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泥の船


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記事:栁瀨進一(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
最近知り合った人の話である。とある人と出会い、その人と話しているなかでありのままを生きることについて考えさせられた。
 
つい最近、私は発達障害の診断を受けた。発達障害とは、小児期の脳の発達の遅れ、偏りによって生じる精神疾患のことである。これまでは発達障害は子供だけが持っている障害である、という見方がメジャーであったが、最近は成人の発達障害者の存在も取り上げられるようになってくるようになった。発達障害を持っている人々は固有の生きづらさを持っている人々が多い。何処か人と違っていて、不器用。頭の回転が遅かったり、注意力が欠けていたりしていて人から小馬鹿にされたりいじめられやすかったりする。また、適切な意思疎通が出来ない人が多いのも特徴であり、酷い場合だとクビを切られるレベルで仕事がうまくこなせない人もいる。
 
だから、発達障害者の人々はそうした生きづらさを解消するために、だいたいどこの地域でも発達障害を持つ人で集まって「当事者会」なるものを結成している。「当事者会」では地域の発達障害当事者が集まって、日頃の暮らしや私も日頃抱えている困り感を他の人達と共有しており、私もそうした機会が欲しかったため当事者会に参加していた。その人とも、そこで知り合った。
 
その人はだいたい29歳ぐらいの男性で発達障害を持っているとのことだった。今は働いていないらしく、予備校に通いながら弁護士を目指しているらしかった。当事者会の休み時間中にもテキストを開いて勉強をしている姿が見えた。生真面目そうな雰囲気をしている人で、一生懸命そうな印象を受けた。しかし、この人に対してどことなく不安な印象を覚えた。
 
ご存じのとおり、弁護士資格は現実的に見て難関資格である。まがりなりにも私は法学部を卒業していたので、その難しさを肌感覚で分かっている。事実、一流大学の大学院に進学した人でさえ当たり前のように落ちる。
 
しかも、彼は発達障害者であった。発達障害というハンデを負ってなお、膨大な知識の習得と弁護士実務をこの先身につけることは両立し得るだろうか。
 
恐らく、一般的な感覚を持てば彼が弁護士を目指すのは非現実的であると思うだろう。私も同意見であった。彼の話を聞いていて気の毒だけれどやはり無理があると思っていた。
 
重ね重ねになるが、客観的に見てもその人に弁護士としての適性があるとはいえないだろう。筆記試験をパスする可能性もすごく低いし、仮に合格をしても弁護士実務の上で発達障害特有のミスの多さやコミュニケーション上の障害をカバーできるとは思えなかった。だから、彼が何故非現実的な戦略を遂行しようと考えているのか、私は不思議に思っていた。
 
そんな中、彼と話していると彼自身の本音は別に弁護士ではないことを知ることが出来た。どうやら、彼自身も弁護士としての道を歩むことに特別なこだわりはなく、就労した方がいいのではないかという思いを持っているらしかった。主治医からも一般就労として発達障害向けの障害者雇用等でと働いた方が現実的であることと、そうした資格を目指して失敗をした発達障害者達を数多くいることを説明されたとのことだった。ただ、それにも関わらず、彼は勉強を続けていた。
 
彼が本音に逆らった勉強を続けていた理由は、両親の期待に応える事であった。主治医からの進路についてのアドバイスも親に伝えていたのだが、猛反発に遭ったことを教えてくれた。「私の子供がそんな働き方をするのが許せない」「社会的に認められる職業につけ」「障害者雇用なんて認められるか」そうした言葉を両親から浴びせられたらしい。
 
「親が本当に望んでいるものは息子が息子であることではなく息子が優秀な子供なのでしょうね」と彼は話していた。諦観めいたその言葉を聞いて私はなんだか浮かばれない気持ちになった。出来る事なら、「もうやめた方がいい」と言いたかった。だけど私から出来ることは何もないし、そもそもそういう立場でもなかった。私にとっては彼がデスマーチのような重荷を課せられたサラリーマンのように見えた。ありのままで生きていけない辛さに満ち満ちている彼をみてそんな風に思った。
 
もし仮に彼の両親が弁護士になる事を強いなかったら、もっと根本的な、ありのままの彼を受け入れることが出来たのならば、彼は必要以上に両親の意志に振り回されることはなかったのではないかと思う。彼自身の意志をもって、素のままの彼らしさを使った生き方を考えたり、自分の価値観を大切に感じながら人生を歩むことが出来たのではないだろうか。そして、その先にこそ、本当の幸せや心の安定があるのではないかと私は思っている。心から納得したその人自身の暮らしはそうして築くものだろう。
 
他人から認めてもらいたい、受け入れてもらいたい、という気持ちは私たちの心にいつもいつまでも心の中に残っている。しかし、そうした状態でも視点がひとつを変えるだけで案外道が拓けるのかもしれない。
 
 

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2017-12-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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