プロフェッショナル・ゼミ

子供を産んだ私がなりたかったのは「母親」なんかじゃなかった《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:よめぞう(プロフェッショナル・ゼミ)

出産してからの1年と7ヶ月は、あっという間に時間が過ぎて行きました。
何もかもが初めてで、右も左もわからない。毎日がドタバタの連続だったように感じます。

特に娘が1歳半になる前まで、私は胸の奥にモヤモヤを抱きながら過ごしていました。それは自分が思い描いている「母親」の姿と、実際に子供を産み、育てている私の「現実」の姿があまりにも異なっていたからでした。
よく、テレビコマーシャルに出てくる「赤ん坊を育てる母親」というのは、暖かい陽だまりのもと穏やかな姿が多いでしょう。「子供を育てる姿」がどこか神々しい、まるで「聖母」のようにも見えます。
それなのに、私と来たらどうだ。ボサボサの髪に、授乳口がとりあえずついたスエット生地のヨレヨレのワンピース。最後に剪定したのはいつなんだと聞きたくなるくらい、無法地帯のように荒れ果てた眉毛。皮がめくれて血の跡が見えるガサガサの唇。「聖母」とは程遠く、どちらかといえば羅生門に出てくる「老婆」でした。私と娘、お互いが「生きる」ためにできることを、ただがむしゃらに行なっていただけでした。
そんな私達に対して、世間は決して優しくなんかありませんでした。
ベビーカーを押すにもあちこちに段差があって引っかかってしまう。油断すると娘が前にグンと飛んでしまうのです。電車やバスの公共機関に乗ろうとすれば、人混みの少ない時間を選んで乗車しなければなりませんでした。うっかり、混雑時に乗車しようものなら、ベビーカーを折りたたみ、片手でそれを持ちながら、もう片方の手で、荷物でパンパンになったカバンと娘を抱きかかえて可能な限り小さくならないといけないのです。つり革を持つ余裕なんてありません。車両が揺れるたびに「すみません、すみません……」と小声で謝りながら目的地までどうか娘よ泣かないでくれと祈り続けるのです。運よく席に座ることができたとしても、人生の大先輩が近くにいれば「私たちの時は簡単にホイホイと座ったりしなかったわよね」だとか「今の子達はすぐに子供を連れ回して……どうなっているのかしらね」などと嫌味を言われながら目的地までの時間を耐え抜かなければいけないのです。特にこの大先輩たちが私にとっては本当に厄介でした。社会人として働き始めれば「まだ結婚はしないのか」と言ってくるし、いざ結婚するとどこから聞きつけたのか「結婚したんだってね、ところで子供は?」と聞いてくる始末。子供ができるまでは「みんなで助け合い」なんて優しい言葉をかけてくれる人は大勢いました。けれども、実際に子供を産んでみると「みんなで助け合い」と本心で言ってくれるのはほんの一握りでした。大体は、口調こそ優しいけれど、あなたが「責任持って」頑張んなさいねというものばかりでした。その「優しさの押し売り」を目の当たりにする度に、心の中でドス黒いモヤが大きくなっているような気がしました。確かに、子供を産み、育てる選択をしたのは私です。けれど、周りから「人生の大きな選択肢」を勝手に決められるような言われ方をすることや、挙げ句の果てには「責任」を押し付けるような言われ方をすることに対して、どうしても違和感と憤りを抑えずには入られませんでした。
さらに、追い打ちをかけるように「ある言葉」が私の心を真っ黒にして行きました。それは「イクメン」という言葉でした。文字通り「育児を積極的に行う男性」を指す言葉です。元々「イクメン」という言葉が出たばかりの頃はなんとなく違和感があるくらいでした。けれども、子供を産んだあとに耳にする「イクメン」という言葉にはどうしても過敏に反応するようになりました。というのも、世間からしてみれば私の旦那は典型的な「イクメン」なのです。子供好きなのもあって、娘と遊ぶのがとても上手なうえに、お風呂も積極的にいれてくれるし、オムツ替えも嫌な顔一つせずに手伝ってくれるのです。もちろん、私の友人からも「旦那さんがこんなに手伝ってくれるからいいね」なんて言われることも少なくないのです。自分の旦那が褒められることは、とても嬉しいことのはずでした。だけど、どうしてでしょう……心の底から素直に喜べない私がいるのです。
私なんかよりも、旦那の方が子供を育てる姿は本当に「立派な父親」そのものでした。「イクメン」なんて軽い言葉で片付けて欲しくないくらい、尊敬できるパートナーだと思っていました。だけど、旦那が褒められる度にどうしても拭いきれないキモチがありました。「ずるい」って。

