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プロフェッショナル・ゼミ

燃える女は、飛ぶのを恐れない《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

 
記事:西部直樹(プロフェッショナル・ゼミ)
 
 
○この記事はフィクションです
 
 
消毒液の匂いがした。
今は目を開けてはいけない、声も出してはいけない、と、美紗は咄嗟に思った。
気がついたことを知られてはいけない。
仰向けに寝かされている。
薄い布の服を着せられている。その下にはなにも付けていない、たぶん……
何人かの人が美紗のまわりで動いている気配がした。
右腕と、左腕が同時に何かでベッドらしきところに固定された。
両足もだ。
額が何かで締め付けられた。
首も。
聞き慣れない外国語だ。
男性と女性と、何人かいるようだ。
なんでこんなことになってしまったのだろう。
仕事先の書店では、美紗の大好きな作家を招いたサイン会が開かれているはずだ。
それとも、もう終わってしまったのだろうか。
盛岡のいうことなど信用するべきではなかった、ちょっとイケメンだからって。
少し心の中で溜息をついて、これからどうなるのか、いや、どうするのかを考えることにした。
 
 
 
はじまりは真夜中の公園だった。
いつものように、美紗が公園の砂場で砂鉄を集めていたときのことだ。
美紗は、視線を感じたのだ。夜更けの公園、誰もいないはずなのに、公園を取り巻く木々の間、夜の暗闇より濃い影があった。
美紗は、砂鉄をかき集めると、急いで帰った。夜に出会うものは、恐い。0.1トンの男を持ち上げられても、3階のビルを軽々と飛び越えられても、恐いものは恐いのだ。文字通り飛ぶように帰った。一歩目で近くの電信柱のてっぺんまで飛び上がり、電信柱を次々に飛び移りながら帰ったのだ。
 
 
翌日は、皮膚科の定期検診だった。70億人に一人の稀な症例は医者として研究したくなるのだろう。検診費は無料、最近では逆にいささか過分な交通費も出るようになった。
検診といっても、美紗は鉄が欲しくなる程度で、不調なところはない。不便なことはある、化粧ができない。鉄皮にあう化粧水も、ファンデーションも、チークもあれもこれもあるわけがないのだから。美容院もダメだ。逆立つと針金状になる髪の毛を切るはさみはない。一度切りかけて、高価なプロ用のハサミをダメにしかけた。それ以来、断られている。体型は変わらないのに、体重が徐々に増えていくのは、困ったことだ。けれど、高校の体育で走り高跳びの記録1メートルだった。それが今は10メートルを軽々と超えるほどに飛び上がれるのだから、重たくなっても支障はないようだ。
 
 
この日は、いつもの皮膚科の斉藤医師以外に見知らぬ男性が二人いた。一人はスーツを着た背の高い男だ。もう一人はラフなジャケットを着た小太りの男である。
斉藤医師が二人を紹介する。
「この方は、警視庁の盛岡さんです」
「警察庁、けいさつちょうです。盛岡です、よろしく」
訂正を繰り返した盛岡は、美紗に頭を下げた。なぜ、警察が……、という疑問は口にしなかった。
「もう一人は、え~と、防衛医大の本城さん」
「正確には、防衛医科大学校です。急に済みません」
頭を下げながら、本城は持っていた鞄から注射器などを取り出す。
「防衛医大、防衛医科大学校の方で、生方さんを、その調べたい、いや、まあ、その私の恩師からのお願いなので……」斎藤医師は話しを濁す。
美紗としては、もしもっと自分のことが分かるなら、鉄皮に合う化粧水が見つかったりするなら、悪くないか、と思う。本城が促すままに腕を出す。
「血液のサンプルを」といって本城が美紗の右腕にゴムベルトを巻き付け、腕を見る。
「静脈は見えますが、浮き出ては来ませんね」本城の声は落ち着いている。
「静脈に刺します」と注射針を当てるが、針は美紗の皮膚上を滑るだけで、刺さらない。垂直に近くに針を立てるが、針は曲がってしまった。
盛岡は「ちょっといいですか」といって、美紗の腕を触る。
「思ったより柔らかい。でも針は入りませんか」
「まったく、曲がってしまいました。申し訳ないですが、少し組織をもらいます」小太りの本城は、メスを取り出すと美紗の腕に当てた。最初はカミソリでそぐようにする。傷すら付かないことを確認すると、切り裂くように刃を立てて引く。美紗の腕には傷も、メスの刃の痕すら残らなかった。
「まいったなあ」と小太りの本城は楽しそうにいう。
「本当に鉄なんだ」盛岡はうなずき、携帯を取り出すと診察室の外に行ってしまった。
「なにをするにも、生方さんの今の状態が分からないと、どうしようもありません。これでは、困ったな」困ったといいながら、本城はちょっと嬉しそうだ。
「爪なら、ヤスリ、鉄用のヤスリで削れます。ニッパーなら切れますよ。あと、身体の中は鉄じゃないので、口の中とか……」美紗が申し訳なさそうに申し出る。
本城が鞄から、ヤスリとニッパーを取り出した。なんだ知っていたんじゃない、と美紗は少し本城を睨む。爪を削り、少々切り取り、頬の内側を綿棒でこすられた。
 
