お母さんの修正テープ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:萩本孝子(ライティング・ゼミ日曜コース)
「詰め替えタイプ、詰め替えタイプ……」
100円ショップの修正テープのコーナーで、詰め替えタイプの修正テープを探していた。
スマホの写真を取り出し、品番が「17」なのを確認する。
「少なくても3年以上の前の商品だし、さすがにもうないかなぁ」
たくさんの種類のテープが並んでいるが、詰め替えテープは見当たらない。半ばあきらめかけた時、一番最後の隅っこに、隠れるように …… 見つけた。
「詰め替えタイプ 修正テープ17」
「あぁ、あったわー」
一瞬だけ時が止まって、涙が出そうになった。
「あったわ。お母さんの修正テープ」
それは3年前の1月18日。
朝、妹からLINEが入った。
「父からお母さんが今日はよく寝ていて起きてこない、と電話があったので見にいってくる」
いつもうるさい父が、その日限ってなんか母に優しくしてあげようという気になって、そっと寝かしておいたらしい。
私は滋賀に住んでいて、兵庫の実家までは車で3時間くらいかかる。ちょっと具合が悪いくらいのことだろうと思って、はなから行こうとは思わずに近くに住んでいる妹に任せた。
昼前に今度は弟から連絡が入った。
「母が意識不明、救急車を呼んだ。手術するらしい」
その時も、まだそんなに深刻には考えていなかった。
手術が終わって目を覚ましたら、「お母さん、大変やったなぁ」と言おうと思いながら、とりあえず泊まり支度をして、車で病院へ直行した。
病院に着くと、待合室には姉、妹、弟と、その家族達も集まっていた。
脳出血で、緊急手術中。助からないかもしれない。姉がそう教えてくれた。
…… あぁ、よくドラマでこういう場面あるよなぁ。
現実感のない、そんな感覚を感じながら、時間外外来の待合室で何時間かを過ごした。
聞いていた時間の倍程かかり、ようやく手術が終わると、執刀医から説明があった。出血がかなりあって頭蓋骨を外して血を除去した。今晩が峠。というようなことだった。
その日は、いつ急変するかわからないということで、不安の中、病院の狭い待合室で泊まり、夜を過ごした。
そして、峠と言われた夜をなんとか過ぎ、朝になり、母いるHCU(高度治療室)に入れることになった。
ナースステーションの後ろを通り、マスクをつけて、手を消毒して、ドアのないその部屋に行くと何人かの他の患者と共に、頭を白い包帯でぐるぐる巻きにされ、口に太い呼吸器のパイプをつけた母がいた。
私がベッドに近づいた時、確かに母は少し目をあけ、私の顔を見て、ほんの少し手を挙げた。
「たーちゃん(私の呼び名)、こんな事になってしもたわ」
そんな風に言っているようだった。母は大丈夫、きっと回復する、とその時思った。
4〜5日ほど毎日病院へ行ったが、母は眠ったまま、容態は悪くもならなかったが、よくもならなかった。一旦滋賀に帰ることにし、高速に乗り自宅に向かった。
自宅までは約3時間。
あと5分で自宅に着くという時、私の携帯に病院から電話が入った。
病院からの電話は、家が近い姉か妹にしてもらう事になっていたのだけど、たまたまその時はどちらも連絡がつかず私にかけたようだった。
「状態よくないので、ご家族の方は会いに来られた方がいいと思います」
<会いに来られた方がいい>というのは、もう危ないという意味だ。
私は家に着くなり、着替えと念のための黒い服も用意して、またトンボ帰りで病院へ向かった。
名神高速道路から、中国道、そして阪神高速7号北神戸線。
「お母さん、まだあかん! まだあかんで! まだ行かんといて!」
山の中のゆるいカーブの道を泣きながら走っていたその先には、まだ赤くなる前の夕日が眩しく輝いていた。
病院に着くと、母は個室に移されていて、きょうだいや、その家族がみんなで母を囲み、最後のお別れを言うような雰囲気になっていた。
刻々と時間が過ぎる中、妹の子ども達が、母(おばあちゃん)に「今までありがとう」と言ったり、母の好きだった歌を歌ったり、弟はコーヒー好きの母のために、コーヒーを買ってきて、香りが嗅げるように母の顔の近くに持っていったりしながら、その時が来るのを覚悟して待っていた。
あぁ、もうさよならだなぁ、と思いながら、重い夜が過ぎていった。
そしてやがて朝がきて、昼になり、また夜がきて、朝がきた。
あれ …… !?
昭和の母は強かった。
3日ほど、危険な状態が続いた後持ち直し、意識があるのかないのか、わからない状態で、もう話すこともできなかったのだけど、それでも母は強く強く生き続けた。
母が倒れて半年ほどった頃、父母が使っていた事務所を片付けることになった。
私が子どもの頃からあった、自宅近くの平屋建ての小さな事務所で、昔は事務員さんがいたけれど、父も母も年をとって、仕事も減ったので、今は二人だけで使っていた。
だけど、母が倒れてから、父もだんだん行かなくなって、もったいないので、人に貸そうという話になったのだった。
看板、地図、父の頑丈な木の机と応接セット。
古い事務机、大量の書類を入れるいくつものロッカー。簡素な台所と昭和の古いトイレ。
そしていろんな引き出しや棚に大量の文房具が収められていた。
懐かしいものも、価値のあるものもあったが、すべては持って帰れないし、きょうだいが、それぞれ欲しいものをもらって、あとは処分することにした。
私は、文房具や電化製品を少しもらったのだけど、その中に、いつ買ったのかわからない、2個入りの1個だけ残ってる詰め替え用の修正テープがあったのだった。
100円ショップの修正テープなんていつでも買えるものだけど、なんとなく母の残した続きが使いたいと思ったのと、消耗品なのでまた使うだろうと思って、もらったのだった。
だけど、修正テープをそう使う機会もない私は、とりあえず今あるのがなくなったら、本体を探してみよう、と思って、引き出しの奥に片付けた。
母はその後、意識があるのないのかわからないまま、80歳になり、81歳になり、妹曰く、数にこだわる母らしい808日目に、ふいにあちら側へ旅立った。
そして、母があちらへ行ってから半年後。
ようやく私は手持ちの修正テープが切れ、そうだそうだと思い出し、とりあえず100円ショップに探しに行ってみたのだった。
そして見つけた。
「詰め替えタイプ 修正テープ17」
買って帰って、2年前に父母の事務所から持ってかえった古い詰め替え用のテープを入れてみた。
ぴったりはまる。
修正テープで紙の上をなると、一本のまっすぐな白い線ができる。
その白い線を見ていると、3年前の母とつながった気がした。
そして、買い物好きな母が、たくさんの商品を抱えて100円ショップのレジに並んでいる姿が思い浮かぶ。
私はそれを見て
「またそんないらんもん、いっぱい買ってー」と、つい言いそうになる。
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