メディアグランプリ

公衆トイレが勇気をくれた


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記事:かわせ しんいち(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
大学2年生のとき、大手教育系企業の自然体験プログラムにボランティアとして参加した。小学生を連れて、夏はキャンプ、冬はスキーへ。大学の長期休みの度に、大自然の中で子どもたちと思い切り遊んだ。子どもたちとの関わりもさることながら、自信に満ちいきいきとしている社員たちと共にプログラムを作れたことは、これまでにない経験だった。社員の中で一際輝きを放っていたのは、リーダーの佐々木さん。暴走族の元総長という異色の経歴をもち、大手旅行会社からこの会社に移ってきた。判断力・行動力は抜群で、子ども、学生、そして社員、誰とでも分け隔てなく接する。その人柄から、子どもたちから大人気だった。学生や社員からも絶大な信頼を置かれていた。いつしか私も佐々木さんに憧れを抱き、彼の下で働きたいと思うようになっていた。
大学3年生の秋、就職活動が始まった。無理は承知の上で、超多忙の佐々木さんに就職活動の相談に乗っていただいた。佐々木さんは嫌な顔一つせず、仕事の合間を縫って、繰り返しエントリーシートの添削をしてくれた。時には飲みにも連れていってくれて、仕事だけにとどまらない様々な話をしてくれた。
就職活動が本格化すると、就職情報サイトを運営する会社が主催する、大規模な合同説明会に足を運んだ。特徴の無いリクルートスーツの群れに埋もれながら、どこかで「お前らとは違うんだ」と思っていた。第一志望の会社に対する思い入れは、誰にも負けない自信があった。
春、その会社の選考が始まった。適性検査、エントリーシート、グループディスカッション、個人面接……選考を順調にパスし、憧れの社員の仲間入りがいよいよ現実味を帯びてきた。最終面接の会場は、本社にほど近いホテル。広間の扉を開けると、中心にポツンと置かれたテーブルに、2人の役員が座っていた。かつてないほど緊張したが、持てる力は全て出しきった。
次の日、就活口コミサイトの掲示板には、「内定の連絡を受けた」という書き込みが見られるようになった。ところが、私の携帯電話は鳴らなかった。その年の倍率は、およそ60倍。最終選考で、私は選から漏れたのだ。合格を信じていた私は、希望から絶望へと転がり落ちた。無機質な「お祈りメール」が届いたのは、それから1週間後だった。読んでも何の感情も沸かないほど、私の心はふさぎ込んでいた。
とはいえ、このままでは――私は佐々木さんに、選考の結果をメールで伝えた。
「忙しい合間を縫ってたくさんご指導いただいたのに、内定に至りませんでした」
すぐに佐々木さんから返事が来た。
「かわせ、今週末会えるか?」
「ありがとうございます。ぜひお願いします」――そう答えたが、どんな顔をして会えば良いのか、わからなかった。
 
土曜日の夜、新宿で待ち合わせ。佐々木さんの案内で、エスニックの店へ。
「俺、50歳になったら仕事を辞めて、南の島でこういう店をやりたいんだよ」
屈託のない目で、将来の夢を語る佐々木さん。それまで抱いていたイメージとはまたギャップがあり、ふさぎ込んでいた心がほぐれた。そして、無念さや後悔や不安を吐いた。
「この先、どうしたら良いか分からなくて……」
佐々木さんが言う。
「気持ちが落ち込んでいるときには判断するな。その選択は、あとで後悔することになるから。今はゆっくり休めばいい」
この寛容さに触れたとき、やっと驕っていた自分に気が付いた。学生ながら一流企業のプロジェクトに携われたのは、私が特別だからではない。佐々木さんや彼の周りの素晴らしい方々が、機会を与えて下さったからなのだと。
新宿三丁目から歩いて自宅へ向かう佐々木さんを見送った。姿が見えなくなっても、佐々木さんの温かな雰囲気が辺りに漂っていた。安心感からか、ふと尿意をもよおして、目の端に入った公衆トイレへ急いだ。
小便器の前に立ち、ベルトをかちゃかちゃやっていると、目の前に貼られた小さな札に気付いた。
「一歩前へ」
「一歩前へ、かぁ……」
用を足しながら、そっとつぶやく。今まで腹の底にわだかまっていたものが、一緒に流れていくようだった。用を済ませ、洗面台へ。手を洗いながらふと顔を上げると、鏡の中には穏やかな表情の私がいた。そろそろいかなくては――
 
翌月、私はある大学にいた。社会人と学生が共にリーダーシップを学ぶ、3ヶ月のプログラムに参加していた。修了後は、東日本大震災によって福島から東京に疎開してきた小中学生に勉強を教えるボランティア活動に加わった。小さくてもいいから、今の自分よりも一歩前へ。その一心で、様々な活動に参加するようになった。そこで出会った仲間とは、数年経った今でも付き合いがある。第一志望の企業に内定していたら、同じ道は歩んでいなかっただろう。全ては、私にとって必要な経験だったのだ。
 
最近の公衆トイレでは、「きれいにお使いいただきありがとうございます」の札が主流だ。たまに「一歩前へ」の札を見ると、絶望から解放されたあの夜のできごとを思い出す。小さな札は、私に大きな勇気を与えてくれた。
 
 
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2017-12-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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