写真はタイムマシン
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記事:猪瀬祥希(ライティング・ゼミ平日コース)
レンタカーのカーナビにようやく慣れ始めた頃、目的地である人里離れた小さな宿に到着した。
「ここに日本人が来たのは、初めてよ。え? 月虹を見に来たって? それは無理よ。あれは、私も今まで見たことないのよ」
出迎えてくれた初老の女性は、そう言うと肩をすくめた。
生まれて初めてハワイ島に降り立ったのは、今から3年前の2014年7月。
地面から照り返される強い日差し、気温は高いが湿気のないさらっとした爽やかな空気、整然と並ぶヤシの木……。まさに、絵に描いたようなリゾート地だ。
しかし、私はその場にふさわしい気分ではなかった。
さらに、その2年前の2012年。
長年勤めた会社を辞めて、起業した年だ。
起業に向けて一生懸命準備を進めてきたから、きっと大丈夫。
そう信じて、何の疑いもなかった。
実際に会社を辞めた私を待ち受けていたのは、思い描いた世界とはまるで違う厳しい現実だった。
口約束は発注されることはなく、見積もりを提出すれば値切られ、仕事をすればトラブルに見舞われる。
何もかもうまくいかず、イライラを抑えられず、焦る気持ちを隠さずに行動すれば、ますますうまくいかなくなる悪循環。
徐々に仕事が減り、やがて営業活動するための資金も底を尽きはじめた。
何をどうすればいいかわからないまま、あっという間に起業から1年半が経過した。
この頃には、起業を後悔する時間が増え、前向きな気持ちは減り、夜も眠れず、人と会うことが億劫になり、外出することもなくなった。
おそらく、うつ病に近い状態だったのだと思う。
だが、病気と診断されるとますます動けなくなってしまうような気がして、病院に行くこともできなかった。
追い打ちをかけるように、プライベートの大切な味方が私から離れていったのもこの頃である。
社会から取り残され、誰からも必要とされていない感覚。
生きていることの意味が、まったく感じられない毎日。
もう、無理かもしれない……。
本気でそう思い始めた、ある日のこと。
次回の満月は月と地球の距離が近いために普段より大きく明るく見える、というニュースを見かけた。
いわゆる、スーパームーンと呼ばれる天体現象である。
ふと、月虹のことを思い出した。
月虹とは、月明かりで夜空に出現する幻想的な虹のこと。
その存在を知ったのはずいぶん昔のことだが、どこでどう知ったのかは覚えていなかった。
改めて調べてみたところ、出現するには最低でも次の3つの条件が重なる必要があることを知った。
周りに人工的な明かりがないこと、満月が地平線に近い位置にあること、そして空は雨上がりで晴れていること。
このうちの暗い場所と満月の2点は事前に調べることができるが、雨と雲は予報通りになるかどうかはわからない。
つまり、どこで出現するかを予測することはできでも、的中させることは不可能なのだ。
死ぬ前に、一度月虹をこの目で見たいと思った。
それは、興味本位というよりは、グダグダとした毎日を断ち切るための言い訳だったのかもしれない。
あるいは、自分が強運の持ち主であることを確認したかっただけなのかもしれない。
いずれにしろ、飛行機のチケットと宿を手配するのに、そう多くの時間を必要としなかった。
ハワイ島滞在3日目。
その日の朝4時過ぎに、スーパームーンが西の地平線に沈む。
そのときが、最初で最後のチャンスだ。
前日から、土砂振りの雨が続いていた。
雨が窓に激しくぶつかる音で目が覚めたのが、夜中の3時。
事前に下見していた観測場所は、宿から車で30分。
南国特有の激しい豪雨の中、真っ暗闇の中を移動するのはさすがに危険だと判断した。
が、待てよ。
自分に何か変化を起こしたくて、何かを決断したくて、ここまで来たのではなかったか。
自分で自分を放棄してしまうような奴は、神様も見放すのではないか。
そもそも、もうどうなってもいいと思っているのだから、豪雨の中の暗闇ドライブに何の問題があるのか。
いくつかの想いが交錯する中、レインコートを羽織って観測場所に向かった。
観測場所に着いて車を停めると、先ほどまで降っていた雨が嘘のように止んだ。
しかし、空はまだ分厚い雨雲に覆われている。
西の空の一部がほんのり明るく見えるのは、雲の向こう側にいるスーパームーンのせいだろう。
しかし、厚い雲に邪魔されて、本来の月明かりはまったく届かない。
あとちょっと、というところでうまくいかない。
自分の人生って、この程度なのだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら空を眺めていると、雲が徐々に消えはじめ、その切れ間からスーパームーンが顔をのぞかせた。
月が地平線に沈むまでは、まだ少し時間がある。
雨は完全に止み、夕立が終わった後のように湿気を含んだ空気が充満している。
やがて雲も完全に消え、まぶしい月明かりが夜空を照らす。
その明るさに負けじと、満天の星も見え始めた頃。
西の空に沈む直前のスーパームーンから、光の輪が放たれた。
その光の輪は、月の移動速度と同じ速度でゆっくりと西の空から東の空に向かう。
光の輪はその途中で私の頭の上を通り過ぎ、やがて東の空を巨大なスクリーンに変えて、その姿を映し出した。
月虹、である。
この幻想的な姿を写真に収めて日本に戻ってくると、あれほどつらかった気持ちはどこかへ消えていた。
あれから、3年。
仕事がうまくいかないことはこれまでもあったし、この先もあるだろう。
でも、何があっても大丈夫。
机の上の月虹の写真を通じて、当時の私が今の自分にそう語りかけている。
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