娘と積極的に遊んでくれる。

お風呂に入れてくれる。

オムツを替えてくれる。

これって、私もやってるじゃん。なのに、どうして私は褒められないんだろう? という疑問がふと湧いてきたのです。旦那が「オムツを替える」と褒められるのに、どうしてそれ以上に「オムツを替えている」私は褒めてもらえないんだろう? 同じことをしているのにもかかわらず、この差はなんだろうと本気で考えました。考えついた先はやはり「産んだ責任」があるかどうかということでした。極論かもしれないけれど、産んだ以上「育てる責任」はあります。こればかりは旦那にはできないことです。そしてたいていの場合、旦那側が働きに出ているケースが多いので「仕事もして、子育てもしてくれる」の構図が無条件にできてしまうわけです。だからこそ世間からしてみれば「仕事もして、子育てもしてくれる」旦那を見ると、褒めたくなるのも無理はありませんでした。
けれども「1日中子育てをする」のは決して楽なんかではないのです。1歳7ヶ月の今、ようやく「意思疎通」ができて子育てが心の底から楽しいと思えるようになりました。しかし、1歳を過ぎるまでは「言葉のキャッチボール」がほぼできないので、毎日独り言を話しているような気分でした。

「今日は、暑いねえ」

「……」

タイミングよく笑ってくれれば運が良くて、大体は投げたボールを自分で拾いに行くようなことが当たり前でした。家の中に2人いるはずなのに、足枷がついて独りぼっちで取り残されているようでした。そう……「母親は孤独」でした。それでも世間はそんな母親を褒めてはくれないのです。それどころか、最近では「泣く子供がうるさい」だの「ベビーカーが迷惑」だのというオトナだってたくさんいるのです。それなのに「イクメン」は世間からチヤホヤされる。その構図がどうしても私には許せませんでした。「イクメン」ばかりズルい。どうして「イクメン」ばかりが日の目を見るのかが悔しくて仕方ありませんでした。私がそこまでして「イクメン」に固執するのには理由がありました。私にはどうあがいても「イクメン」になることができないからです。
私はずっと「イクメン」に憧れていたのでしょう。
5年ほど営業マンとして働いてきた経験からいけば、何かを成し遂げて評価がついてくるというのは当たり前のことでした。実績が上がれば、給料も上がるし周りからの評価も上がります。もちろん逆もありますけど。だから、どこかで「子供を育てる」ということが何かしら「褒めてもらえる」と勝手に思い込んでいたのです。けれども、朝起きて歯を磨いても誰も「褒めてくれない」ことと同じで、子育てはごく「当たり前」なことなのです。当たり前に「子供と遊んで」時間になれば「お風呂にも入れる」し、オムツが汚れたら「オムツを替える」だけのことなのです。ただ、娘が「今はできない」からそれを代わりに手伝っているだけのことなのです。今思うとなんでこんな小さいことで腹を立てていたのか、タイムマシンにでも乗って聞きに行きたいところですが、当時の「独りで周りが見えていなかった私」からしてみれば「私こんなに頑張っているのに……どうして!」という思いの方が強かったのです。こんなメンヘラこじらせ女子(メンこ女子)全開だった私が立ち直れたのは、母親の一言でした。50過ぎになった母が、ある日こんなことを言ったのです。

「ママね、最近母親になったなーって思うとよ」

当時メンこ女子だった私は、母が何を言っているのか全くわかりませんでした。いや、もう私30目前やし。弟だって立派に社会人になったし。何を今更言っているんだこの人は? と本気で思っていました。けれども、よくよく聞くと話はこうでした。母も、私と同様に初めての育児は何が何やらわからない中でがむしゃらにやっていたそうです。しかも、私なんかと違って母はさらに助けてくれる人が周りに全くいない中での子育てだったそうです。私からしてみれば、よく投げ出さずに育ててくれたな……と深く反省させられました。

「母親やけんちゃんとせなじゃなくて、一緒に成長していったらいいと」

私はこの言葉に本当に救われました。私の知っている母といえば、家のことも子供のことも積極的にバリバリとこなす「スーパーママ」さんだったので、私もそうありたいし、そうあるべきだと思い込んでいたのです。だけど、よくよく考えてみれば、私も生まれたばかりの娘と同じで「母親」になったばかりだったのです。まだ母親1年生。これから一緒にわからないなりに成長していければいいのか、と思うようになってからは「褒めてもらえない」ことに対する思いはどこかへ消えて行きました。その代わりに……

「ママー!」

と私を見て笑顔で走ってくる娘の姿が「最高の褒賞」だと思えるようになったのです。まだまだ、苦手な家事と育児と仕事の両立は上手くできてないしけれど、少しずつできるようになれたらと思います。もう「独りで」なんて思わずに「イクメン」ではなくて「最強の父親1年生」に手伝ってもらいながら、ますますヤンチャになる娘の「成長する姿」を楽しみに私も「母親」になりたいと心から願います。

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