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生きる伝説のプロの証


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中川公太(ライティング・ゼミ 平日コース)
 
 
「おー、いらっしゃい!」
おっちゃんは、いつも元気に挨拶してくれる。
僕は、とある小さなコーヒー豆の焙煎屋によく通っていた。
 
老齢ながら、垣間見えるその気さくさ、裏腹に滲み出る現役よろしくな気力の充実ぶりから、僕にとっては何となく、「豆屋のおっちゃん」だった。その方がしっくりくる。
 
ある日バイクに乗って行けば、
「自分もバイクに乗っていたことがあってさ、楽しいよねぇ!」
何とはなしに若々しく話す時もある。
僕が人混みの多い所に行って疲れたと切り出せば、
「若い人がスマホを見ながらのんびりと前を歩いていてねぇ、まいったよ」
おっちゃんは、しかめっ面をしながらも時代の変化を感じているのだろう、
少し寂しそうに、耳の後ろをポリポリと掻きながら話すところも、「らしく」て好きだ。
たまたま同じ靴を履いていると、
「これ歩きやすいよ、靴ひもがすぐ解けちゃうとこがマズイけどネ!」
と、茶目っ気たっぷりに話してもくれる。
 
もちろん、プロとしての、一面もあった。
 
行けば淡々と、しかし力強い動きで仕事をし、聞きたいことを聞けば、端的に教えてくれた。僕はコーヒーを自分で淹れ始めてしばらく、分からないことや自信のない時、気になることは都度聞いた。応える側からすれば取るに足らないことかもしれなくとも、「コーヒーの焙煎屋」としてのスタンスで、最小限かつ最大限なことを教えてくれた。
 
僕が店内の写真を指差し、「これは誰ですか?」と聞くと、おっちゃんは遠い異国でコーヒー豆を栽培している生産者や、エクスポーターと呼ばれる輸出業者のことを話し、「世界の窓」にもなってくれた。
 
豆が炒り上がるまでの束の間、おっちゃんは焙煎機の前で腕組みしながら待っていた。その姿は静かだ。だが、目だけは、ジッと、焙煎機に注がれていた。
コーヒー豆とおっちゃんだけの時間が穏やかになれば、向こうから声を掛けてくれることもあった。そんな時は、僕は気遣い気味にできるだけ短い言葉で、「これ、どんな感じですか?」などと様子を伺う。おっちゃんは、定期的に掃除をすることの大切さや苦労と、自分は「これで」やるのだという意があることを話してくれた。
 
味について聞けば、
「これはチョコレートみたいな味がするんだよ」
と、専門的な評価のための「味言葉」を用いて、適切に、しかし簡潔に説明してくれた。
タイミングさえ合えば、おっちゃん直々にサービスで淹れて飲ませてくれることもあった。
 
目で見て耳で聞いて舌で味わってと、まさに座学と実地を即興で体験していた。
 
シメはいつも同じ、「ね、ウマいでしょ?」
ニカッと笑顔でトドメを刺されて、「ノックダウン」、というのがお決まりになっていた。
 
そんなおっちゃんとの出会いも、7年目を過ぎた年のことだった。
 
 
僕はフラフラとあてどなく散歩をすることが休日の日課になっていた。
人混みが苦手なことも手伝って、なるべく裏手の静かな通りを歩いていると、ある一軒のコーヒー屋さんが目に留まった。
 
店の前で、入ろうか迷ってウロウロしているのを見かねたのか、店員さんが外まで出てきてくれた。
「良ければ、ぜひ、飲んでいってください」
あくまで穏やかに、店へ招いてくれた。
 
入ってメニューを受け取り、ブレンドを頼んで注文する。しばしの間が空いて、店員さんは一杯のコーヒーを持ってきた。
一口飲むと、流行を感じさせる味がした、どうやら新しいお店らしい。
 
飲み終えてくつろいでいると、店員さんが話しかけてきた。
「コーヒー、お好きですか?」
「ええ、まぁ、自分で淹れたりしています」
「良いですねぇ、どこかで豆を買っているんですか?」
流れる会話に任せているうちに、おっちゃんの名前が出ていた。すると店員さんは、すこし間をおいて、こう言った。
「おや、よくご存じで……」
店員さんは、淡々と、話してくれた。
 
「彼は、『生きる伝説』です」
「へぇー……え?」
一瞬、何のことか分からなかった。
「昭和の大衆向け喫茶店ブームが始まったのが1960年から70年代と言われています」
「その頃といえば……ええと、アメリカではコーヒーの協会が設立されてましたね?」
「ええ、『SCAA』ですね。コーヒー豆の中でもとりわけ質の高いものを求める需要があり、それに向けた基準をいち早く作るためです。彼はその頃、ある企業に所属していました」
 
記憶の中で、協会のことや、ホームページに載っていた焙煎屋を始める前のおっちゃんの仕事の年数を思い出していた。年数を逆算すると、ほとんど協会設立と同時期から始まっていることになる。
 
「国内ではやや遅れて独自の協会が設立されましたが、その後、70年から80年代に自家焙煎店が増えて、数々の名店ができました。その中でも三本の指に数えられるほどの人に『コーヒー面白いから、やってみなよ』と促したのも、彼です」
「そうなんですか!?」
「それができたのも、国内のコーヒー豆を扱う業者の中でも大手の企業に所属し、『スペシャルティ』と呼ばれる高品質の豆を専門とする部門にいたからです。それも単に、「既にあるもの」を仕入れるだけではありません」
「どんなことをやっていたんですか?」
「『モデルとなる味』を提示して、生産者に『作る価値がある』と納得して作ってもらい、その上で『より良いもの』として、売り出すんです。言わば、『コーヒーの味そのもの』を創っていくための交渉です。ついさっきまであなたが飲んでいた一杯に、まさに『繋がる』味を創り上げた内の一人、というわけですよ」
話し終えた店主は、空いたコーヒーカップにチラリと目をやった。
 
僕は、急に降ってきた話に、すっかり呑まれていた。
 
 
店を出て帰りながら、僕はおっちゃんの店の写真を思い出していた。そこには、海外の輸出業者や生産者と肩を並べて写っている彼の姿が確かにあった。
それは、彼が長年コーヒーの世界に携わり、様々な職人達と渡りを付けてきたプロの「証」でもあった。
 
けれど何より、一番の「証」を、本人は知っていた。
 
なぜなら、おっちゃんは、いつもこう言っていたからだ。
 
「お客さんは、分かってくれる」
 
 
***

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2017-12-26 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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