おとんメールと何千万回の応援歌
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記事:木佐美乃里(ライティングゼミ平日コース)
「がんばったことが、実りますように、って意味を込めてつけたんだよ」
父は、わたしに詰め寄られ、玄関先で、靴を脱ぐ間もなく立ちっぱなしで、それでも満足げにうなずきながら言った。
小学校2年生のとき、自分の名前の由来を調べてきましょう、という宿題が出た。母に「お父さんに聞いてみなさい」と言われて、遅くに仕事から帰ってくる父を待ち構えて尋ねた。
どんな答えを期待していたのだろう、父に「いい名前だろう」と言われたが、わたしは何だかがっかりした気分になって、ただ「ふうん」と答えた。もっとかわいくて、きれいで、明るい感じがよかったのだ、きっと。幼いわたしには、自分の名前が、あんまり素敵に響かなかった。
「はじめに、がんばらなくちゃいけないってことか。うちの父さんと母さんは、簡単に幸せをくれる気はないらしい。それはなかなか厳しいな」
週明けの教室で、それぞれの名前の由来の発表を聞きながら、あのとき自分ががっかりした理由について考えていた。仲のよかった恵美ちゃんや、有希子ちゃんの名前がうらやましかった。なんだか、ただそこにいるだけで、幸せが降ってきそうな気がした。素直に幸せを願われているように思えたのだ。
中学生くらいの頃には、うまくいかないことがあると、名前にも八つ当たりした。
「なにが、がんばったことが実りますように、だ。がんばっても全然だめ。がんばればいいってもんじゃないんだよ」
名前を呼ばれるたびに「がんばれ、がんばれ。まだがんばりが足りない」と言われているような気がして、ふてくされた。
それが変わったのは、就職して、両親と離れて住むようになってからだ。父からメールが来るようになったのだ。父は、典型的な理系の仕事人間で、話すのも文章を書くのも苦手だ。何か話し合おうと思っても、少し話が深刻になったり、こちらが感情的になったりすると、「それは、なかなか難しいね」と苦笑いして、逃げるように、たばこを吸いに出て行ってしまう。そんな父は、定年が近づいてきて、一線から離れ、手持ちぶさたになったらしい。誰に教わったのか、携帯電話でメールを送るのを覚えた。それでもだいたいは、「はい、了解しました」と、返事を送ってくるだけだが、誕生日には、毎年少しだけ長いメールが来る。文面はいつも同じだ。
「みのりさん、誕生日おめでとう。体に気をつけて、これからも、がんばってください」
社会人になって何度目の誕生日だっただろうか。その頃は、仕事でもプライベートでもうまくいかないことが続いていた。もう、がんばるの、疲れちゃったなあ。仕事もやめて、いちど実家に帰ろうかな、と気持ちが弱っていた。そんなとき、父からのメールが届いた。それまでなら、「父さん、またいつもと同じメールだな」と思ってただ読み流していただろう。その頃のわたしは、「がんばれ」なんて、言われるのも、自分に言い聞かせるのも、飽きあきしていたはずだった。それなのに、なぜかそのときは、「父さん、またいつもと同じだよ」と思うと、ふつふつと笑いがこみ上げてきた。がんばれ、がんばれ、って、いつもそればっかり。他に言うこと、ないのかね。わたしが、どこで誰と笑っていても、怒っていても、泣いていても、いつも父さんは同じなんだな。不器用に、父さんのやり方で、いつでもわたしを励まそうとしてくれているんだな。悩んでいたことが、ほんの少し、軽くなった気がした。わきあがってくる笑いがおさまってきた頃には、「仕方ない。まだもう少しここで、がんばるか」と思えていた。そして、今もわたしは、そのときと同じ場所で暮らしている。がんばってきたことが、少しは実っているだろうか。この名前を誇れるようなわたしでいることができているだろうか。
もしかしたら、わたしが名前を呼ばれるたびに、どこかに名前を書くたびに、「がんばれ、がんばれ、みのり」と、どこにいても聞こえるように、父はこの名前をつけたのかもしれない。何度聞いても聞き飽きることのない、まるで応援歌のように。
いまではわたしは、自分の名前が好きだ。いつかわたしも誰かの親になったら、何度でも励まし続けることができるような名前をつけることができるだろうか。その子が気に入ってくれる名前なら、なおさらいい。
今年の誕生日にも、また父からメールが来た。もちろん内容は1年前と同じだ。
父さん、わたしはわたしのやり方で、今日もがんばっていますよ。父さんも身体に気をつけて、がんばってください。お正月には、きっと帰ります。
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