言葉とは、大河である
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記事:山田拓也(ライティング・ゼミ日曜コース)
広辞苑という日本を代表する辞典が、年明けに改訂されるとの話を聞いた。10年ぶりの改訂で、もう第七版になるらしい。辞書の編纂がいかに地味で、それでいてドラマチックかというのは、三浦しおんの著作「舟を編む」で取り上げられたので、日本の本好きにはかなり認知されるようになったとは思うが、それでも一つの仕事に10年集中するというのは、改めて聞くと驚いてしまう。編集ではなく編纂、まさに編み上げるという作業だ、と思ってしまった。
その改訂に携わった人の話を、直接聞く幸運に恵まれた。さまざまな基準で一つ一つの言葉を精査して、残す、残さない、加える、加えないという作業を続けていくという。また残す言葉にしても、時代の変化に伴って使用方法が変わっていくので、その変化にも当然対応するという。今回の改訂の例では、ITに関する用語の扱いが大きく変わった、との事。
技術的な言葉はもちろん、身近な言葉の使い方も変わってきている。例えば「炎上」という言葉などは、物理的な発火現象よりも、ネット上での大騒ぎという使用法のほうが、今となっては普通の用例になった感がある、など。
そして、言葉とは変化し続けるものだと述べられていた。
「過去と現在の言葉を拾って、それらを未来に届けるために、言葉を精査している」と。
そのドラマチックな言葉を聞いて、言葉に対する居住まいを正してしまう自分がいた。
実は最近まで10年近く日本を離れていた自分は、いろいろな場面で言葉の変化を実感しており、驚き戸惑う日常を楽しんでもいる。
「大丈夫です」と聞いて、それが否定を意味するものと初めは認識できなかった。肯定を意味する言葉だったと思っていたのに。
「ほぼほぼ」と聞いた時は、どもっているのかと勘違いした。単語を重ねて強調するのは、マレー語やインドネシア語みたいなものか、と自分なりに理解してみた。
「何々からの」という表現は今でも理解できていないし、自分が耳にしていない新しい用例も、たくさんこの10年で作られてきただろうと思う。
しかし我々自身も日々の変化の中にいるので、こういった世代間の語彙や用語表現の差異はともかく、言葉そのものの変化にはなかなか気が付かない。
では、何世代にもわたる時間軸を取ってみると、どうだろう。言葉の明らかな変化は明確に実感できるはずだ。だれしも古文の時間に自分たちの先祖の言葉に取り組み、へきえきした経験があるだろうし、それは日本語以外も同様で、どんな言葉も生きている言語である限り、大きく変化をしてゆく。
古英語を読むことができる英語話者はほとんどいないし、アラブ語も正典であるコーランこそ1400年前の言葉がそのまま存在しているけど、いわゆる話し言葉は大きく変化しており、訛が存在する。言語として歴史の長い中国語も、中国語という一括りの中に、地方ごとの方言が存在し、異なる地方の話者同士では、意思疎通もままならないくらい、その変化は大きい。
言葉は常に変化し続けているが、しかし日本語、中国語といった言葉自体は連綿と語り継がれていく。それらは決してジャパン語や、共産党語といった異なる新しい言葉にはならずに、日本語や中国語として存在している。単語や文法が変化しても流れとして存在し続ける言葉は、流れ続ける水そのものは常に新しいものなのに、利根川、黄河、ナイル川といった具合に存在としては不変な大河そのものだと思う。
一つ一つの言葉は決してとどまることはない。
しかし日本語としては途切れる事なく、今この瞬間も話されているし、千年前も千年後も話されている。そしてその流れは大きな力を持つ。川の流れを利用すると水力発電ができるように、言葉が集まって一つの方向に流れると、世界を動かす力となる。言論、世論、民衆の声、といったものだ。最近ではSNSといった道具の出現と相まって、文字通り政治局面や国の運命を変えるに至っている。アラブの春を中東で経験した自分にとって、物理的な力ではなく言葉の力で世界が変わる、というのは事実として経験している。
そうした変化し続ける流れである言葉を拾い、精査し、辞典という存在に編み上げる、そんな10年にわたる仕事を聞いて、そのようなこと思ってしまった。
そして言葉という流れを渡るために、辞書という舟が必要になるのだろう。
単なるデータベースとしてしか辞書を認識していなかった自分にとっては、広辞苑という日本を代表する辞書を編纂した人の話は、非常に示唆に富み、そして言葉に対して新しい興味を持つきっかけとなった。
読書週間が始まった。
本には言葉が詰まっている。言葉という大河の、小さな支流のようなもの。この支流を渡るには、舟はいらないだろう。きっと靴を脱ぐような気軽な準備で流れに足を浸せば、その心地よさを感じられるに違いない。
さて、読書週間に何を読もう。
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