電話から戻ってきた盛岡は、美紗の正面に腰掛けて切り出した。
「できれば近いうちに、所沢か市ヶ谷に入院していただきたい。生方さんの症例が大変珍しいので、安全を図るためにも。どうでしょうか」
なぜ、警察が入院を勧めるのだろう。美紗の顔を見て本城が続けた。
「所沢には防衛医大の病院があります。市ヶ谷は本省です」
答えになっていない。なぜ、私が入院しなくてはいけないのか。安全を図るというのは、どういうことなのか。
盛岡が小さな溜息をついた。
「まあ、混乱されるのも仕方ないですが、あの、キャプテンアメリカという映画はご存じですか」盛岡がネクタイを少し緩めながら聞いてきた。
「あの、コミックを原作とした映画ですか? 知ってますけど、それと私が……。そういうことですか」
「そういうことです」本城が嬉しそうにうなずく。盛岡も端正な口もとを緩める。
斎藤医師は分からないという顔をしている。
「実験でスーパー兵士ができるというものでしたね。丈夫な身体と素晴らしい身体能力を持っていたら、凄い兵士、スーパー兵士になれますからね。でも自衛隊に入る気はありません。本屋が好きなんです」美紗の口調は憤然としていた。
「そうなんですか」本城は少しうなだれる。
「そうなんですが、そうではないのです。生方さんが自衛官になるというより、生方さんのような人がたくさん生まれたら、ということなんです。生方さんの病気がどういうものか知りたいのは、この斎藤さんや本城さんだけじゃないのです」盛岡の端正な口もとは一度ほころび、そして引き締まった。
「でも、仕事があるし……、それにそんな映画みたいなこと」美紗は困惑していた。
「今すぐということではないですが、早急に。最初に気をつけなくてはならないのは、ここのカルテや本城さんが持った生体サンプルですけどね」盛岡の口調は穏やかだ。
斎藤医師が慌てだした。
「カルテなど、私に渡して下さい。一般のところよりは安全でしょうから。電子化されているものは消去して下さいね」本城はなにか楽しそうだ。
盛岡に促され、美紗は病院をあとにした。黒い大きな車の後部座席に盛岡と本城に挟まれて座る。一度家に帰り、明日仕事場には休む旨を伝えに行くことになった。
「送り迎えなどは、警護のものがつきます」盛岡は落ち着いた声で話しかける。
「私は明日以降、市ヶ谷でお待ちしていますね」本城は笑みを浮かべている。
本城を市ヶ谷の本省で降ろし、美紗の家に向かう。その間、盛岡は黙っていた。美紗も話すことはなかった。明日どのように店長にいえばいいのかを考えていた。
 
翌朝、出勤の時間になるとドアがノックされた。ドアスコープの向こうに端正な盛岡の顔があった。
「電車ではなく、車でいきましょう。用意はできていますか?」
美紗は、入院用の用具を詰めたキャリーバッグを持って出た。
盛岡ともう一人女性がいた。
「彼女は青木さんだ。あなたの警備に当たる」
美紗は深く頭を下げた。たかが書店員に二人も警官が付くなんて、申し訳ないと小さな声で言う。
「仕事ですから。いきましょう」口もとだけの笑顔で、青木は動くことを促す。
美紗はキャリーバックを転がしながら前を往く盛岡のあとをついていく。青木は美紗のうしろだ。
エレベーターの中で盛岡は少し口もとを緩ませて話しかけてきた。
「キャリーバックくらい持ってくれてもいいかな、と思ったかもしれません。警備するときには対象の荷物は持たないんですよ。動きが悪くなるから。それに、そのくらいのものなら、あなたなら小指でも持てるんじゃないですか」
美紗は思っていたことを指摘されて、面白くなかった。そして、キャリーバッグを右手の小指一本で持ち上げて見せた。自分でも驚いた。着替えや退屈になったときの本やパソコンや何やかやで、けっこう重いはずなのに。驚いた青木がキャリーバッグを両手で持ってみて、さらに驚いていた。
「青木さんには、あなたのことはあまり話していないんですよ。キャプテン・ジャパン」盛岡の口もとが緩んでいる。美紗は青木に振り向きながら病気のことを話した。
 
マンションの前の車道では車が待っている。
車に乗り込もうと歩道まで出たところで、待っていた車が後ろから来たトラックに追突された。弾き飛ばされる車。かわりに目の前をトラックが塞ぐ。盛岡は美紗に身体を寄せてくる。青木もすぐに美紗の前に出た。右手には特殊警棒が握られている。歩道に立っていたのは一瞬だった。歩道の左右からスピードを出した自転車が盛岡と青木にぶつかった。自転車と共に倒れる二人。美紗は目を見開いていた。何が起こったのか。倒れた二人に駆け寄ろうとしたとき、うしろから伸びてきた手で鼻と口に柔らかいものが押し当てられた。ハッと息を吸った途端、美紗の目の前は暗くなった。
 
