お金という名の「パンダ」
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:天満薫(ライティング・ゼミ日曜コース)
「もういい加減、目の前から消えてくれ!」
心のなかで叫んだ後、
意を決して「送信」ボタンを押す。
カチッ。
その瞬間、わたしの全財産は、
デスクトップの画面上から消えていった―――
この2〜3年間、ずっと「お金」におびえていた。寝ても覚めても、お金のことばかり考えて、うなされていた。そして、苦しさに耐えられなくなったある日、わたしは全財産を投げ出した。
きっかけは、人生初の転職からだった。新たな勤め先は、外資系の医薬品メーカー。世界的な企業に転職できたこともうれしかったが、それ以上に、
「お給料は、前職の約1.5倍を考えています」
と、目に見える形で評価されたことは、素直にうれしかった。気合いもはいる。転職先は、完全能力主義をかかげる外資系企業だ。そのため、業績に連動して、給料がコロコロ変わる。仕事のやりがいも大きいが、プレッシャーもなかなか大きい。
「天満さんには、新規プロジェクトの開拓をお願いします」
新規事業の立ち上げチームを任されたわたしは、休日返上で、仕事に没頭した。といっても、チームのメンバーは実質わたしひとりだけ。自分のがんばり次第で、成果が、数字が、はっきりと変わる状況だった。「2回勝って、1回負ける」を繰り返した結果、
「次回から、賞与がすこし増額になります」
「あ、ありがとうございますっ!」
と、社内の評価も上々。1年後には、銀行口座に生まれて初めて、きちんと貯金が貯まりはじめた。
いちおう断っておくが、決して“高給取り”になったわけじゃない。アップと言ったって、ようやく同世代と同じレベルになった程度。前職がかなりブラックだったので、大きなアップに見えるだけのことだ。40代手前で独身、一人暮し。自由になるお金も、家族もちに比べて多かっただけだ。(余談だが、ブラック企業時代は、年収は300万円未満。ボーナスの経験はなく、節制していても貯金は増えない。いわゆるワーキングプアという状態だった)
しかし、その頃からだ、わたしがお金に振り回されはじめたのは。お金が「パンダ」と同じ魔力をもっていると気づきはじめたのは。
給料アップは本来、喜ぶべきことだろう。10人いれば、10人喜ぶ。けれど実際には、わたしの心は徐々に暗くなっていった。
「このままの生活を、続けていけるのかな」
「家賃はずっと払っていけるかな」
「突然、とんでもない不幸が起こらないかな」
将来への不安が募り、愚にもつかない妄想ばかりする有り様。
さらには、お金が増えるのが怖い、とも思いはじめた。
資本主義を否定している? 偽善ぶっている?
いえいえ、キレイごとではない。
わたしの気持ちは、むしろ、その真逆だった。
「増えたお金を失うことが、怖くてたまらない」
増えるのが怖い、というよりも正確に言えば、失うのが怖い、という心理状態におちいっていた。すこし増えればその分だけ、失う怖さが増していく。わたしは、自分の底知れない欲望や執着の大きさに気付いて、正直ショックを受けていた。なぜなら、ブラック企業にいた頃は、そんなメンタル状態になったことはなかったからだ。体力的にはしんどくても、同僚とも仲が良く、孤独ではなかった。皆と同じように「お金がない」ことも普通だと思っていた。
わたし「先輩、いつか、お金持ちになれますかねー?」
先輩 「俺のほうがなりてーよ、バカ! 金持ちになれる能力がねーから、お前も俺も、この会社で働いてんだろうが!」
わたし「うまいこと言いますね! でも、ちょっと悲しいっす!」
先輩 「おう、俺も言いながら泣きたくなったわ(笑) あー、もー、今夜は帰ろー!」
いい歳して、そんなノリだった。お金は欲しいけれど、無ければ無いで、現状にそれほど不満はない。お金というのは遠い存在。どこかにたくさんあるらしい「お金」というやつは、なんとなく愉快で楽しいものだと思っていた。
けれど、実際に手にしてみると、それには人を狂わせる魔力がある。わたし自身、性格の変化は顕著だった。物欲がほとんどなく、出世欲さえゆるかった自分ですら、いつもイライラして、小さなことに腹を立てるようになった。
「絶対に、お金を減らしたくない」
「石にかじりついてでも、いまの生活を堅持したい」
そんな気持ちが、激しい気性にさせていたのは間違いない。
誰しも、テレビ番組でパンダを見たことはあるだろう。けれど、動物園で実物を見た人は、どれくらいいるだろうか。パンダは、遠目にはたしかに可愛い。モコモコで、動きものそのそ。ずっと見ていられる。憧れの存在だ。
けれど、実物に接近したとき、わたしは正直怖かった。背筋がぞくっとする。あの瞬間は忘れられない。あの肉食獣の目。獣特有の匂い。熊を思わせる鋭いかぎ爪。野生のパンダは、ウサギやモグラも捕まえるという。ご存じの通り、パンダは漢字で「熊猫」と書く、クマ科の肉食動物。その隙のない目に、射すくめられたことがある。
パンダと目が合っている間、「この鉄格子がなければ、お前なんかすぐに……」そう思われているような、本能的な怖さがあった。目を離すこともできなかった。
お金は、あの時のパンダのような妖気を持っている。近づいて見て、初めてわかった。愛嬌を振りまいているようで、決して心を許してはくれない。油断すると裏切られる瞬間が必ずやってくる。それが本能的に感じられるものだ。困ったことに、一度手にすると、もう無視することもできない。遠くにあるときは手に入れたくなるし、手に入れたら入れたで、怖くなる。非常にアンビバレントな存在だ。
さて、どうしたものか……。
こうしてわたしは、この2〜3年、寝ても覚めても、お金の心配ばかりしてきた。
マネー関連の本を数十冊、読みあさった。投資や運用のセミナーにもたくさん顔を出し、投資のプロ達にも会ってきた。「失うのが怖い」わたしは、笑ってしまうほど慎重だったかもしれない。
そうして先日、ようやく、信頼に足る投資会社に出会えた。投資の話なので、たいへん申し訳ないが具体的な話は避ける。わたしから先方へ出した投資の条件は、たったひとつ。「10年間は、わたしに連絡しないで良いように、運用してほしい」と。もうお金のことを考えるのはうんざりだった。そうして、ウェブ上で送信ボタンを「カチッ」と押し、全財産を預けることに成功した。
お金については、さまざまな考え方があるだろうが、自分がなにを一番幸せに感じるか、それが大切な目安になるのではないかと感じる。いまのわたしにとって、最善の手は「増えた分だけ、手放す」ことだった。貯金は元通りゼロになったが、いま、かつてないほど清々しい気分をかみしめている。
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