、私はあまり納得がいきませんでした。すると、おばあちゃんはカバンの中から何かを取り出して、私に差し出しました。
「この間、おじいちゃんからもらったの」
「……手紙?」
それは、字を書くことも少し難しくなったおじいちゃんからの一枚の葉書でした。私はしばらくそれを読んでいました。読んでいるうちに、おばあちゃんがおじいちゃんを照れ屋だといった意味がよくわかりました。
『いつも本当に、有難う。有難う。これからもよろしく、よろしくお願い致します』
これはおじいちゃんの手紙の一文です。この手紙の言葉の節々に、素直に言えないおじいちゃんのおばあちゃんへの感謝と愛が滲み出ているようでした。長年連れ添った夫婦というのは、このようなものなのかもしれません。思えば半年前までのおじいちゃんも、おばあちゃんへの感謝や愛は言葉には出していませんでした。それでも、私が二人を仲のいい夫婦だと思っていたのは、ふとした時に感じ取っていたからなのかもしれません。
おじいちゃんは、認知症です。いつか私や母、おばあちゃんのことも忘れてしまうのかもしれません。それでも、おじいちゃんはきっと、そばにいる人への感謝や愛は忘れないと思います。言葉に出さなくても、おじいちゃんのそんな想いを受け取ることができるおばあちゃんがそばにいるのですから。
私はそんな素敵な二人の孫でいることを、誇りに思います。
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