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プロフェッショナル・ゼミ

ふたたび、さらばだ、グランドファミリア《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:西部直樹(プロフェッショナル・ゼミ)

※記事はフィクションです。

風はどうなっている。
ウィンドウボタンを探すが、ない。
ああ、そうだ、レギュレーターハンドルをまわす。
くるくると回すと、右の窓が降りる。
風が入ってくる。
初夏の風が気持ちいい。
エンジンの音が心地いい。
「まいやん、あのカセットの音を聞かせてくれないか」
「ごめんね、わたしは操作できない」
「ああ、そうだったな。今は、カセットデッキなんて操作したことがないからなあ」
「どんなのか聞かせて」
正太郎は、左手で器用にケースからカセットテープを取り出すと、デッキに入れた。
プレイボタンを押すと、ドラムの軽快な響きが車内に流れた。
「ブロンディのコール・ミーね。1980年にリリースされ、ゴールデングローブ主題歌賞にノミネートされた。映画「アメリカン・ジゴロ」の主題歌。「アメリカン・ジゴロ」は、リチャード・ギアの……」
「ありがとう、まいやん。そこでいいよ。曲を楽しもう」
「はい」
ボーカルの声が少し間延びしてきたと思ったら、甲高い音を出して音楽が止まった。
「あ、絡まったかなあ、古いからなあ」
正太郎は、カセットデッキのボタンをいくつか押しはじめた。
「正太郎、車がふらついています。前の車との車間距離が詰まっていますよ。速度を落として」
まいやんの声が緊迫している。
追い越し車線の車が正太郎の車を避けるように加速していく。
正太郎はハンドルを握り直し、アクセルから足を離す。
「サービスエリアに行ってなおそう。次のところまではでのくらいだ」
「次は、佐野SAです。あと10キロです。ガソリンスタンドもあります」
正太郎は、ギアを3速に落とし、アクセルを踏みつけた。加速が身体をシートに押しつける。
リアウィンドウの枯葉マークが揺れた。

サービスエリアのガソリンスタンドに車を入れると、店員が飛び出してきた。
正太郎は降りて、伸びをした。
久しぶりの運転で身体が硬くなってしまった。
年配の店員が珍しそうに車をみていた。
「この車は、なんていう車なですか」
「マツダのグランドファミリアだ」
「おお、ペダルが三つ、珍しいセレクトレバーって、これはもしかしてマニュアル車!」
店員は感嘆の声を上げる。
「チェンジレバーだ。もう70年以上前の車だよ」
「失礼ですが、よくここまで運転して、ナビもオートドライブももちろんないんでしょう」
「もちろんだ。そんなのはなくても大丈夫だ。ガソリンは満タンにしてくれ」
カセットテープはデッキに絡み、伸びていた。
テープを丁寧に巻き、デッキに入れなおす。
ガソリンを満タンにして、店員が伝票を持ってきた。
驚くほど安い金額だった。
「まいやん、支払だって」
店員がフロントガラス越しに、ダッシュボードに載せたスマホに支払機をかざした。
「ネット通貨で払っておきました。今日は円とのレートがいいので」
「ありがとう、まいやん」
正太郎の声に、スマホの中のアバターが頭を下げた。
「さあ、車を出そう。エンジンをかけてくれ」
「この車は、わたしではコントロールができません」
正太郎は苦く笑った。
マニュアル車だと、自慢したばかりなのに、オートドライブ車の癖が抜けない。
キーをまわす、心地よいエンジン音が聞こえる。
座席を前後に動かし、背もたれの角度を確認し、バックミラーを調整した。
クラッチを踏み、ローにギアを入れる。サイドブレーキを外し、左右と前後を確認する。
ゆっくりとクラッチを繋ぎ、アクセルを踏む。
カセットデッキからは、ブロンディの「ハート・オブ・グラス」が流れてくる。
窓をゆっくりと閉める。風はもういいかな。

合流地点では、前後の車が自然と車間距離を開けてくれる。少し加速しながら流れに乗る。
「さて、どこまで行こうか」
「どこまで行きますか」AIのまいやんが問いかけてくる。
「仙台までは」
「およそ300キロです。時間にすると3時間ほどですね」
3時間、家を出てからも3時間少々。帰りは暗くなってしまうな。
最初、マニュアル車の運転は懐かしく、自分で動かしている感覚が楽しかった。
しかし、いささかくたびれてきた。
右足と左足を踏んだり離したり、左手をカタカタと動かし、右手はハンドルを掴んでいる。
休む間がないではないか。
いい運動だし、ボケ防止にはなるかもしれないが……。
この車に出会ってしまったのがいけなかったな。
正太郎は呟いた。

少し前のことだ。
正太郎の自宅から少し離れたところに廃車置き場ができた。そこを覗きに行ったのがいけなかった。
しばらく前に日本は内燃機関エンジン車の販売が禁止になった。
世界の潮流に合わせてのことだったのだが、お陰で膨大な数の廃車がでて、廃車を置くところもいたる所にできた。