 
そうだ、この後は市谷に行くのだから、どちらにせよサイン会には行けないのだ。
美紗は落胆のあまり大きく息を吐いてしまった。
気落ちするべきなのは、サイン会のことではなく、この拘束されている状況なのだけれど。
外国語を話す人たちが、美紗の近くに寄ってくるのが感じられた。
美紗の腕に何かが当たった。多分注射針だろう。何度か当たった。悪態をつく人がいた。言葉はわからなくても、悪態はわかるものだ。針がダメなら、次はメスだろう。それが終われば、気がつかれるかもしれない。表皮以外のところは柔らかいことを。口は閉じられる。しかし、鼻や耳は塞ぎようがない。そして、下半身は無防備だ。
鼓動が早くなってきた。呼吸が速く浅くなる。体が熱くなる。かすかに焦げるような臭いがする。
私を触って女性が悪態をつく。
もう、目を閉じてはいられない。
目を開けると、美紗は白衣の男女数人で取り囲まれていた。
気がついた美紗に、一人が声を上げる。
一人の女が注射針を刺そうとするが、刺さらず滑った針を自分の手に刺してしまう。
背の高い男性が手に布を持って近づいてくる。
美紗が気を失った即効性の麻酔薬を嗅がせようとしている。
ここで気を失うのは、危ない。
両腕に力を込める。
上腕と手首を固定していた留め具が外れる。
自由になった手で額と首の拘束具をむしり取る。脚はまだ自由にならない。
上半身を起こしたところに、布を持った男が襲いかかってきた。
美紗は、男の両腕を掴む。男の顔が歪む。掴まれた腕が痛いのだろう。
美紗は布を持っている腕を男の顔に近づける。のけぞる男。反対の腕を引きつけ、顔に布を当てる。男の身体から力が抜けた。
別の男が部屋の外に向かって叫ぶ。
美紗は脚の拘束具を引きちぎる。
武装した二人の男が駆け込んできた。
左手の男は警棒を持ち、右手の一人は小銃を構えていた。
左手の男が警棒を振り上げ、思い切り振り下ろしてくる。
美紗は警棒を左手で受け、そのまま掴み奪い取る。警棒を下から振り上げると、男の顎に当たった。ちょっと嫌な音がして、男は昏倒する。振り上げた警棒を右手の男の持つ小銃の銃身に叩きつける。男は小銃を落とす。美紗は、警棒を横に払う。警棒は男の頬に当たった。また、ちょっと嫌な音がして、男は崩れ落ちた。
逃げなくては。美紗の動悸は速まる。体が熱い。着ている貫頭衣が煙を上げる。
部屋の中にいた白衣の男女が我先に逃げ出す。
彼らとは逆の方向に逃げよう。
焦げだした貫頭衣を脱ぎ捨てる。
先ほどまで拘束されていたベッドに脇に水が入ったピッチャーがあった。
頭から水を被る。猛然と水蒸気が立ち上る。
白衣の人たちが逃げ出した扉の反対側には窓があった。カーテンを引きちぎり、身体に巻き付ける。
窓を開けると、ここは十階ほどのところだ。ここから飛び降りても大丈夫かもしれないが、まだ自分にそこまで自信が持てない。5階ほどのビルが隣にある。間には狭い道がある。
窓枠に脚をかけ、カーテンをまとい、隣のビルの屋上めがけ飛び出した。
 
5階のビルの屋上から、非常階段を使って降りると、盛岡が青い顔をして駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか。場所を特定するのに手間がかかってしまって……」
「ちょっと、ひどいんじゃない」美紗はなにがひどいのか、自分でも判然としなかった。けれど、盛岡の顔を見た途端、怒りが沸き起こってきた。思わず右腕を振り上げる。
そこに、ニコニコと笑顔で本城がやってきた。
「生方さん、すごいですね。空を飛んでいましたね」
脳天気な本城の顔を見たら、怒りは霧散した。
振り上げた右腕を下ろす。右手首には拘束具がついていた。溶けたプラスチック状のものが巻き付いているのだ。
美紗は、溶けたプラスチックを引き剥がした。
「それはちょっと貴重なサンプルになるかもしれませんね」と拘束具の残骸を本城がビニール袋に入れる。
どこにそんな袋を持っていたのか。
青木が呆然と佇み、美紗を待っていた。顔にはいくつかのアザと絆創膏があった。
彼女はなにもいわず、美紗のうしろについてきた。
 
前を歩く盛岡と本城の背中を見ながら、美紗は、もうのんきな書店員ではいられなくなった、と思うのだった。
 
***

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