僕らの住むこの世界では旅に出る理由があり
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:橋本真美(ライティング・ゼミ平日コース)
「元気にしてたら連絡はいらない」
大学時代、お世話になった人に言われた言葉だ。
「何かあった時にはいつでも来なさい」
彼女はそう続けた。
ラウンジ(という名のスナック的なお店)のママだったイチコさん。
当時バイトしていた結婚式場で出会ったのが最初で、彼女に司会の仕事とは別の名前があることを知ったのはしばらく経ってからだった。
時間のある時だけでいいから手伝ってもらえないか。
そう言われて、あたしと友達は学生時代最後の年に夜のバイトを少しだけ経験した。
夜の世界といっても、カウンターと2テーブルの本当に小さなお店で、きらびやかなことは一切なかったけれど、借り物のワンピースドレスを着て、いっちょまえにお酒を作ったり灰皿を替えたりもした。
おかっぱ頭を途中からショートカットにしたイチコさんはモンチッチみたいにかわいくなって、小さい体ながらパワフルに喋り、笑い、お酒を飲み、カラオケの手拍子をした。ある時、寝不足でスーパーに行ったら、鮮魚コーナーでかかっている「おさかな天国」にいつもの癖で手拍子をしていたらしい。あたしはそんなイチコさんが大好きだった。
就職で地元に帰るあたしに、イチコさんがくれたのが冒頭の言葉だった。
慣れた地元とはいえ、社会に出ることに期待だけでなく不安の大きかったあたしに、あの言葉がどれだけ救われただろうか。
就活はいわば旅のようなものだ。
ツアー会社にのっかるとある程度の安全が保障されるが、規定の範囲内でコースが決まり、オプション以外の自由な選択肢はあまりない。でもパッケージされた仕事があり、その中で全力を尽くすことができる。
フリーツアーなら完全に自分の選択と決断次第。リスクもあるけれど、自由に楽しめる。ただし、本当に心から楽しめるかどうかは自分の裁量次第だ。なんせ旅本来のこと以外にやらねばいかんことがたくさんある。
どっちを取るかは自分次第だし、自分の意思でルート変更することだってできる。
あたしは卒業以来2度転職をし、昨年フリーランスに転身した。自由な旅はまた別の悩みを連れてくるが、それまでのツアーとは明らかに違った景色を見せてくれている。
今まさに現在進行形で進路に悩む学生の友人がいる。
彼女は、大学に入学し、就活をして卒業後は就職……という定型ルートから迂回し、1年の休学とインターンを経て、来春に卒業を控えている。
ルートを外れる決断やそこから得たもの、その1年がプラスとなるか、マイナスととられるのか。そこは企業就職を選ぶのか、自分で何かをするのかでも大きく違ってくる。
学生ですでに個人事業主としてデザインの仕事をしていた彼女にとって、どんな働き方がベストなのか、悩んでいるというのだ。
あたしの学生時代は超氷河期と言われた頃。選択肢はとても少なく、どこも狭き門だった。そんな頃に就活をしたあたしとは悩みの質が違うことに感心するが、そもそも当時のあたしがフリーランスなんて考えもしなかっただけだ。でもきっと「就職は人生の転機」と切実に考えていたあたしと彼女だって、悩む気持ちは同じなのかもしれない。
今となってはそこまで凝り固まって考えなくても、軌道修正はできることを知ってしまった。
クイズや試験のように正解を出す必要なんてない。悩むのは「正解を出さなければならない」と頭から思い込んでしまうからだ。もちろん就活の時ぐらい真剣に悩むことも必要だとは思うけれど。
作詞家の松本隆さんがテレビのインタビューで答えていた。
「余白がいっぱいあったほうが美しい詞ができる」
人生には迂回も余白ももっとあってきっといいし、夢だっていっぱい描けばいい。
ヒーローや魔法少女に憧れ、なんにでもなれると信じていた幼い頃。きっと今だって同じ。なんにだってなれる。
かつてイチコさんがくれた言葉は思い出すだけでもジワリと目頭が熱くなって、心があったかくなる。社会に出たあたしは、仕事を必死に覚えて、恋愛も結婚もして、おまけに転職も離婚も経験した。たくさんの旅を経て、「何か」があるたびこの言葉をを思い出したりした。
実のところ一度だけ店のあったところに行ってみたことがあるけれど、その店は見つけられなかった。昼間だったから開いていないのかと思ったけれど、見覚えのある看板がなくなっていたから、もう移転したか廃業したのかもしれない。
もう会える可能性は限りなく低いであろうイチコさん。
でも、あの言葉は今でもあたしを支えている。
ありがとう、イチコさん。
いつか自分もあの言葉を旅の航路に悩む誰かに言えるようになれたらいいな。
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