「他人目線」で母親を介護する
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記事:筒井洋一【ライティング・ゼミ日曜コース】
「あなたの母親を
寝室に入ってまで介護することはやはり無理。
あなたがやってね」
何年前かに、こういう言葉を妻から告げられた時、私はその責任の重さに逃げ出したい気持ちになった。90歳を過ぎても健康な母親であっても、いずれかは介護が必要になる。でも、それから逃れたい私がいた。
ところが、10月末に、介護が突然やって来た。頑張り屋の母親は、親戚宅で、屋根裏に入って掃除をした。背中の軽い違和感は翌日に一気に悪化した。ベッドから起き上がろうともがいても背中に痛みが走り、どう動いても立ち上がれない。起き上がってトイレに行くだけで実に1時間もかかる。かつてない痛みの中で、母が言った。
「こんな状態が続いたら、あなたに迷惑をかけるし、体も弱ってくる。もうデイケアに行く」
それまでデイケアを頑として嫌がった母親が自ら介護生活を受け入れたのだ。無理やり介護施設に連れていくのは気が引けるが、本人が行きたいならば話が別だ。母親の希望を私が支援するとなると、こちらも介護に前向きになる。
手習いとして、母の部屋のゴミ捨て、掃除、犬の世話をしたが、一番大変なのは入浴介助である。母一人で風呂に入ると、湯船に入ることもできず、体を拭くのが精一杯のようだった。そこで、一緒に風呂に入ることを提案した。母親は、息子に裸を見られるのは嫌だろうし、子供に世話になることに抵抗があっただが、私の提案を飲むしかなかった。
まず、入浴前後に、下着、靴下、スラックスの着脱にかなり時間がかかる。そこで、椅子を買ってきて座るようにしたら、時間はかかるが前よりできるようになった。
入浴時に危険だなあと思うのは、体がよろけた時に、シャワーホースや風呂桶をつかもうとすることだ。転倒すれば間違いなく大けがをする。そこで、よろけないために、動作前に一つずつ確認してもらっている。
実は、ここまでは序章で、湯船に入れるのが一番大変だ。母親を湯船に入れる時にどこから入って、足を上げて、どのように湯船から上がるかを見守っている。しかし意外なことに、入浴時に私が一番好きなことは、母が湯船に入った時に足指のマッサージをすることだ。寒くなると、母の足指や手指が霜焼けになって、紫色に変色している。霜焼けになると、足の動きが制限されて転倒の危険性が高まる。
ある時、湯船に入った母の体を診ていると、足指の霜焼けが気になった。かなり痛そうだが、もはや感覚がなくなっているようだった。湯の中で、足指を入念にマッサージすると、少し赤みが戻ってきた。これを毎日続けると、確かに霜焼けがましになる。私が外出する時も多いので入浴介助できない日々が続くと悪化する。でも、毎日介助すると、霜焼けはみるみるよくなる。私の努力で霜焼けがましになることがわかると、それを維持したいと思って、できるだけ夜間外出を控えでいる。宴会好きの私が夜間外出を控えるようになったのだから驚きである。
では、なぜ私が介護を嫌がらなくなったのだろうか。当初は、肉親だから介護するという義務感にひるんでいた。逃げたいと思った。しかし、今は、肉親だから介護する、という気持ちを持っていない。もし母親を肉親と考えると、介護が逃げられない状況になり、ひ弱な私の気持ちが滅入ってしまう。
そこで、まったく発想を変えた。たまたま近くに介護を必要とする人がいて、それが92歳の女性であると考えることにした。よく考えれば、将来、私も介護される側になるのは間違いないので、むしろ介護される人はどのような気持ちを持ち、身体の動きをするのかをじっくり観察するようにした。
かといって、介護される母親は、介護する息子に世話になって申し訳ないから、できるだけ自分でやろうと思う。しかし、それはかえって悪い結果をもたらす。母親に申し訳ない、という気持ちを持たせないためには、母親自身の気持ちが変わることが一番だが、まだそういう気持ちにはなれないようだ。そこで、変わるのは私自身なのだと思う。
すなわち、肉親というつながりを一度「他人目線」で考えると、私自身の介護のやらされ感がなくなる。肉親を他人とみることは決して愛情が足りないということでもない。肉親だから介護して、他人だとしないとなると、肉親に対しては義務感が伴い、他人に対しては思いやりが欠けることになり、いずれにしても楽しくない関係が生まれる。むしろ、他人目線で母親を見た時には、他人であっても愛情を持って接することができる。そこを発見できたことで介護への負担感が一気になくなった。
重い現実も未来への希望を見つけた時には、大きな可能性が生まれる。92歳の母であっても、まだ大きな可能性を見つけることができたし、本人もそう思っている。われわれが学ぶべきは、何歳であっても学ぶことを辞めないこと。可能性を見いだすことなのだと思う。他人目線の大切さを知ったことで私は新たな人生を歩むことになったのである。
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