正太郎は、新人類と呼ばれた世代だった。学生時代にパソコンが普及しはじめ、働きはじめた頃には、レコードからCDになり、携帯電話になり、とテクノロジーの進化に合わせて生きてきた世代だ。車も若い頃はスポーティな車に乗り、電気自動車がではじめた頃には、いち早く乗ったものだ。ガソリン車がなくなっても、オートドライブになっても戸惑うことなかった。時代の先端を行くのが好きなのだ。
しかし、廃車置き場でみた車に思わず吸い寄せられてしまった。
学生時代に乗っていたマツダのグランドファミリアがあったから。
大学生の頃、先輩から「車検がもう少しで切れるから、やるよ。廃車手続きはお願いね」とただで譲り受けた車がグランドファミリアだった。
小さな車にGFのエンブレムが誇らしかった。
はじめての車に興奮し、夜の街を当てもなく乗り回した。助手席にははじめてできた彼女を乗せたりしたものだ。
もちろん、その時の車ではないけれど、同じ車種に懐かしさを覚えた。
しげしげと見ていると、廃車場の責任者とおぼしき男が話しかけてきた。
「この車、70年以上も前の車だけど、まだ動くんですよ。しかも、カセットデッキもついている」
その一言に、正太郎の心も動いた。
乗ってみたい、運転してみたい、と。
「懐かしいですか。こんな車は売ることはできないから、差し上げますよ。ただです」
エンジン車の売買は禁止になっているから、売ることも買うこともできないのだ。
「え、いいんですか。ただ、なんですね。ください」
正太郎の声は、少しうわずっていた。
「ただです。ただし、動くだけで、走らせるには足回りとかなんとか整備しないとね。整備代がかかりますけど」
売買禁止の抜け穴だ。売ってはいけないけど、整備代は取ってもいいのだ。
正太郎は、やられたな、と思ったけれど、乗ってみたい気持ちが勝ってしまった。
その場で整備代の手付けを払い、数日後に整備された車に乗って家に帰った。

エンジン車の音に、正太郎の一家は驚いた。
車から降り立った正太郎に
「なんですかこれ」と8歳年下の妻は顔をしかめた
「どうしたのそれ」と還暦を過ぎた息子は驚いた。
「おじいちゃん、運転できるの」と働き盛りの孫娘は訝しげに聞いてきた。
「おおじいちゃん、クール!」と高校生の曽孫娘は手を叩いた。
「学生時代に乗っていたのと同じ車があったから、もらったんだ」と正太郎は、何でもないふうにいうのだった。
「これで、ちょっとドライブに行こうかなと思ってな」
「あなたと車で心中はしたくありませんよ」と妻はいいながら、助手席に乗ろうとする。
「この間、新しいオートドライブ車を買い換えたばかりじゃないですか」と息子の嫁は溜息交じりにいう。
「ガソリンの匂いって、懐かしいような気がするなあ」と、孫娘の婿は息を吸い込む。
「ドライブ、どこに行くの、乗せて!」と、曽孫の娘も、助手席のドアに手をかける。
「ドライブは、一人で行くんだ。危ないしな。慣れたら、乗せるよ」
正太郎は、助手席に乗り込もうとする妻と曽孫娘を追い払い、物置から古いカセットテープを探し出すと、一人でドライブに出かけたのだ。
出かけに、息子から「どこにいるかはわかるように、スマホのGPSは切らないで下さいよ」といわれ、孫娘からは「お弁当持っていく?」と聞かれた。
正太郎は数年前に卒寿を過ぎた。その歳にも関わらず、運転免許証は返納せず、半年に一度の適性検査を受け続けていた。120歳の大還暦世代が数万人を超えた今では、卒寿くらいはまだまだ若いと言われるほどなのだ。

高速道路で北に向かおうと思ったのは、大学時代を北の街で過ごしたからだ。
懐かしさに惹かれて走り出した。エンジンの音、ガソリンの匂いは、四分の三世紀前の青春時代を思い起こされてくれた。
オートドライブになれた身体で運転できるかなと思ったけれど、身体は覚えていた。
覚えていたけれど、覚えていたことを確認できたら、それまでだった。
懐かしいカセットテープの音楽は、懐かしけれど、古くさかった。

「次の出口で降りて、戻ろう、まいやん」
「そうしますか、次の出口まではあと15キロほどです」
「まいやんは、本当のまいやんは、いくつになったのかな」
「アイドルグループにいたまいやんは、今は還暦を過ぎています」
「そうか、もうそうなのか。なあ、いま流行の歌はどんなのがあるのかな」
「では、最新のヒットチャートを流しますね」
「まいやん、最近朝のドラマに出ていた、あの女優の声にしてくれるかな、なんてったっけ」
「生稲瞳ですか。ではその声にします」
スマホのAIの声が変わり、聞き慣れない歌が流れてきた。
悪くはない。正太郎はエンジン音にかき消されそうになる歌に耳を傾けた。

先輩から譲り受けたグランドファミリアは、ちょうど就職が決まった時に車検切れなった。
助手席に乗っていた彼女は、別の車の助手席に乗るようになっていた。
学生の正太郎は、次へ行く時期を迎えていたのだ。
だから、「さらば」といってグランドファミリアと別れた。

ハンドルを握りながら、卒寿を超えた正太郎は、そっと呟いた「ふたたび、さらばだ」

***

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