鏡の記憶
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:安堂ひとみ(ライティングゼミ平日コース)
「え~もうかえっちゃうのぉ、ヤダヤダァ~!」
まるで駄々をこねる少女のように、ヤダヤダを繰り返しているのは90歳ぐらいの女性。
親しみをこめて、彼女を「おばあちゃん」と呼ばせていただくが、私と血縁関係はない。
おばあちゃんは、介護サービスのついた高齢者向け住宅の一員だ。
昭和の激動を駆け抜けてきた、私たちの大先輩が住んでいる場所。
あたたかみのある配色でしつらえた個室に、手作りの食事。
家族のように接するスタッフたち。
終の棲家(ついのすみか)としては、あまりにも恵まれている環境に思える。
この住宅には、男女織り交ぜ、およそ80歳から、上は100歳近い方までがいるという。
0歳から20歳ときくと、年齢層が幅広いと感じるが、80歳から100歳だと、失礼ながらさして違いはないように思う。
しかし、100歳のおばあちゃんからしたら、80歳のおばあちゃんは、まだまだ、ひよっこらしい。
「あんたは80かい。まだまだ若いねぇ」
「いやいやもうじき死ぬよ、もう歩けねーんだから。あんたより先にいくかもしんないよ」
などと、ブラックジョークか? と思うような会話が飛び交っている。
かと思えば、まったくしゃべらず、表情さえもないおじいちゃん、おばあちゃんがいる。
認知症だ。
かつては、痴呆症(ちほうしょう)と言われていたこの認知症は、なんらかの原因により脳細胞の働きが低下し、生活に支障がでている状態のこと。
つまり、病気ではなく、単なる症状ということらしい。
具体的には、物忘れがひどくなり、過去のことはなにもかも忘れ、自分がなにものであるかすら、認識できなくなるという。
そして、いつしか感情も失っていき、表情がなくなる。過去の自分をどこかに置き去りにするようなものだろうか。
想像すると、少し、いや、かなり恐ろしい。
いま自分がこうして生きていること、記憶の中にとどまっている出来事も、愛する家族のことも、なにもかも忘れる日がくるかもしれないのだ。
見てみぬフリのできない現実が、いまここに存在する。
私は、表情のないおじいちゃんやおばあちゃんたちと、目を合わせることが怖くて、気づかれないように、そっとうつむいてしまった。
しかし私には、前方の指揮者をみすえなければならない事情がある。
そう、私は、私たちは、慰問に訪れたコーラスグループ。
高齢者住宅にお住まいのみなさんに、歌をお聞かせし、つかのまの余暇を楽しんでいただくために、ここに来たのだ。
指揮者の向こう側には、私たちをじっと見つめるおばあちゃんたち。
笑顔で歌わなければ。
そう強く思えば思うほどに、顔がこわばっていくのを感じる。
感情を歌声にのせることもそこそこに、ただ、喉の奥から声を絞り出しているだけの自分がいた。
なんとか前半の6曲を歌い終えると、拍手でたたえてくれる、おばあちゃんたちの姿が見える。
会場をよく見回すと、認知症と思われるおじいちゃんやおばあちゃんも、拍手をしてくれていた。
え? もしかして、歌がわかっているの? 聞こえているの?
認知症だから、なにもわかっていないんじゃないか、そう安直に思い込んだ自分が恥ずかしい。
表情がないと思っていたおばあちゃんも、よく見ればこころなしか微笑んでいるようにも見える。
そんな私の心中を察したのか、休憩スペースにいったん引っ込んだ私に、職員の方が声をかけてくれた。
「みなさんは、ほとんど昔のことは覚えていないんだけど、若いころに聞いていた歌には、なぜか反応するんですよ」
「きっと、歌は覚えていなくても、その歌を聞いていたころの感情は、なんとなく残っているんでしょうね」
「こうして慰問で歌いにきてくださることは、本当にありがたいことなんですよ」
なるほど。私たちコーラスグループの歌う歌は、フォークソングを中心とした、昭和初期の歌謡曲。
昭和45年生まれの私でも知らない曲ばかりなのだが、おばあちゃんたちはよく知っているのだろう。
ステージ前方に座っている方は、手拍子をしながら一緒に口ずさんでいるようだった。
よし、後半の6曲は、もっとみなさんの顔を見て歌おう。
そう心に決めてステージに立つと、不思議なことに、さっきまで見ていた光景とは、まるで違うではないか。
無表情で歌を聞いていたと思っていた、認知症らしき人は、もうどこにもいない。
みんな、やわらかい表情になっている。
つられて私も笑顔になる。
なんだ、前半のステージで無表情だったのは、私のほうだったのか、と気づく。
表情や感情は、目の前にいる人に伝染するときいたことがある。
自分が笑えば相手も笑顔になるし、怒りをあらわにすれば、相手も怒りだす。
すべては、鏡なのだ、と。
全12曲に、アンコールの1曲を加え、1時間弱のステージは終了。
ピアノに合わせて、最後に深々とおじぎをしていると、おばあちゃんが、涙声で駄々をこねだした。
「え~もうかえっちゃうのぉ、ヤダヤダァ~!」
うん。私も帰りたくない。だからまた呼んでね、おばあちゃん。
今日よりも、うんとうまくなって帰ってくるから、その日まで元気でね。
そう伝えると、おばあちゃんは
「ダメだよ、明日死ぬから! ワハハハ!」
と、入れ歯を見せながら、豪快に笑ってくれた。
元気をあげにきたつもりが、逆に元気をもらったよ、おばあちゃん。ありがとう。
そう言って、おばあちゃんの手を握ってから、高齢者住宅をあとにした。
なぜだか、とてもすがすがしい気持ち。
自分が認知症になるかもしれないという恐怖感は、もうどこにもなかった。
あのおばあちゃんも、明日になったら私のことは、もう忘れているかもしれない。
それでも私は歌いつづける。
彼女たちの記憶に刻まれた笑顔を、引き出す鏡となるために。
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